判決確定からわずか2年で死刑執行…元“地元紙エース記者”が語る「飯塚事件」もうひとつの“謎”とは
県警が事前に確認していた「ダブルタイヤの車」
発生から32年を経てもなお、多くの謎が取り沙汰される「飯塚事件」。福岡・飯塚市で2人の女児が遺体で発見された痛ましい事件で逮捕されたのは、同じ町に住む久間三千年(くま・みちとし)だった。2006年に死刑が確定した久間は、2008年に福岡拘置所で刑を執行されている。(前後編のうち「後編」)【高橋ユキ/ノンフィクションライター】 【写真】女児2人が遺棄された山中には、いまも「2体の地蔵」が並んでいる 映画「正義の行方」(監督・木寺一孝/4月27日より[東京]ユーロスペース、[福岡]KBC シネマ、小倉昭和館、[大阪]第七藝術劇場ほかで全国順次公開中)は、数多くの当事者にインタビューを重ね、1992年に起きた「飯塚事件」の闇に新たな光を当てるドキュメンタリー映画だ。 この映画に登場するのが、事件当時、西日本新聞で事件担当サブキャップを務めていた傍示(かたみ)文昭氏と、同じく筑豊総局で取材を担当し、数々のスクープを打った宮崎昌治氏である。発生当時から事件を報じ続けてきた同紙は、久間の死刑執行後、2018年から19年にかけて83回にわたり独自の調査報道に基づく連載や特集記事を展開した。このキャンペーンは傍示氏と宮崎氏が立ち上げたものだ。そして、検証記事の取材・執筆を託されたのは、飯塚事件の取材に関わったことのない2名の若い記者たちだった。前編に引き続き、傍示氏と宮崎氏に話を聞いた。 前編【元死刑囚は真犯人だったのか…「飯塚事件」でスクープを連発した「西日本新聞」が“ゼロからの再検証”に挑んだ理由】からの続き ***
――改めて中島邦之記者、中原興平記者の取材による『検証 飯塚事件』キャンペーンが始まり、どのような印象を持たれましたか。 宮崎:「私は初任地が飯塚市にある筑豊総局で、引き継ぎをした先輩記者から、管内で起きた一番大きな事件が『アイコちゃん行方不明事件』であると教えられていました。1988年12月に市内の小学1年生の女児が行方不明になったという事件で、今も未解決です。そして筑豊総局に配属された2年後に、アイコちゃんと同じ小学校に通っていた女の子2人が犠牲になる飯塚事件が起きた。捜査段階からいろんな記事を書いてきました」 ――そうしたなかで久間の名前が浮上してきた、と。 宮崎:「当時、女児2人の遺品が見つかった現場近くで“ダブルタイヤの車に乗った男”の目撃情報があり、その後、久間の持っていた車がダブルタイヤであることが分かったんです。しかし、中島さんと中原記者による検証取材で、“ダブルタイヤの車”という証言が得られる前に、捜査員が久間の家に行って車を確認していたことを知ったんです」