木村肇

なぜスクープを連発できるのか  新谷学・週刊文春編集長を直撃

3月7日(月)8時36分配信

 次から次へと繰り出されるスクープ記事に、日本中が盛り上がっている。ベッキー女史&「ゲスの極み乙女。」川谷絵音氏の不倫疑惑、甘利明大臣(当時)への金銭授受証言、清原和博元プロ野球選手の覚せい剤疑惑、育児休暇取得を謳った宮崎謙介議員(当時)の不倫疑惑、そして神戸連続児童殺傷事件の「元少年A」への直撃取材……。

 年初からの連投スクープは、いずれも「週刊文春」によるものだ。新聞やテレビも「文春」による一報を追いかけてばかり。ネットを見ると「文春砲!」、ベッキーが呟いたとされる「センテンス・スプリング!」という言葉も溢れている。メディアもネットも、週刊文春のスクープに引っ張られているような状態だ。

 そこで多くの人が同じことを考えている。

 なぜ「週刊文春」ばかりがスクープを打てるのか──。それならば同誌と同様、直撃するのが流儀というものだろう。同誌編集長の新谷学氏に深掘りで聞いてみることにした。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース編集部)

──スクープが続きました。かなり売れたのでは?

新谷学編集長(以下、新谷): 今年になって完売号が3冊。「右トップ」(電車の中吊り広告での右側にある見出し)が「甘利明大臣(当時)疑惑」の第1弾と第2弾。それと育休取得を謳った「宮崎謙介議員のゲス不倫」。「ベッキー不倫」と 「SMAP解散騒動」を扱った号も完売に近く、たしかに売れています。

 私が週刊文春の編集長になったのは2012年4月で、その年の6月に2号連続で完売号が出たんです。「小沢一郎『妻からの離縁状』」(2012年6月21日号)と翌週の「巨人原辰徳監督が元暴力団員に1億円払っていた!」(同6月28日号)。両号とも90%を超える完全な完売でした。その後も編集部としては自信のあるスクープもいろいろあったけれど、完売はなかなか出なかった。

 たとえば、チャゲ&飛鳥の覚せい剤疑惑、佐村河内守の偽ベートーベン、清原和博の覚せい剤疑惑、AKB関係もずいぶんありました。

 それでも完売には至らなかった。編集長就任当時よりも、雑誌マーケットが冷えてきたのを感じていました。完売するのは容易ではないと。

 そうしたら、今年最初の号でベッキーさんの禁断愛を報じて8割近く売れた。そこで「本当に読者が興味を持つものなら売れるのでは」と久しぶりに手応えを感じた。そして3号目で、甘利氏第1弾、ベッキー第3弾、SMAPと重なって完売となった。そして、甘利氏の疑惑を詳報した第2弾も完売した。

 やはり本当におもしろいものは売れるんだと確信できた。そう再認識できたことは非常に大きいです。当然ながら、雑誌が売れれば、記者もみな喜ぶし、編集部全体が盛り上がっている雰囲気はあります。

──今年になってスクープが続いているのはなぜですか?

新谷:なぜこのタイミングなのかという質問もたびたびいただきましたが、率直に言って、どのスクープも取材の裏付け(確証)がしっかり取れて、記事を出せる段階になったのが、たまたまその掲載号だったということです。

 たとえば、ベッキーさんの記事。情報提供を受けたのは昨年末でした。あるデスク(副編集長)が水面下で、正月休みの間も先方とやり取りしていたのですが、私が正月3日に現場に復帰した段階では先方と信頼関係が築けていた。そこでその日に取材班を立ち上げ、4日に長崎に行って写真を撮って記事を作成して、5日に校了、7日に発売というスケジュールでした。

 あの取材では、中心的に動いた記者は2人、途中で応援要員も入って、総勢5人ぐらいです。大事なのは、「いける」と思ったときに躊躇せずに勝負をかける、つまり、記者を投入できるかということなんです。われわれ週刊誌は「攻めのメディア」で、踏み込むべきときには踏み込んだほうがいい。それができるかどうかだと思うんです。

