Media Watch2017.12.14

「みんながより幸せな人生を歩めるきっかけに」 江川紹子さんが記事に込める思い

『江川紹子』という名前を見て、どのような活躍を思い浮かべるかであなたの年代がわかるかもしれません。30代~40代の方ならオウム真理教の取材、もう少し下の世代ならテレビのコメンテーターとして発言する姿でしょうか。

その江川さんに、今年の「Yahoo!ニュース 個人」オーサーアワードが贈られました。

(12月12日に開催されたオーサーカンファレンスにて)

これまでに配信された主な記事をご紹介します。

長年取り組んでいる「刑務所問題」についての記事はどれも大きな反響を呼びました。もちろん、オウムの問題も。

主にテレビや新聞、雑誌などで活動されてきた江川さんはいま、ネットメディアも活用しながら意見を発信されています。お父様の思い出話からメディアのあり方まで幅広く伺いました。

「父が亡くなってからは人の評価なんてどうでもいいやって」

(インタビューの様子)

これまでの経歴から勝手に「厳しそうな人」というイメージを持っていましたが、ご本人はとても気さくで笑顔のすてきな方。インタビューはお父様の話から始まりました。江川さんの父、故・江川周(まこと)さんは元産経新聞記者。江川さんもかつては神奈川新聞で記者をしていました。

――新聞記者を目指したことにお父様の影響はあったのでしょうか

それはなかったですね。父の姿を見て記者という仕事を好きになることはありませんでした。珍しく家にいても調子が悪くて寝ていたりとか(笑)。

――書いた記事への反応を気にすることはありますか

最近は「人の評価なんてどうでもいいや」と思うことがあって。3年前に父が亡くなってからですね。新聞などに私の署名記事が載ると、父はとても喜んでくれたんです。それを心の支えにして書いていたのかもしれません。でも、父がいなくなってしまったいまは評価はさておき、やりたいことをやろうと開き直っています。何かしら反応があるだろうなと予想はしますが、あまり気にしません。

(1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄テロが発生。当日の神谷町駅の様子。写真:Kaku Kurita/アフロ)

江川さんの名前が広く知られるきっかけとなったのは、1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」をはじめとする、オウム真理教が起こした一連の事件。教団からの脅しにも屈しない行動力と反論を許さない綿密な取材力。それらは解明不能と思われたオウム事件の全貌を解き明かすきっかけとなりました。

――オウム真理教の取材には積極的に関わっていったのでしょうか

自分から進んで取材に入っていったわけではなく、オウムとは関係のない冤罪(えんざい)関係の取材がきっかけでした。ある記事に「人権問題に詳しい」という説明付きで私の名前が紹介され、それを見たオウム信者の親から「娘が行方不明で連絡が取れない」と相談の電話がかかってきたんです。そこからですね。

――刑務所取材を始めたきっかけは

2002年10月に発覚した名古屋刑務所での受刑者死亡事件をきっかけに「行刑改革会議」というものが作られました。法律の専門家に交じってマスコミ関係者も参加することになり、私にも声がかかったんです。それが「刑務所問題」と向き合うきっかけになりました。裁判が終わったら事件は終わりという印象がありましたが「ああ、その先があるんだな」と気づき、それから全国各地の刑務所巡りを始めて、高齢受刑者や刑務官の労働状況などの問題を知ることになりました。

(受刑者への取材の様子)

シンプルさを求めすぎる現状に危機感

――テレビや新聞、雑誌など、いまのメディア環境をどのように捉えていますか

「わかりやすさを求めすぎる」傾向が続いていますね。わかりやすさを最優先にして、物事を単純化するために何かを切り落とす。私は、そこで失われるものは大きいと考えています。シンプルの行き着く先は「白か黒か、いいか悪いか」の二元論。人間の頭も単純になってきているように思います。スピード感が評価されるのは悪いことではありませんが、やり過ぎると「すぐに結論を出せ」の声が大きくなります。

たとえば私が「へえ~」と感じたことをツイートしても、反応はいいか悪いかに関するものが多いんです。そんな単純ではない価値観や考え方や感じ方がいっぱいある。そういうことをたくさん話ができるような状況でこそ、人間は意見を作り、同情や反感などの感情を持つことができる。シンプルさを求めすぎる現状には危機感を感じますね。「わからないものはわからない」と状況をそのまま出すことも大事。「Yahoo!ニュース 個人」はそれができる場だから好きなんです。

――オウム真理教の若者たちにも二元論的な思考がありましたね

そうですね。彼らにとって麻原彰晃の魅力は「何を聞いても即座に答えを出してくれる」ことでした。周囲の大人たちは誰も答えてくれなかった「生きがいや生き方」についても教えてくれた。どんな複雑な問題でもすぐに答えを出してくれたので頼もしく感じたそうです。もちろん、麻原の目的は別にあったのですが。

――それはいまの若者たちにも通じる性質なのでしょうか

いや、若い人たちだけではないでしょう。「ネトウヨ」の問題やネットでの中傷事件を掘り下げていくと、中高年の方がその傾向が強いように感じます。問題の本質は若者ではないのかもしれない。

――インターネット上では「新聞やテレビの報道は信じない」という声も目立ちます

ネットで声が大きい人たちの「極論」に反応しすぎないことです。彼らが「メディアは信用できない」と言うのは「メディアが嫌いだ」と同じ意味。言葉をねじ曲げているだけ。肝心なのは、メディアへのもやもやとした不信感を持った多くの人たちの不満をすくい取っていくことです。

SNS時代の情報収集、発信方法とは

――ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及で取材手法は変わりましたか

ネットを利用することで新しい取材ができる可能性があります。御嶽山噴火(2014年)の取材で、あるメディアがツイッターを使って山にいた人たちを探しました。その人たちと連絡を取ることで、災害が起きたときの画像だけでなく証言を得ることもできる。また、ツイートをただ転載するのではなく、それを足がかりにして現場に足を運んで多くの人に話を聞くことでとても綿密な取材となり、完成した内容もすぐれた内容になりました。

私も、ツイッターで意見をもらった人たちとやりとりをすることで新たな視点を得ることがあります。先日、喫煙問題でツイートをしたところある人から返信がありました。その人が育った家庭環境を知るうちに「たばこは子どもにとってよくない」という当然の前提から、「ヘビースモーカーの家庭で暮らさざるを得ない子どもの問題」、「たばこを吸う親へのサポート」など、さらに深掘りをしていくことができました。ネット上の情報は玉石混交ですが、ときに宝物が見つかります。それを探り当てるまでの「根気強さ」が必要。

(愛用のタブレットでニュースやSNSをチェック)

――ツイッターを使い始めたのはいつ頃から

2010年の2月からです。最初は「どういうことができるかやってみよう」という実験的な気持ちからでした。裁判レポートをやってみたところフォロワーが急に増えた。「裁判に興味がある人がこんなにいるんだ」と驚きました。

――「Yahoo!ニュース 個人」で発信する意義とは

記事の長さを自由に決められて、企画も気軽にできるのがいいですね。Yahoo!ニュース トピックスなら記事の下に自分の記事がリンクされていることもあり、意外なタイミングで意外な読まれ方をするのもありがたいです。

――記事を通して伝えていきたいこととは

批判記事でも、明るい話題の記事でも、「みんながより幸せな人生を歩めるきっかけになって欲しい」という思いで書いています。社会を批判するような記事には「こういう不正のない社会を作りましょう」という訴えがありますし、読む人たちを励まし、希望を与えるような記事があってもいい。現実社会は甘くはないですが、志高く、優しい人たちが懸命に生きていることを伝えていきたいですね。

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