Yahoo!ニュース

【塀の中の摂食障害】知られざる女子刑務所での壮絶な闘い

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
栃木刑務所の作業工場の食堂で

「食べない人は、一切食べようとしない。水が入ることも拒否する人がいるんですよ。食べるけど、その後に吐く人もいます。食べない人に『食べなさい』と言っても、食べない。そのままにしておくと弱ってしまう。本当に困っています」

 そう語るのは、栃木刑務所統括矯正処遇官の野田雅子看守長だ。栃木刑務所は、日本で最大規模の女子刑務所。摂食障害受刑者の数も、最も多い。

栃木刑務所
栃木刑務所

 全国の女子刑務所では現在、拒食や過食を繰り返す摂食障害の患者の数が増えている。その現状や背景などを4回にわたって伝えるシリーズ2回目の本稿では、症状の重い患者の状況とその対応に当たる刑務官や医師らの悩みについて伝えたい(参考:シリーズ1回目の記事)。

「認知の歪み」とこだわり

 野田によると、摂食障害の受刑者に、自分の状態を認識させるところから、刑務官たちの苦労は始まる。

「見た目はガリガリなのに『私は太っている』と言うんですね。鏡を見せてもダメ。私と手の太さを比べて、半分くらいの細さなのに、『私の方が太い』と言い張って聞かないんです」

摂食障害受刑者の対応について語る野口雅子看守長
摂食障害受刑者の対応について語る野口雅子看守長

 摂食障害患者の治療に取り組んできた鈴木眞理・政策大学院大学教授によれば、それは「認知の歪み」に起因する。摂食障害患者の頭の中では、現実がそのまま投射されるのではなく、自分だけが太っているかのように認識されてしまうのだ。摂食障害患者に、自分の分としてご飯をよそわせると、ご飯茶碗にほんの数口分しかよそわず、それで本人はあたかも丼一杯分を盛ったように感じてしまうことがよくある、という。彼女たちには、ご飯の一粒一粒が、現実の何倍も大きく見えてしまうようだ。それは、彼女たちのカロリー摂取への恐怖心を反映しているのだろう。

 極端な低体重に陥ると死に至る危険性がある。刑務所や拘置所などの刑事施設でも、かつて拒食の収容者が死亡した事例があり、特に気を遣う。どうしても食事を拒む場合には、医師が診断し、点滴をしたり、鼻から管を入れて胃に直接栄養を送り込む、いわゆる鼻注を行う。

 摂食障害の人は食べ物には強いこだわりがある。拒食でやせすぎな人もそれは同様。食べる代わりに料理本や料理番組を見たり、あるいは他人に食べさせたがる。料理やお菓子を作っては家族に無理やり食べさせたり、栄養士や調理師を目指す人も少なくないと、鈴木は言う。

 そういう彼女たちにとって、点滴や鼻注は、食べ物を味わうこともできず、無理やりカロリーを体内に入れられて太らされるという、最も忌むべき行為。激しく抵抗し、大暴れに暴れるので、刑務官が何人も動員され、体を抑えつけなければならない。

すさまじい特有の異常行動

 こうした”壮絶な闘い”のほかにも、摂食障害の受刑者特有の異常な行動に、刑務官たちは悩まされている。野田に、そのいくつかを挙げてもらった。

受刑者の居室で声をかける野田看守長
受刑者の居室で声をかける野田看守長

【食べ物の貯め込み】

 摂食障害患者には、貯め込み癖のある人が少なくない。食べ物が常に手元にないと安心できず、自分の家では戸棚にジャンクフードをぎっしり貯め込んでおく人もいる。

 しかし刑務所では、食べ物は徹底的に管理される。食事時間が終われば、食器は速やかに片付けられ、残飯も処理される。食べ切れなかった分を、手元にとっておくことはできない。未決囚が入る拘置所とは違って、お菓子などを売店から購入することもできない。服役態度がよい者には、時折お菓子を食べる機会が与えられるが、それもその場ですべて食べ終えるように指示される。

 そういう規則があるのは知りつつ、食べ物をこっそりとっておき、貯め込む摂食障害受刑者がいる。たとえば石鹸箱にご飯を詰めて隠しておく。おにぎりのように固めたご飯を、バケツの中や、排水溝がある流しの下の扉の中など、見えにくいところに並べておく。中には、トイレの便器に隠す者もいる。

「汚いとか不衛生という感覚がないのか、見付かると本人たちは『後で食べようと思っていました』と言います」(野田)

 こうした異常な感覚からも、深刻な病理がうかがえる。

【反芻】

 一度食べた物を、口の中に戻して、再び咀嚼する行為。食べ物が自由に手に入らず、過食嘔吐ができない刑務所ならではの現象だ。

「お昼休みが終わって、午後の作業が始まったのに、口をモグモグしている人がいる。なんで口を動かしているのかなと思ったら、口の中にドロドロしたものがある。『ごっくんしなさい』と言って飲み込ませる。本人はたいてい、『見つかっちゃった』という感じで、『へへへ』と決まり悪そうにしています」(野田)