日中の編集部は閑散としていた。記者は現場に出ているのだという。(撮影:木村肇)

新谷学氏は1964年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、1989年文藝春秋入社。「Number」「マルコポーロ(休刊)」「週刊文春」「月刊文藝春秋」、書籍編集を経て、2012年4月、週刊文春編集長に就任。昨年10月、春画を誌面で扱ったことから「文藝春秋の雑誌としてふさわしくない」と3カ月の休養を命じられる。今年1月、編集長復帰と同時に、立て続けにスクープを連発している。

──長い時間をかけた取材も実を結んでいるようです。

新谷:ええ。たとえば甘利氏の金銭授受事件はかなり長い時間をかけたものです。最初に情報としてあがってきたのは、2015年2月、ちょうど一年ぐらい前だったと思います。ある人物が甘利氏秘書と会っては現金を渡している、という典型的な口利きの話でした。あまりに絵に描いたような話なので「いまどき、そんな話ないだろ」と半信半疑でした。実際、その段階ではまだぼやっとしたもので、デスクには継続してウォッチするよう伝えました。

 記者とデスクでは水面下で慎重に取材を進め、8月ぐらいに(金銭を渡した)一色武氏への取材で確たる証言を得た。とはいえ、重大な疑惑なので、綿密に事実確認を進めなければいけない。そこで甘利氏の地元事務所長だったK氏の行動確認を始めた。毎週ほぼ同じ時刻に会合するという飲食店を何度も張り込んだ結果、店内の撮影に成功したわけです。

 これも最初の記者から上がってきた情報を、「いや、そんなのありえないでしょ」と聞き流していたら、実現しなかった。張り込みにかける時間や労力など手間暇を考えたら、なかなか他のメディアがやりたがらない理由はわかります。こうしたネタは取材のスタート段階では最終的に記事になるかどうかわからないわけですから。

 実際、これも第3弾の記事に書きましたが、一色氏は2015年2月にある大手紙記者と接触しているんです。一色氏はこう語っています。

「その男性記者は、私の話をあまり真剣に聞こうとせず、帰り際に自分のコーヒー代さえ払うそぶりも見せなかった。正直、記者にあまりいい印象を持てず、信用できなかった」(週刊文春 2016年2月11号)

 一方で、うちの記者は一色氏との関係を継続し、説得を続けてきた。同時に、デスクが記者に粘り強くアドバイスしながらネタとして諦めなかった。その結果、一色氏と甘利事務所が完全に決別したのが今年1月12日で、その直後にわれわれは記事にしたわけです。張り込み始めてから事務所への直撃までほんとに長い道のりでした。

──神戸児童連続殺傷事件の「元少年A」の記事は、「追跡250日」とありました。

新谷:ええ。彼が「元少年A」名義で自著『絶歌』を出してから、本誌取材班は彼の近況を追い続けてきました。

──記事にはこうあります。直撃して直接取材を依頼したところ、彼は豹変して記者の腕を掴み、大声で威嚇しはじめた。

<自転車を地面に叩きつけると、本紙記者に向かってにじり寄ってきた。「命がけで来てんだろ、なあ。命がけで来てんだよな、お前。そうだろ!」>

記事は記者のみならず読者まで恐怖を感じる衝撃的な内容でした。あの取材を行ったのはどういう意図ですか。

新谷:『絶歌』を読んで、彼は本当に更生しているのか、疑念を抱いたことが発端です。このままの状態で彼を社会に受け入れて本当に大丈夫なのだろうかと。遺族、被害者への贖罪意識にも疑問がありました。この記事では黒い目線を入れたかたちで、現在の彼の写真も掲載しました。

 実は「なぜ記事を掲載したのか。少年法に反するのではないか」という批判が来ることを想定して、コメントを用意していたんです。ところが、あれだけ甘利氏のことやベッキーさんのことを追ってきたメディアが、今度はどこも書かない。完全に拍子抜けでした。特に大手メディアは一切スルーだった。

