ブランドは一朝一夕でつくれません、だから絶対にやめないし、これからも続けていきます【エンケイ株式会社代表取締役社長 三浦信氏:TOP interview】
往復3200キロのふたり旅
移動手段として購入したというが、学生時代、しかも米国でしか経験できないロードムービーのような旅も三浦氏はこのプリムス ヴォラーレで味わったそうだ。それもジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』のような弾丸トリップである。 「私が通った大学は、ドラマ『大草原の小さな家』の舞台にもなったカンザス州にありました。そこから大学の日本人の後輩とふたりで、グランドキャニオンまで行こうということになったんです。後輩はまだ運転免許を持っていなくて、片道1600kmぐらいですかね、途中2泊して3日間かけてグランドキャニオンまで旅したんです、すべて私の運転で。当時、1ガロン(約3.8L)80セントでしたから、ガソリンは非常に安かったんです。それでもガソリン代を節約するためにエアコンはかけずに窓を開け放しにして、往復3200km走ったのは、いまでも鮮明に覚えています。それで、カンザスまで戻ってきたら、トランスミッションから煙が上がってきて、住んでいる街についた途端にトランスミッションが変速できなくなったんです。そこで、知り合いの整備工場で診てもらおうということで、そこへ向かっている道中で停まってしまって……。後輩と二人でクルマを押して整備工場まで運んだのが、ヴォラーレの一番の思い出です」 先述の通り修理を諦め、初めてのクルマであるヴォラーレを廃車にした三浦氏は、1976年式のフォード サンダーバードを、これまた同じく500~600ドルで譲ってもらうことになる。こちらは同じ大学寮に住んでいたタイ人の友人から譲り受けたもので、大学を卒業して他の大学に進学するということで、ちょうど手放すタイミングだったという。日本人留学生のだれもがクルマを所有していたわけではなく、必要なときは彼らにクルマを貸して、留学生仲間で半ばシェアして乗っていたそうである。 そんな三浦氏が大学を卒業するのは1985年。その冬に日本に帰国。たまたま縁あって遠州軽合金(現・ENKEI)を知った三浦氏を運命の女神は再び米国へと向かわせるのである。
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