『海をあげる』の著者、上間陽子さんインタビュー
怒りの手紙だけ渡して終わるのは違うなって気がつきました。
それだけに、「あとがき」を書くのに一番時間がかかりました。p>
2021年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞」は、琉球大学教育学部教授の上間陽子さんが手がけた『海をあげる』(筑摩書房)が受賞した。性暴力や貧困に苦しむ沖縄の少女たちの調査・支援記録を綴った『裸足で逃げる』(太田出版)から4年半。今回の受賞作では、愛娘と暮らす沖縄での日常生活に否応なく踏みこむ悲しい現実を描いている。 (取材・文:樺山美夏、写真:前田勝也)
――このたびはおめでとうございます。『海をあげる』は胸が詰まるような思いで読んで涙した本なので、私も嬉しく思いました。受賞の知らせを聞いたときのお気持ちをうかがえますか。
担当編集者の柴山さんから連絡いただいたときは本当にびっくりして、「わぁ〜、へえ〜、」と言うだけで終わったんです。でも賞金の100万円を、2年ほどかけて準備を進めてきた沖縄の若年シングルマザーの保護施設「おにわ」に丸ごと使える!と思いましたね。品がなくて申し訳ありませんが、そのシェルターは今日(取材当日、2021年10月1日)オープンして支援を募っているところなので、賞金をそちらに使えることが嬉しかったです。正直に言うと。
でもこのシェルター運営は、自助でやるには重い事業だと最初からわかっているので、どこかのタイミングで公助に持っていって国に予算を出してもらうつもりです。沖縄は自助も公助ももう限界。こんな大変なこと民間でできる状況ではないのですが、すごく大変な女の子たちが今もたくさんいて、これはもう場所をつくるしかない、つくらないとダメだと思ったのではじめました。
前作『裸足で逃げる』では、性暴行、DV、貧困に苦しみ、風俗で働きながらなんとかその状況から抜け出そうとする少女たちの素の言葉が綴られている。一方、今回の『海をあげる』に登場するのは、小学生時代に長く実父から性的虐待を受けたトラウマから抜け出せない七海。沖縄で彼女に援助交際をやらせて稼いだ後、自分も東京でホストとして稼ぎながら両親や弟妹に送金する状況から抜け出せない和樹。2人とも出口が見えない。
誰かを落として誰かと瞬時につながるゲームみたいな
――『裸足で逃げる』(2017年)を書いた頃から4年半が経ち、少女たちの変化を感じる部分はありますか?
前作を書いたときよりも、しゃべらなくなっている子が増えていますね。『裸足で逃げる』を書くときに話を聞いたキャバ嬢たちは、女同士の世界で揉まれてトレーニングされているので強いんです。友達のことを守るのも当たり前で、友達が傷つくようなことを他人にバラすこともなかった。
でも今の10代は、ピアグループ(年齢、境遇、社会的立場が似ている同質の仲間)がなくなってきて、友達の秘密を平気でバラす子も多い。これは数年前にはなかったことで、人とのつながり方も影響しているように思います。
今の10代半ばの子たちは、誰かのことを悪く言って落とすことで、人とつながろうとする傾向があるんですね。「これ素敵だよね」って言うより、「アイツやばいよね」みたいな話をしたほうが、人と早く強くつながれて、秘密を打ち明け合っているような感じがするんでしょう。それだけにつながりが弱くて、誰かを落として誰かと瞬時につながる戦略ゲームみたいになっているから、裏切りも多い。
でもそれは、その子たちが悪いわけではないんです。彼女たちもやりたいことができずに虐待や貧困に苦しみ、思春期にはもう自分で生活しないといけなくなるから、そうなってもおかしくないよね、と思いながら話を聞いています。
――『裸足で逃げる』の反響の大きさで少しは変わるかなと思いましたが、少女たちを取り巻く状況はむしろ悪くなっていると?