 あらためて強調しておきたいのは、あの記事を載せたのは世の中に問題提起をしたかったからということです。あれだけの犯罪を犯した人物をいかに社会が受け入れ、いかに共存するか。そして、彼が自分自身をどこまでコントロールできているのかという不安もありました。本誌記事で複数の識者が指摘したとおり、少年法のもとでどこまで更生できているかも疑問です。もちろん更生できていないと断言するつもりはありません。ただ、これは社会的に広く議論すべきテーマだと考えたわけです。

 大手メディアは後追いしなかった一方で、ネットでは、少年法のあり方や彼の著書を巡る問題など、さかんに考察、議論が行われた。もちろん乱暴な意見も散見されましたが、ネットと大手メディアのこの熱量、リアリティの違いに、いまのジャーナリズムが抱える問題点が如実に現れていたように思います。

週刊文春の編集部員は約60人。スクープを狙う特集班は40人だ(撮影:木村肇)

 週刊文春が「スクープ」を売りに独自路線を歩み出すのは1984年、雑貨商・三浦和義氏(故人)をめぐる「疑惑の銃弾」を独自に報じだしてからのことだといわれる。同連続報道では、米ロサンゼルスで妻が撃たれて失ったという悲しい話が、じつは保険金を狙った計画犯罪ではなかったかという疑惑を報道。他メディアも加熱して報道する騒動となった。

 また、1989年には東京・足立区で発生した女子高生コンクリート事件で逮捕された主犯の少年たちの実名と顔写真を少年法に反して報道。少年法の是非について疑義を投げかける初期の問題提起となった。その意味では、「元少年A」の報道もその系譜にあると言える。

 新谷氏が編集長就任以降、掲載された主要なスクープは下記の通り。

 2012年、「小沢一郎、妻からの離縁状」(6月21日号)、「元カレ告白、AKB48指原莉乃は超肉食系」(同)、「巨人原監督、元暴力団に一億円払っていた!」(6月28日号)
 2013年、「AKB48、峯岸みなみ若手ダンサー宅お泊り」(2月7日号)、「シャブ&飛鳥の衝撃、飛鳥涼『覚せい剤吸引ビデオ』」(8月8日号)
 2014年、「全聾の作曲家、佐村河内守はペテン師だった!」(2月13日号)、「清原和博、緊急入院 薬物でボロボロ」(3月6日号)

2015年、「ジャニーズ女帝メリー喜多川、怒りの独白5時間」(1月29日号)「AKB48総選挙2位・柏木由紀、ジャニーズメンバーの浴衣抱擁写真」(6月18日号)、「NHK『クローズアップ現代』やらせ報道を告発する」(3月18日号)、「自民党・武藤貴也議員の黒い集金術「未公開株」で4100万円」(8月27日号)、「武藤貴也議員、未成年売春を相手男性が告白」(9月3日号)

 そして、2016年のベッキーや甘利明、宮崎元議員などにつながる。

 清原や飛鳥、佐村河内など週刊文春の報道が発端になって、他メディアの報道が広がったケースは数多いが、他メディアが後追いするのは、報道された当人が「発表」したり、警察が逮捕したりするなど「確定」した案件が多い。

そんなメディアの姿勢について新谷氏は疑問を呈す。

 ──対象への一歩踏み込んだ取材姿勢に独自性があるように感じます。

新谷:いまのメディアは、批判をされない、安全なネタばかり報じる傾向が強まっているように思います。評価が定まったものに対しては「悪い」「けしからん」と叩きますが、定まっていないものは扱いたがらない。ベッキーさんなんか最たるもので、一度、「水に落ちた犬」となると、かさにかかってみんなで責める。ベッキーさんの記事が出た後の反応、展開は我々の想像を遥かに超えていました。

 はっきり言っておきたいのですが、うちはベッキーさんを袋叩きにするつもりで記事を出したわけではありません。私自身、水に落ちた犬を安全地帯から叩くのは大嫌いですから。あの記事を掲載した理由はシンプルです。好感度が非常に高いベッキーさんというタレントが恋愛をしていました。ところが、それは、妻のある男性、紅白に出場した人気ミュージシャンとの禁断の恋でした。意外な素顔ですね、というところまでです。