 過食嘔吐の摂食障害受刑者の中には、このように手を使わなくても、自由に胃の中の物を戻せる人がいる。一方、指を喉に入れないと吐けない人の中には、洗面器の胃の内容物を吐き出し、それを飲む者もる。

 一般の人には、想像するだけで気分が悪くなる光景だが、そういう普通の感覚が萎縮しているのも、重症の摂食障害患者の症状と言えよう。

【嘘】 

 本人の認識は不明だが、職員側からすれば明らかに不自然な言い訳をする。たとえば、1人部屋にいる受刑者が、食べ物をこっそり取り置きして隠しているのを見付かっても、「前からありました」とシラを切る。

 「あなたが入る前はちゃんと点検したし、ここにはあなたしかいないんだよ」と言い聞かせても、「でも、前からあったんです」と言い張る。そういう時は、議論しても仕方がないので、「あなたのじゃないなら引き揚げるね」と言って片付けることにしている、と野田。

医療を嫌う

 また、トイレで吐くのを防止するため、医務課から食後2時間はトイレに行かせないように、と指示が出ている受刑者もいる。トイレのない別室に隔離したり、どうしても行きたいと言う場合は、職員がトイレ個室の前まで付きそう。

 その際、明らかに吐いているのが分かっても、本人は頑として「吐いてませんよ」と認めない。あるいは、「食べ過ぎで胸焼けした」と言い訳する。「医務室に行ってみる?」と水を向けると、それは頑として拒否。

 社会においても、医療を拒む摂食障害患者は多い、という。たいていの病では、痛みや苦しさなどを軽減させるために、患者の方から医療機関に出向くが、摂食障害は逆。拒食や過食嘔吐という異常な食行動に逃避して、つらい現実を忘れようとしているのに、治療によって現実に向き合わされるのは、彼女たちにとって苦痛以外の何ものでもない。なので、「私は病気じゃない」と言い張る。

折り合いに悩む刑務官

 刑務官たちは、居室や刑務作業の工場の配置にも気を遣う。摂食障害の受刑者は他人と自分を比べたがる傾向があり、とりわけ同じ摂食障害者受刑者を近くに置くと、互いに意識して相手よりやせようと競い合ってしまいがち。なるべく分散して配置するが、「摂食障害の人が増えているので、1つの工場に何人か置かなければならない」という悩みもある。

 ただ、「摂食障害の人は、自分なりの手順ややり方にこだわるところもありますが、作業はきれいで丁寧にやります」という一面も。

 以前、野田がどうしても食べない受刑者を「食べなさい」と叱ったら、さらに意固地になってしまったことがある。医務課に助けを求めると、看護師がやさしく語りかけて、少し食べさせることができた。この経験をして以来、「怒ってもダメだなと思い、幼稚園児を諭すように話すようにしています」という。

 それでも、嫌なことを強いられていると思う摂食障害受刑者と、刑務官が誤解なく意思を疎通するのは容易でない。その一方で、摂食障害の人には、愛情に飢え、「人にかまって欲しい」タイプも少なくない。心を許した刑務官には、自分の生い立ちなどを語り始めると止まらない、という。

 栃木刑務所では、外部の心理カウンセラーを招いて、こうした摂食障害受刑者らの相談に乗ってもらうようになった。法務省は、摂食障害受刑者の対応について、刑務官を対象に研修を行うようになった。それでも、一般の刑務所では難しさを感じることがある。野田は、ためらいがちに、その悩みをこう語った。

「刑務所では、治療は難しいのかな……と思う。治療を求められても困るな……というところもある。摂食障害は病気と分かっていても、ここは刑を執行しなきゃいけない所でもあるし、そこの折り合いが難しい。正直、この人は刑務所より病院じゃないか……と思うケースもあります」

画像

低栄養状態に対応するので精一杯

 刑務所にも医師はいる。しかし、矯正施設で働く医者の数は不足気味で、専門外の医師が摂食障害受刑者にも対応しなければならない。しかも、刑務所の医療には、一般の医療施設とは異なる制約もある。

 栃木刑務所の医務課長田中幸治(48)=仮名=は、元々は産婦人科が専門だが、刑務所に来る前に離島での医療を9年間担い、そこで、ほとんどすべての科目に対応する経験を積んだ。

 刑務所の医療行為は、離島でのそれとは、やり方が180度違い、「最初は戸惑った」という。

 離島では診療所内での会話だけでなく、道で出会った人に相談をされるなど、患者と医師の距離が近い。島民の状態はたいてい情報として入ってくる。なので、「『病気』を診ているというより、『病気の人』を診ることができた」という。「眠れない」という訴えがあれば、「この人は親の介護で苦労しているから」とか、「この子は彼氏と別れたばかりだからな」などと、背景事情が分かったうえで対応できた。摂食障害の高校生とは、交換日記をして、その時々の状態を把握し、悩みを聞き、相談に乗った。

