判決確定からわずか2年で死刑執行…元“地元紙エース記者”が語る「飯塚事件」もうひとつの“謎”とは
「國松孝次」元警察庁長官が“飯塚事件”の現場を視察
――飯塚事件の取材時には、宮崎さんはそのことをご存知なかったわけですね。 宮崎:「少なくとも飯塚事件の捜査段階では、僕は全く知らなかった。検証取材の結果を聞いた時には、“最初から見込み捜査だったんじゃないかと疑われても仕方ないな”という印象を持ちました。再検証では時系列も詳細に調べ上げていますが、警察がまっさらからダブルタイヤを探し当てたわけではないと。アイコちゃん事件で顔見知りだった久間が捜査線上に浮かんでいたという事実は捜査段階で分かったいましたから、ダブルタイヤの下見の件と合わせると、飯塚事件の発生当初から久間を犯人視し、久間の人物像に合わせて調書を取っていったのではないか――。この問題提起には私も非常に驚かされました」 ――「アイコちゃん事件」が未解決のまま、今度は同じ小学校に通う2人の女児が犠牲になった。当時の福岡県警の捜査員にプレッシャーを感じている様子はあったんでしょうか。 宮崎:「それはもう大変なものだったと思いますね。この当時、福岡では“美容師バラバラ殺人事件”など、大きな殺しが何件か続いたんですが、最も悲惨なのはやっぱり飯塚事件だったんですよね。小学1年生の女の子2人が亡くなっていて、その3年前にはもう1人行方不明になっている。“これを挙げられずに何が福岡県警か”という重圧、プレッシャーは相当強かったと思います」 傍示:「事件発生からしばらくして、当時、警察庁の刑事局長だった國松孝次さんが飯塚事件の現場視察に来られたんですよ。刑事局長がわざわざ現場を見に来るほどの事件となると、現場は大変ですよ。警察官として“これ解決できなかったらクビだ”ぐらいの覚悟でやったと思います。激励なのかプレッシャーをかけるためなのか、國松さんの目的はどうだったか分かりませんが、いずれにしても、國松さん自身が飯塚事件に注目されてたのは事実ですよね」
「決して無駄ではない」
――飯塚事件を巡っては西日本新聞での検証キャンペーンに続き、今回のドキュメンタリー映画が公開されることになりました。さらに、このタイミングで、当時の目撃者が“実はあの時の証言は違っていた”と声を上げています。お2人は、再審についてどのような思いを持たれていますか。 傍示:「これまで死刑確定後に再審の扉が開かれた事件というのは、全て元死刑囚が存命の間に再審開始されています。死刑執行後の再審請求でその扉が開かれたことはないわけです。弁護団共同代表の徳田靖之先生たちが再審請求を始めた時から、僕は相当厳しいだろうという思いで見ていましたが、やっぱりその思いは変わってないですね。死刑執行した事件で再審開始すれば、再審制度の是非に踏み込まざるを得ないし、結局、司法制度そのものに対する大きなメッセージにもなるわけです。それはもう法務省が頑として動かないでしょうね。絶対にこの再審開始は認めるなといった通達も、もしかしたら出てるんじゃないかと思うぐらいで、死刑執行後の再審はもう不可能だろうなと思ってます。しかし、当時の目撃者が証言を覆したり、新たな証言、新証拠が掘り起こされたりすることで、将来的な再審制度の見直しに繋がっていくとは思っています。だから、決して無駄ではないし、今後もこの再審の状況を見守っていきたいですね」 宮崎:「傍示が言うように、飯塚事件で再審の扉を開いちゃうと、“国家の殺人”に繋がってしまうんですよね。なので、基本的にはあり得ないと思ってます。“久間が無罪です”と言ってしまったら、日本の死刑制度が崩壊するんですよ。国家が間違えて人を殺してしまいました、ってことになる。司法界が久間の再審を認めることは、僕はあり得ないと思います」