 休業しろとか、コマーシャルに出すな、とか一切書いていないし、求めていない。むしろ、正直言えば、可哀想だと思っています。本当は「頑張れベッキー!」みたいな応援企画をやりたいくらいなんだけど、いまはきっと「お前が言うな!」と言われるので……。

 ただ、今の時代は一度バッシングに火がつくと、ネットリンチのような状況が起きやすいという現実はきちんと理解しておかなければならないと痛感しました。取材対象の選び方、報じ方に一層の慎重さが求められると肝に銘じました。

──ずばり聞きます。週刊文春だけがスクープを打てるのはなぜですか。

新谷:今年になってから何度も聞かれた質問ですね。答えは至って単純。それはスクープを狙っているからです。「スクープをとるのが俺たちの仕事だ」と現場の記者はみんな思っている。そう思って取材しているし、現場に行っている。

 いまここまで愚直に「スクープ」を狙っているメディアはあまりないように思います。新聞でもテレビでもスクープの土俵から降りはじめているような気がする。

──どうしてですかね。スクープはメディアの華じゃないんですか。

新谷:リスクとコストを考えると割に合わないからだと思います。スクープをとるためには、手間も時間もお金もかかる。しかも、スクープ狙いの取材を始めても、事実を詰められずにボツになることもある。あるいは、記事になっても、「際どい」スクープの場合は取材対象の政治家、経済人、企業、タレントなどから名誉毀損で訴えられる可能性もある。

 多くのメディアはスクープ記事のリスクとコストを考えて、数字が見込める「企画物」に行くことが多いように思う。読者、視聴者の関心が高そうで、安心安全なことを書くとか、発生もの(事件)をすこし詳しく書くばかりで、独自ネタに伴うリスクをとることに及び腰な気がします。

編集部にはあらゆる新聞が資料として置かれていた(撮影:木村肇)

週刊文春の編集部員は約60人。そのうち、特集班が40人、連載などを担当するセクション班とグラビアを担当するグラビア班がある。毎週木曜午前にプラン会議が行われる。5人の特集デスクのもと、各班に7〜8人の班員。プラン会議でのノルマは一人5本。総計、200本のプランが発表されて、選別されていく。かつて週刊文春の記者だった人によると、このプラン会議に多くが「生ネタ(関係者をおさえているなど)」を持ち込むため、日頃からネタを見る目が厳しいという。

 また、週刊文春の特徴として、記者の仕事に関して、社員と契約専属記者の仕事の分け隔てがないことが挙げられる。出版社系週刊誌ではしばしば契約記者でもデータマン、アンカーマンと職種が分かれ、社員編集者がとりまとめることが一般的だが、週刊文春では社員と専属の区別なく、「いいネタをとってきた人が“書き(執筆)”」となり、精鋭部隊が投入される。

 「週変わりでヒーローが生まれる」そのフェアさに「強みがある」と新谷氏も言う。

──スクープにこだわる取材体制とのことですが、ネットでは「情報をカネで買っている」と噂する人もいます。

新谷:週刊文春がスクープを連発していることで、ネット上ではいくつか誤解も出ているようです。「文春は金払いがいい」とか、「探偵社を使っているようだ」とか、それらしく書いてあったりします。

 ここは大事なので明確にしておきますが、うちの方針としてネタは金で買いません。これは大前提。そして、最初からお金目的で編集部にネタを持ち込む人に関しては、基本的に断ります。駆け引きで釣り上げようとする人も同じです。

 なぜそうした人を排除するのかと言えば、情報提供の動機がお金だと、お金のために「嘘」をつく可能性があるからです。証拠を偽造する可能性だってある。そんな話を掴まされて、それをもとに記事を書いたら、大変なことになります。ですから、なぜ情報を提供するのか、という動機の部分については慎重に見極めます。

