『夜のまにまに』ことの始まりは映画館ーーー。街の灯りを泳ぐように「さよなら」を超えていく逸品
輝きを添える「星の王子さま」
磯部監督は今回の”夜”をこれまで以上の深みで彩って見せる。 それはある意味、さよならの猶予期間のメタファーとでもいうべきか。この世の中には多様な「さよなら」が存在するし、その別れを納得して受け入れるまでの必要時間も各々でまったく異なる。本作では別れを口にしたのち、その言葉がしばし漂い続け、それが然るべき長い時を経てようやく個々の心と体に実感を持って届くまでを、誰一人悪者に仕立てることなく、はたまた感情を荒げるでもなく、しみじみと優しく描き切るのである。 そしてもうひとつ触れておきたいことがある。磯部作品ではこれまで、平面的な距離移動のみならず、階段などを使った上下移動、さらには天体観測などに代表される宇宙への目線を効果的に用いることで、物語の立体的な広がりを表現することも少なくなかった。その点、本作では後半にかけて世界中の誰もが一度は手にしたことのある児童文学「星の王子さま」が登場する。これぞ本作のもう一つの輝きだ。 その内容をとうに忘れてしまっている人も多いかもしれないが、もし機会があれば観賞後にでも本を手に取って再読されるか、もしくは記憶に残っている挿絵を思い浮かべてみてほしい。きっとハッとさせられるものが少なからずあるはず。加えて文中の「花」そして「さよなら」という言葉も本作と印象深くリンクしていく。 翻って、改めてこの映画に思いを馳せるとき、あらゆる登場人物たちが個性豊かなかけがえのない惑星の住人たちのようにすら思えて、胸がギュッと締め付けられるのを感じることだろう。
「さよなら」をめぐる重層的な物語
人は人生のうち、一体どれほどの別れと出会いを繰り返しながら、夜を超えていくのだろう。別れの孤独や悲しみに押し潰されそうなとき、私たちは、同じ惑星の軌道をつかず離れず併走してくれる人の尊さにちゃんと気づけているだろうか。そして誰かの苦しみに気づき、そっと寄り添えているだろうか。 これはさよならをめぐる重層的な物語だ。磯部作品ならではのセリフの妙、演技や演出の間の取り方で観客の心をくすぐりつつ、笑いがあったかと思うと心の奥底に感情がジンと沁み渡る場面も少なくない。時におおらかに優しく、時にダイナミックに眼前に広がる大阪の街並みも一人の主人公と言っていいだろう。だが何よりもこの物語の主軸として柔軟性高く、全ての場面をナチュラルに成立させた加部亜門と、颯爽と人を巻き込む力強さとその裏にある憂いを併せ持った山本奈衣瑠。二人の存在が表現しえたものは非常に繊細で、それでいて大きい。 ここまで本稿にお付き合いくださって恐縮ではあるが、読んだことはいったん忘れて、ただただ映画の魔法を信じて、映画館へ足を運んでみていただきたい。そうやって自由なスタンスで本作に触れてみてほしい。きっと観るごとに印象が変わる。同じ上映時間に集ったすべての人たちがどこか愛おしくなる。観終わって劇場を後にした時、心の窓枠が少しだけ広がり、街がいつもと違って見えるはず。本作はそんな不思議な力を秘めた忘れがたい逸品なのである。 文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU 1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。 『夜のまにまに』 11月22日より新宿シネマカリテにて2週間限定公開 他、全国順次公開 配給:ABCリブラ ©belly roll film
牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU