『夜のまにまに』ことの始まりは映画館ーーー。街の灯りを泳ぐように「さよなら」を超えていく逸品
『夜のまにまに』あらすじ
どこか人任せなフリーターの新平は、幼馴染で彼女の咲と別れた日、訪れた映画館で佳純と出会う。意気投合し、夜の街で一緒に過ごす二人。しばらくすると、新平のバイト先のカフェで佳純が働き始める。再会に驚く新平だったが、佳純から“彼氏の浮気調査を手伝ってほしい”と頼まれ、探偵の真似ごとをする羽目に。強引な佳純に振り回されながらも、新平は少しずつ彼女に惹かれていくが……
夜にまつわる物語
夜。それは今も昔も多くの人たちの心と体を柔らかく包み込む、尊くて優しい存在だ。辛いとき、苦しいとき、はたまた誰かと笑い、語り合い、喜びや思いを静かに共有したいとき、一体どれだけの人たちが夜によって救われてきただろう。 かくも慈しみ深いひとときだからこそ、過去には数多くの表現者たちが夜にまつわる作品を手掛けてきた。これをお読みの方一人一人がきっと「自分にとって夜といえばこれ」という一冊、もしくは一本を心の棚にお持ちだとは思うが、ここ数年の私の例で言うと、夜と聞いてまず真っ先に思い浮かべるのは、間違いなく大阪を拠点に活動する磯部鉄平監督の作品だ。 磯部作品では、初短編作『海へ行くつもりじゃなかった』(16)以来、往々にして夜が登場する。そして、主人公らは決して一か所に留まらず、多くの場合、とめどなくさまよい続ける。取り止めもない会話を重ね、ときに自転車に乗ってスピードを早めたり緩めたりしながら、やがて空はうっすらと白んでいく。その過程に呼応するかのように、彼らの胸につかえた悩みや葛藤は、夜闇の和らぎとともにゆっくりと溶けていく。ここに磯部作品ならではのひとつのスタイルが存在する。 筆者は彼が描く夜に魅了され、何度も心救われてきた人間だ。おそらく磯部監督自身も、ゆっくりと深まりやがて明けていく夜に、幾度も人生を救われてきた人ではないかと、私は勝手にそう思っている。
映画館で起こる運命的な出会い
デビュー作から8年。最新作『夜のまにまに』は6本目の長編作品にして、磯部作品の集大成とも呼ぶべき一作だ。そこには、多くの作品と同じく、トレードマーク的な「ゆっくりとした夜」と、ついたり離れたりしながら歩む「距離移動」が刻まれている。ただしそれだけではない。今回、私たちをとりわけ魅了するのは、実に流麗かつ洗練された物語の折り込み方だ。 そこではスクリーンという名のキャンバスに登場人物たちの幾つもの「さよなら」が描かれていく。幼なじみの彼女と別れたばかりの主人公・新平(加部亜門)、付き合っている恋人に浮気されたらしい佳純(山本奈衣瑠)、亡くなった夫の浮気相手を探し続けるマダム。それぞれに割り切れない思いを抱えた三人は、奇しくも貸し切り状態の映画館の客席でめぐり合い、思いのほか意気投合。その後、新平と佳純は不思議な運命に導かれて再会し、ついたり離れたり、口論したり、互いを思い合ったりしながら、日常をたゆたっていくーーー。 映画館のシーンで上映中なのが、フランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』(34)というところが非常に粋だ。何しろこの名作ときたら、ニューヨーク行きの深夜バスの座席をめぐって新聞記者と逃避行中のご令嬢が運命的な出会いを果たすという筋書きであり、本作とそのシチュエーションを緩やかに共鳴させているのだから。 また中盤には、浮気調査すべく新平と佳純が二人して探偵稼業の真似事のように、夜な夜なぎこちなく張り込みに興じる姿が描かれる。これもまた現代の大阪を舞台にしながら、どこかハリウッド黄金期のスクリューボール・コメディを彷彿とさせる設定なのがなんとも心憎い。