──情報提供、いわゆる「たれ込み」は多いんですか。

新谷:今年に入ってスクープ連発を受けて、爆発的に増えています。大変ありがたいことです。情報提供の形にはさまざまありますが、情報収集の原点は「人から人」、インテリジェンス用語で言えば、ヒューミント(人による情報収集活動)ですよね。ですから、文春の記者は、取材対象と会う以外にも、日常的にいろんな人と会っている。これが一番大事なんですよ。記事の都合で用があるときだけ取材に行って、「話を聞かせてください、はい、終わり」、では何もおもしろい話は聞き出せません。普段から用がなくても幅広く、連日連夜、日常的な付き合いをする。そこから生まれた信頼関係の中で、何かあったときには、情報が真っ先に入ってくるようにしておくのが大事なんです。

 そうする中で記者や編集者は、情報を伝えたいと考える人にとって「序列1位」の存在になっておかなくてはいけない。何かおもしろいネタを掴んだときに、真っ先に顔と名前が浮かぶ存在でないといけないということです。

 現在、「ウィキリークス」ならぬ「文春リークス」という情報提供コーナーをウェブに設けています。設置から1年で2700件が集まりました。膨大な情報量ですが、もちろんすべてが記事にする価値がある情報ではありません。最近では「私の夫が不倫をしているようです。取材をしてもらえませんか」といった話がものすごく多い。一般の方の場合、もちろん記事には使えません。このように膨大な情報の中から、ネタを見極めることが大事になってきます。

──どうやってそこを見極めていますか。

新谷:重要なポイントはつねに変わりません。情報とは、要するに、「誰」が「何」をしたのか、です。そこに報じる意義があるのか、ということです。

 政治家が一番わかりやすいですが、世の中に大きな影響力を持っている存在であるかどうかがまず第一。その人が「公」の存在か否か、です。第二に、提供された情報が事実である場合、そこに違法性があるのか、あるいは、倫理的に見てどうなのか。一般的に、許されざることなのか、無視していいものかといったことを検討する。

 とはいえ、形式ばった「マニュアル」があるわけではありません。たとえば「ゲス不倫」が発覚した宮崎謙介議員(当時)。昨年12月、彼は妻である金子恵美議員が出産を控えているのを見据えて、議員の育児休暇取得の意向を示して話題を呼びました。そんな人物が、奥さんが切迫早産という入院の時期に別の女性と密会しているという情報をつかんだ。議員としてはさほど有名ではありませんが、育休問題で注目を集めながら、本人は育休とは程遠い行動をしていた。これは報道して問題提起する意義があると思ったわけです。

 結局、さまざまな情報提供の中から、いかに世の中に問う価値があるネタをつかみ取るかが大事なんです。取材にとりかかった後は、情報を裏付けるエビデンス(根拠、証拠)があるのかを見極めていく。告発者がいる場合には、丁寧にやり取りをする過程で、証拠や動機を確認しながら、証言内容にブレがないかを精査していく。それらを総合して、「いける」と判断すれば、精鋭部隊を投入して、一気に「詰め」にかかる。週刊文春はそんな作業をコツコツと毎週続けているのです。スクープの起点はあくまでもファクト(事実)です。

文春が「スクープ」を売りに独自路線を歩み出すのは1984年、雑貨商・三浦和義氏(故人)をめぐる「疑惑の銃弾」を独自に報じてからだという(撮影:木村肇)

 一方で、昨今では別の論点もしばしば顔を出す。報道と人権、あるいは、プライバシーの問題だ。先のベッキー問題でも、ベッキー氏と「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音氏が交わしていたLINEの会話が誌面に掲載された際、そのプライバシーを巡ってネットでは議論が起き、識者がLINEのトークの流出方法を考察したり、文春の報道後には、LINE株式会社が公式見解を披露することにもなった。新谷氏は流出ルートは「取材源の秘匿」として言及を避けるが、一般論としてプライバシーと競合する難しい部分が出てきつつあると認める。