前作を出したときは私も、少しは社会がいい方向に変わるだろうなと思っていたんです。でも、まったく変わっていないどころか、コロナ禍で状況はますます悪くなっています。それはやはり、政治によってひどい状況が更新され続けているから。そんななかで今回の受賞だったので、「やっぱりできることはあきらめないでやっていこう」と。そういう意味としていただけた賞なのかなと思っています。
「海に土を入れたら、魚は死む?ヤドカリは死む?」
『海をあげる』が発売された直後にも、嬉しいことがありました。柴山さんと一緒に、書店にあいさつをしてまわったとき、書店員さんたちの感想を聞いて、「こんなにも丁寧に正確にメッセージを読み取ってくれる読者がいるんだ!」とびっくりしたんですね。
ある書店員の方は、「言葉がどんどん破壊されていることにものすごく苛立ちを感じる」とおっしゃっていました。「身の回りで起きている出来事は私とは違うけど、受けているダメージは同じなんだな。ちゃんと届いているんだな」と思いましたね。
――言葉が破壊されている。たとえばどういうことでしょうか。
私たちの必死の訴えがどんどん無効化されていく、というのでしょうか。茶化されたり、冷笑されて終わってしまう。特に政治の世界はそういうことが多いですよね。
最近、また私の怒りがピークに達したのは、今年のオリンピックの最中に、辺野古の珊瑚礁が移植されたことです。世の中がオリンピックで盛り上がっている間、その他の報道がほとんどされない時期を狙ってこそこそと、しかもボンドみたいなので珊瑚礁をくっつけただけで。そういうことを平気でやる政治のあざとさや狡さには、本当にもう耐えられないです。
2018年12月14日、新基地建設のため辺野古に土砂投入がはじまってから、上間さんは何も書けなくなった時期があった。柴山さんから「SNSに書いているような目の前の日々を書いてみては」と言われ、ようやく書けたのが『海をあげる』に収録されている「アリエルの王国」だ。
――「アリエルの王国」で、まだ幼く言葉が拙い娘さんが、「海に土を入れたら、魚は死む?ヤドカリは死む?」と質問するシーンに胸が締め付けられる思いがしました。
辺野古は本当に豊かな漁場なので、「戦後は辺野古があったから死ななかった」とみんな言っています。その海に土砂を投入する光景を間近で見たときは、大切な親友がまざまざと性暴力を受けているさまを見せつけられたような感覚でした。
女性の性暴力をメタファーにして語りたくないけれど、身体感覚としてその表現が一番近かったですね。「アリエルの王国」は、今読み返しても泣きます。これはだから、怒りながら書いた本なのです。特に最後のエッセイの「海をあげる」は、果たし状のようなつもりで書き上げました。
インタビューのみ先行してオンラインで行った。上間さんは住まいのある沖縄から応じてくれた。(写真:高橋宗正)
「海をあげる」には、1995年に起きた12歳の少女の米兵集団強姦事件に対し、沖縄県民8万5千人が抗議運動を起こした話が出てくる。そして当時、東京の大学教員の男性が、沖縄の怒りのパワーを感じるために「会場に行けばよかった」と他人事のように口にする。その言葉を聞いた上間さんは言葉を失い、引き裂かれるような思いでいる沖縄の人たちに代わって「ならば、あなたの暮らす東京で抗議集会をやれ」と心で思うのだ。
今も米軍による犯罪は絶えることがなく、1972年に沖縄が日本復帰して以降、米軍関係者による凶悪犯罪は581件、摘発が6052件起きている。
今みたいなひどい状況を子どもたちには渡せない
――「海をあげる」は、沖縄と本土の間にある「距離」を象徴している話です。私も強い怒りを感じるとともに、本土に住む1人として申し訳ない思いでいっぱいになりました。
私もあの話を書いたときは、「もう絶対に許さないぞ!」という気持ちだったんです。そしたら、原稿をすべて読んでコメントもくださった柴山さんから、しばらく経って「あとがきを書いてほしい」と頼まれたんですね。怒りの手紙を渡して終わるつもりだったから、ちょっと迷いました。
