「手錠をかけた中1少女」を高速道路に放置した中学校教師の非道【平成の凶悪事件】
朝食をペロリ
9月8日に逮捕された福沢は容疑事実を全て認めているそうだが、留置された有馬警察署ではなぜか、驚くほどの健啖ぶりを発揮している。 「気の小さい男と聞いていたが、ちょっと違う。9日の朝も7時に起きて洗顔し、卵にヒジキ、魚の切り身をおかずに、ご飯とみそ汁をすっかり平らげた」(先の捜査関係者) ところで、この福沢は地元の西宮市出身だった。1989年に和歌山大学教育学部を卒業している。その後数年間、県内の中学校で臨時助教諭をした彼が、地元のある中学校に社会科の教諭として正式採用されるのは93年春のことである。 「当時は、うちで一番若い先生とあってバレーボール部の顧問も引き受け、朝から晩まで張り切って勤務していました。生徒との信頼関係も厚く、彼に悩みを聞いてもらいたくて、わざわざ職員室にやってくる生徒も多かったのです」 と同中学校の元教頭。 「彼は少年時代から阪神タイガースのファンだったとかで、春休みにはキャンプ地巡りまでしていたそうですよ」(同) ところが、就任して5年目の6月ごろから、彼の態度は急におかしくなっていく。元同僚教師がこう首をかしげる。 「それまで一日とて休まなかった彼が突然、無断欠勤し、結局はそれから半年間も長期欠勤してしまうのです」 医師の診断では自律神経失調症ということだったが、 「原因を尋ねても、蒼い顔をして“教師として、もうやっていく自信がない”と言うばかりでした。12月からようやく復帰しても、以前の彼の明るさは戻りませんでしたね」
閉じこもり教師になってしまった
翌春から福沢がR中学校に転任したのは、教育委員会の配慮によるものだった。しかし、ここでも“物静かで真面目な先生”をやっていたのは、ほぼ2年間だけだ。同中の教頭が言う。 「勤勉な先生で、いつもワイシャツにネクタイ姿で登校していました。そんな彼が今年の6月、“自分の意思を生徒に伝えられなくなったのでしばらく休みたい”と相談してきたのです。それからですよ、彼が一種の閉じこもり教師になってしまったのは……」 砲丸投げや幅跳びなどのフィールド競技が得意で、自ら陸上部の顧問までやってきた福沢が、再び、教師としての自信を喪失し、私生活に孤独な影を引きずるようになったのはなぜなのか。ある同僚教師は、その理由をこう語る。 「元々、西宮の都会育ちでしたからね。人口5万人弱の豊岡市での暮らしに、長くは耐えられなかったのです」 アパートに一人住まいの福沢はしばしば西宮の実家に帰っていたそうだが、運転中は最新流行の安室奈美恵や浜崎あゆみなどのCDをガンガンかけて、大声で歌い続けていたという。 「でも、彼がテレクラ通いまでしていたとは、いまだに信じられない。本人が“但馬地方にまでテレクラが入ってきたら大変だよなあ”と心配していたくらいでしたからね」 しかし警察での自供によれば、福沢が大阪市内のテレクラで遊び始めたのは、2000年の10月からだった。この時期はまた、彼が豊岡市内のビデオショップに頻繁に出入りし、大人向けのソフトを借り始めた頃と一致するのだ。 そのラインナップは、強制的なプレイや女子校生を対象にしたものが並ぶ。これらに触発された彼が通信販売で求めた手錠まで持ち歩くようになっていったということか。 「実は、彼はよく、うちにフィルムの現像を依頼してきたのですが、それが、彼の少女を好む趣味をうかがわせるような妙な写真ばかりだった」 豊岡市内にある写真店主が、声を潜めて話す。 「小学生くらいの男女が遊んだり、笑っているだけの絵柄なのですが、彼はそれを隠し撮りしていたようなのです」 34歳の独身中学校教師が、その程度の趣味で満足していれば問題はなかった。