本郷和人『光る君へ』たった12歳で一条天皇に嫁いだ道長の娘「いけにえの姫」彰子。しかし当時の成人式<裳着>の実態は…
◆13歳で天皇との子を産んだ平清盛の娘 12歳から、15歳ということは、子どもが産めるようになったら、ということですよね。 そんなにあわてて大人になることはないのになあ、と僕なんかは思いますが、我が家の姫を天皇の妃に、それで早く皇子を産んで欲しいとか、切実に願ってる貴族たちにしてみると、悠長なことは言ってられないんでしょうね。 平安時代末の平清盛は娘の徳子(のちの建礼門院)を高倉天皇に嫁がせ、徳子はすぐに第一皇子(のちの安徳天皇)を出産しました。 時に徳子は満年齢でいうと13歳。お父さんになった高倉天皇は満で17歳。
◆12歳で利家の子を産んだおまつの方 若いですねえ。もっとも高倉帝は15歳にして、自分の乳母であった帥局との間に第一皇女をもうけています。経験は十分だったわけですね。 時代は下りますが、加賀百万石のゴッドマザー、おまつの方(芳春院)。 彼女はいとこの前田利家のもとに満11歳で嫁ぎ、翌年には長女の幸を産んだ。 このあとも子どもを次々と産み育て、あとつぎの利長ほか、2男9女の母になりました。 これは利家さん、頭が上がりませんね。天下人の秀吉もおまつを大切にしたといいますが、なるほどなあ、と納得です。
本郷和人
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