無人駅なのに駅員がいる「簡易委託駅」誕生秘話 「石破首相の父」提案きっかけ?鳥取から全国に
しかし駅の無人化は、たとえば切符の購入について相談にのったり、列車の運行状況を案内したりする人がいなくなるということでもある。当時はスマートフォンで運行状況を確認したり、ICカードやネット予約を利用したりすることができなかった時代。当然、無人化に反対する利用者も多かった。 ■珍しかった「女性駅員」 因美線でも反対の声が挙がり、河原駅では無人化反対の期成同盟会が発足するなど反対運動の組織化が図られるほどだった。そこで浮上したのが切符販売の外部委託だ。国鉄の旅客局長や常務理事を経てJR東海の初代社長を務めた同社顧問の須田寛は、当時のことを次のように語っている。
そのとき石破二朗鳥取県知事は「無人化はやむをえない。しかし駅舎を貸してもらって、民間の人が駅を使って何らかの商売ができるようにしてほしい。あわせて切符も売るから、駅舎を無償で貸してもらえないか」と提案してきたのです。新しいアイデアなので会計検査院などとも相談し、無償かそれに近い値段で地元の人に貸与して商売をしてもらう代わりに切符も売ってもらうようにしました。 <須田寛・福原俊一(聞き手)『須田寛の鉄道ばなし』(JTBパブリッシング、2012年3月)より引用>
このような駅の運営は私鉄も含めれば以前からあった可能性がありそうだし、国鉄バスの駅は1950年代に簡易委託を導入している。石破知事の提案も発案は知事の部下などの可能性があるだろう。とはいえ知事の提案をきっかけに国鉄が委託先を探しはじめたのは確かなようだ。 しかし委託先はなかなか見つからなかったため、鳥取県が「農協方式」を提案する。これは無人化される駅がある地域の農業協同組合(農協)に委託するというもので、国鉄と農協も県の提案を受け入れた。しかし労働組合との調整が難航し、実際に簡易委託が始まったのは10月15日から。まず国英駅と土師駅で簡易委託が始まり、残る4駅も順次、簡易委託駅に移行した。