バルセロナ五輪選考会を兼ねた日本選手権残り1枠を姉と争うこととなり、周囲の予想に反して出場権を獲得した。世界ランクは14位、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時のオリンピック記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。名言として残るインタビューも相まって、一躍時の人となった。過剰な注目に苦悩し、不調が続いたが、奮起して2度目の五輪出場を果たした。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学。現在は、水泳レッスンや『着衣泳を広めるプロジェクト』を発足し、講演会・イベント出演などを通して水泳の楽しや水辺で楽しく安全に遊ぶ方法を伝える活動をしている。
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