「パイプカット」炎上事件 100年前の大流行と現代の女と男の「戦争」を思う 北原みのり
と、具体的なパイプカットの処置方法を記したところで男性たちの怒りが収まるわけではないだろう。というよりもしかしたら、私のこのテキストが怒りの火を油を注ぐ可能性もある。それはきっと、怒りを露わにした人たちの多くは、「女が男にパイプカットをさせた」ということに怒っているからだ。Xで感情を露わにし、どうしようもない怒りを発信する無数の書き込みの多くは、女への怒り、強い嫌悪に満ちていて読むに堪えないものである。 でもね……わかる、すごくわかるよ……と彼らの投稿を見ていて思う。私だって、自分の妻にピルや卵管結紮や中絶を強いる男がいたら、黙っていない。許せない! と正義の「雌叫び」をあげるでしょう。女の体の負担を考えろよ? 卵管結紮は全身麻酔だよ? 再接合しても自然妊娠率は低いんだよ? おなかを開けるんだよ? 中絶を簡単に考えるな! 完璧な避妊をしてこい! と叫ぶでしょう。女の身体を大切にしろ! と怒りに震えるでしょう。 フェミニストSFのジャンルでは、女と男がリアルに戦争し、覇権争いをするような物語が少なくない。女の身体で生まれたことで味わう全ての理不尽を、SFという「ありえない」設定で言語化し、男性身体や男性性と徹底的に闘うことで現実を描くのがフェミニストSFだからだ。 とはいえ、X上でパイプカットを巡る議論が燃えさかるのを読みながら、もしかしたら、今のこの社会はフェミニストSFさながら、リアルにずっと戦争状態にあるのかもしれないと思う。表面的には愛を装い同衾しながら、根深いところでは強く憎み合っている。多様性の時代だとは謳われるが、卑近な現実で女と男は背中を向けている。SNSができてから、それが驚くほど可視化されてきたように思う。フェミニストを叩く男たち、男を叩くフェミニストたち。うんざりするほどに、言葉は交わらない。
ちなみに少し前のことだが、パイプカットについて調べる機会があった。なんとパイプカットは、1920年代にヨーロッパで大流行したことがあるのだ。片側精管結紮というもので、一方だけの精管を結紮するので避妊にはならず、目的も「男性の若返り」だった。精管を結紮することで精子の渋滞が起き、そのことで男性ホルモンが大量に発生し、男性が活力をみなぎらせ、若返る……という今となっては全く何の根拠もない手術だったのだが、当時大変に流行っていた。20世紀の最も偉大な詩人と名高いノーベル賞作家ウィリアム・バトラー・イェイツなどは、この手術を受けて「第二の青春」という言葉を広めたほどだ。他にも同時代のラフマニノフやフロイトやアインシュタインも片側精管結紮を受けたという噂などもあるほど、一般人から有名人までがこぞってこの手術を受けたという。 100年前の世界、男性がテストステロンを増強させるために精管の片方を切る手術が大流行したことを知り、いつの時代も変わらないのだなぁと遠い目になる。で、100年後の日本では避妊のための精管結紮は……一周回って「ふざけるな!」と叫ばれる。男たちの「男にパイプカットを強要するなど男性へのDVだ!」という声は、「女へのDVを許さない!」と女たちが怒ってきた声のコダマのようである。女たちの怒りの形がそのまま男たちの手に渡り、そして不毛な炎上が今日も……。 今年初の「おんなの話はありがたい」。女と男の戦国時代さながらの現代、性の話を今年も向き合っていきたいと思います。よろしくお願いします。
北原みのり