──ベッキーの「ありがとう文春!」や、武藤議員の「奴隷だよ」など、LINEのトーク画面の流出が話題となりました。やりすぎではないかという声もあります。

新谷:プライバシー権という概念が次第に重要視されてきているのは確かです。事実かどうかだけではなく、プライバシーの侵害なのか、報じる公共性、公益性のある事実なのかという見極めが司法上も、厳しくなってきている。それは言い換えると、プライバシーという権利の領域が拡大する一方、"知る権利"が狭くなってきているということです。

 実際、昨今はプライバシーに立ち入る取材自体がとんでもなく悪いと思っている人もいます。「そんなことして何が楽しいの?」と。

 そこで理解していただきたいのは、われわれはやみくもにプライバシーを暴いているわけではないということです。先に述べたように、社会をリードするような影響力のある人がこんなことをしている、こんなことを言っている、という知られざる事実を紹介する。その報道によって「ちょっと待てよ」という多様な視点を確保できるのではないか、と考えているのです。昨今はSNSが発達したことで、政治家や芸能人も自ら情報を発信しやすくなりました。ただそこで発信されるのは、彼ら彼女らにとって都合のいい情報だけです。そうした「公人」と言うべき人物による「キレイゴト」「タテマエ」ばかりが流されることで、社会がミスリードされるのは危険なことですから。そんな社会は息が詰まります。

 巨大な権力を握っている人が相手でも、何かおかしいところがあれば、世の中に知らせる必要がある。「王様は裸だ!」と言えるメディアはいつの時代も必要だと思う。「不都合な真実」を最初に叫ぶには、勇気が求められる。そこで私たちの背中を押してくれるのが、読者の皆さんの「知りたい気持ち」なんです。

 たとえば、2012年7月、当時大阪市長で将来の総理候補として人気絶頂だった橋下徹氏の不倫疑惑を報じました。これは「橋下徹大阪市長はスチュワーデス姿の私を抱いた!」(2012年7月26日号)という記事でした。この時は、交際していた女性が橋下さんと一緒に何月何日どこの店に行ったかを一軒一軒潰し(確認し)、橋下さんからもらったアクセサリーの写真を撮って、買ってもらったという店に取材し、伝票を確認してもらって、「たしかにうちで扱った商品です」と証言を得た。ラブホテルでも、こういうコスプレ衣装がありましたかと確認した。ものすごく地道な作業の積み重ねで、手間暇をかけてファクトを裏付けていった。だから、当時、橋下さんも、「今回はバカ文春とは言えない」と言ったんでしょう。

 そうしたファクトを詰めるために、私たちはリスクとコストをかけて取材をしている。その意義をすこしでも理解していただければ嬉しいですね。

編集部内に併設された仮眠室。徹夜の張り込み明けには泥のように眠る。(撮影:木村肇)

──昨今、官邸(安倍政権)の圧力でメディアが萎縮しているのではないかという議論があります。

新谷:たしかにそういう面もあるかもしれないけれど、それに対して、「圧力だ!」とオピニオンで百万遍抗議するよりも、相手にとって不都合だけど伝えるべき事実を一つでも突きつけたほうが、よほどダメージが大きいと思うんです。それこそが報道機関の戦い方だと思います。

 昔から同じメンバーが同じ歌を歌い続けても官邸は痛くも痒くもないよ、ということです。相変わらず右だとか左だとかイデオロギーで色分けする傾向がありますが、イデオロギーが前面に出てしまうとグレーのものが白く見えたり、黒く見えたりする。うちはイデオロギーよりリアリズム。「ファクトの前では謙虚たれ」とよく現場には言うのですが、やはりあくまでもファクトで武装して戦うべきだと思うんです。