でも、この本を手にとってくれる読者のことを考えたとき、日常生活を大切にしている人々の幸せを第一に考えない政治に憤ったり、悲しんでいる人がきっと手に取ってくれるはずだ、と。そういう人たちに、怒りの手紙だけ渡して終わるのは違うなって気がつきました。それだけに、「あとがき」を書くのに一番時間がかかりましたね。
今みたいなひどい状況をそのまま子どもたちには渡せない。この本を読んでくれたあなたもきっとそうだと思う。そんな思いを込めて「あとがき」まで書いたから、きっとたくさんの人がこの本に反応してくださったのだと思います。
――「きれいな水」というエッセイでは、普天間にあるご自宅の上空を米軍の飛行機が100デシベルの爆音を上げて飛ぶたびに、娘さんが怯えて泣き叫ぶこともあること。地元の湧き水や水道水から、米軍基地で使用された有毒物質が検出されたこと。そんな命を脅かすような現実が、沖縄の日常であることを淡々と綴られています。
普天間基地の中には、飛行機が飛ばないエリアがあるんですよ。理由は、(基地の中に)学校があるから。でも、地元の子どもたちが通う学校の上空は、普通に外来機が飛んでいます。そういうことを知ると、「ああ、やっぱり植民地なんだな」と思わざるをえない。だからといって、沖縄のどこに逃げればいいのかもわからない。東京の人も大阪の人も同じだと思いますけど、そもそも住んでいる場所はそう簡単には変えられませんから。
それと、沖縄の問題に関する報道がなくなってきているので、私はここに住み続けて、沖縄で起きていることをちゃんと目撃しながら生きていかなくちゃいけない。でもここでの生活に、子どもを立ち会わせるということは、やっぱりとんでもないことをしてしまっているな、という思いはあります。
いつも「ままならないもの」がやってくる
――アメリカ軍に追い詰められた沖縄の人たちが身を投げて集団自決した喜屋武岬。そこを訪れた東京の人が、「この青さだったら、飛び降りるんじゃなくて、泳ぐでしょう」と言った話にも唖然としました。本土を守るため約20万人が犠牲になった沖縄の歴史を知っていたら、そんなことは言えないと思います。
喜屋武岬に行くとまだ骨が残ってるんですよ。だから娘と行ったときは、「ここから飛び降りて死んだ人がたくさんいるんだよ」という話もします。毎年、6月23日の慰霊の日も、礎(平和祈念公園にある戦没者の名が刻まれた礎)に行くんですけど、お供えものにヤクルトとかあると娘がびっくりするんです。「なんで?」って。
「戦争でちっちゃい子どももたくさん死んだんだよ」と話しますけど、土砂投入の話をしたときもそうで、娘は聞いた話とは別の空想の物語をつくり出すことで、つらいことを乗り越えようとするんですね。その物語を聞いて私もさらにつらくなる......ということの繰り返しで。それこそが私の痛みの本質なのです。
――沖縄の絶望的な現実と、娘さんの希望に満ちあふれた姿が対照的で、どうすれば子どもたちを安心して育てられるようになるのか考えさせられました。
そうですよね。沖縄の海は絶望の海なんです。だからこの島を、単に海がきれいで居心地がいい場所だと思ってほしくないという憤りはあります。ただ、自分の怒りを鎮めて気持ちを分節化すると、怒っているんじゃなくて、悲しんでいるんですよね。悲しい、悲しい、悲しいな......って。
こんなにも美しい島で、子どもを伸び伸びと安心して育てたいけれど、いつも「ままならないもの」がやってくる。私たちが守りたいものを、権力が無惨にも潰して破壊してしまう。そんな世界を子どもたちに渡したくない。絶対に渡したくないです。
沖縄の少女たちの調査・支援を続け、本を書き、若年シングルマザーのシェルターを作り、社会に訴え続けることで、「私たちがここに存在していることを伝え続けていきたい」と上間さんは最後に語った。
『海をあげる』の「あとがき」には、「(読者のあなたに)私の絶望を託します」とある。絶望を受け取った私たちにできることは何か?人に伝えること、言葉を破壊させないこと、選挙に行くこと、何でもいい。自分にできることをやって変わった世界を、子どもたちに渡したい。生きている間にそういう世界を見てみたい。