──そのファクトの確認が甘ければ、誤報の危険だってある。

新谷:かつて警察庁長官だった人と食事をしたとき、冤罪の話になったんです。なぜ冤罪が多いのかと尋ねたら、彼は「白くする捜査をしてないからだ」と答えた。捜査の現場はつねに相手がクロだと思って、黒くする捜査をする。すると、相手がシロである証拠が目に入らなくなる。そこで「白ではないか」という視点のもとでもう一度捜査をし直すと、見落としていた被疑者がシロである証拠、これを「消極証拠」と言うんですが、それが浮かび上がってくることがあるんだそうです。だから「白くする捜査」を怠ってはいけないと。

 私はこれはいい言葉だと感動して、現場にもよく言ってるんです。「白くする取材をしろ」と。思い込みが強すぎたり、功を焦ったり、上からのプレッシャーがきつすぎると、「ガセかもしれない」と疑う芽を見逃してしまう。「黒」と「白」の「複眼」をもつということが大切なんです。噂に毛が生えた程度の裏付けでは絶対に書かないし、「裁判で勝てる」だけの取材を重ねる。「事実はこうに違いない」ではない。「事実はこうだ」と言い切れるまで取材を尽くすということです。

 ただ、われわれは大上段に相手を叩こうと社会正義を振りかざしているわけではありません。大臣の首をとるとか、そういう意識で誌面をつくると、途端に誌面が暗くなっちゃうし、面白くなくなるんです。やっぱり週刊誌ですから、新橋でサラリーマンの皆さんが話のネタにできるような記事を書かなくちゃいけない。ゴシップを楽しむことも一つの文化だし、閉塞感漂う世の中のガス抜きをするのも週刊誌の大事な役割だと思います。

 政治でも芸能でも、われわれの原点は“人間への興味”なんです。タフネゴシエイターと高い評価を受けている大物政治家が、大臣室でとらやの羊羹と一緒に現金を受け取ったり、好感度抜群の女性タレントが禁断の恋に身を焦がしたり、恋愛禁止のはずのアイドルが好きな男の子の前で泥酔したり号泣したり……。もちろん善悪の評価もありますが、何より、人間って面白いというのが原点なんです。愚かだし醜いけど、可愛らしいし美しくもある。

 「過激にして愛嬌あり」。
私が大好きな明治の反骨のジャーナリスト宮武外骨の言葉です。週刊誌は怖がられて引かれたらダメなんです。読者の皆さんに面白がってもらって、可愛がってもらうことが大切だと思っています。

他誌は何を報じたのか。週刊誌の競争は厳しい。(撮影:木村肇)

──週刊文春の将来についてはどう考えていますか?

新谷:週刊文春が生き残るためには、本当の意味でのコンテンツビジネスを確立しなければならないと考えています。一つは読者の皆さんに週刊文春が作り出すスクープを中心としたコンテンツの価値を理解していただく。

 繰り返しますが、スクープをとるには手間も暇もお金もかかるわけです。クオリティの高い調査報道を続けるためには、それに見合った対価を払っていただきたいのです。ネット上ではニュースは無料という認識が定着していますが、本当に面白い価値のある情報にはお金を払うという意識がもっともっと広がっていくとありがたいです。最近はネットでも、「応援するために週刊文春を買おう」という書き込みを目にすることがありますが、本当にありがたいことです。

 もう一つは他のメディアにもコンテンツの価値を理解してもらうことだと思います。勝手に「一部週刊誌が報じた」とか、あるいはひどい時には「いついつまでにわかった」という書き方をする。そうしたメディアに対しては厳重に抗議しています。「スクープ泥棒」は恥ずかしいことだと自覚してほしい。いい気になってるとか、うるさがられているとは思いますが、その結果、「週刊文春が報じた」と言ってくれるケースが増えてきました。今年に入って、テレビのワイドショーで週刊文春の記事が紹介されることがしばしばありましたが、今まではテレビ局に無料での記事使用を認めてきました。ただ今後はデジタル動画も含めて使用料をいただこうと考えています。これも重要なコンテンツビジネスだと思うからです。

森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『「つなみ」の子どもたち』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『反動世代』、『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』、『勤めないという生き方』、『グーグル・アマゾン化する社会』、『人体改造の世紀』など。公式サイト

[写真]
撮影:木村肇
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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