「本来は、そうやって患者さんと信頼関係を築いたうえで治療を行いたい。信頼関係築くのに、私的会話は必要です。でも、ここ(刑務所)では、私的な会話はだめですから……」

 刑務所では、受刑者との間で私語は慎むようにと言われている。田中は着任当初、患者にじっくり話をしようとして、刑務官から止められたこともあった。

 異常な食行動についての情報は、拘置所などからの申し送りがある。受刑者に対応している刑務官からも、異常があれば報告される。摂食障害と診断される受刑者の対応は、専門医がいる北九州医療刑務所が作成した指針に沿って、食事の量や運動量を制限したり、栄養剤を処方したりするほか、非常勤の精神科医が診察を行う。

 ただ、患者の人生の悩みなどをじっくり聞き、現実に向き合わせるための根本的な治療ができる環境にはない。

 田中は言う。

「医療刑務所なら治すことに集中できるが、(一般の刑務所である)ここでは、我々は摂食障害を治すというより、低栄養状態を治している感じです。そうやって体重が増加しても、摂食障害が治ったかどうかは分からない。一見、体は健康そうになった人はいるが、摂食障害はそう簡単には治るものではない。本当に治そうと思えば、患者と密な関係を作らなければ難しい。でも、ここは医療施設ではなく刑事施設。病気を治すための場所ではないんです。医師としては治してあげたいし、もう少し関わりたいが、(他の受刑者と対応に)不公平感が出てもいけない。ジレンマを感じます」

 治療のための食事量や運動量などの制限が、虐待と受け取られて裁判を起こされることもある。医師としての悩みは尽きない。

画像

ある重症患者の場合

 症状が悪化し、体重が30kgを切るなど、生命の危険が生じた場合は、受刑者を医療刑務所に送る。

 私が栃木刑務所を訪ねた時、医療刑務所での治療で、状態が改善し、戻ってきた受刑者がいた。

 本人曰く「50代半ば過ぎ」のC子だ。彼女が語るその人生は壮絶で、刑務所における異常行動も凄まじいものだった。

 摂食障害の発症は中学3年生の時。当時、憧れていた男の子がいた。それを知ったための照れ隠しなのか、彼が教室の黒板に、C子の名前に加えて「チビ、デブ、ブス」と書いた。

「本当に傷つきました」とC子。

 その後、学校に行けなくなり、自室に引きこもった。「気持ちが悪い」と食事にも手を付けない。空腹にがまんできなくなると、リンゴをかじった。食べるのは一日リンゴ1個だけ。それも、食べるとすぐに指を喉に突っ込んで吐いた。

 母親が心配し、病院に連れて行ったが、「原因は分からない」と言われた。50キロ近くあった体重は37キロ余りに減った。それまでは活発な女の子で、水泳の選手でもあったが、体力が落ちて泳ぐどころではない。C子自身も、「やせること以外は、もうどうでもいい」気持ちだった。

画像

 徹底した拒食によって飢餓状態になった体は、食べ物を求める。水を大量に飲んでスムーズに吐くやりかたを覚え、一気に過食に転じた。以後、大食いしては吐き出すことを繰り返した。

盗んだお金で食べて吐く

 そんな時、繁華街でスリ犯が人の財布を盗む現場を目撃した。

「こんなに簡単にお金が盗れるんだ。私にもできるかな……」

 やってみたら、成功した。そのお金で、たらふく食べて、吐いた。ただ、その後はやるたびに捕まり、少年院に2回入った。成人後は刑務所で服役を重ねる。そこで知り合った人に教えられ、出所に性風俗店で働くようになった。稼ぎはよく、盗みは止んだ。

 結婚し、長女を産んだ。依然やせぎすで、生理もあったりなかったりが続いていたので、「私にも生めるんだ」と驚いた。ところが、夫はまもなく自殺。再婚したが、相手の男はすさまじい暴力をふるうDV夫だった。やはり子どもを2人もうけたが、あまりの暴力に、とうとう逃げ出した。水商売をしながら子どもを育てた。体を壊して店を辞めざるをえなくなってから、再びすりや万引きに手を出すようになった。刑務所は若い頃も含めると、今回が6度目だ。

床をぺろぺろ舐める

受刑者にインタビューする筆者
受刑者にインタビューする筆者

 刑が確定する前、拘置所で食事を拒否して激しくやせた。体重が30キロを割り、生命の危険があるとして八王子医療刑務所へ。食事を拒んだり、吐いたりするため、ベッドに拘束されて、看護師に食べさせられたこともあった。それがイヤで、できるだけ吐かないようにした。それで症状が改善したと思われたのか、刑の確定後、栃木刑務所に移管された。

 摂食障害治療の専門家がいる北九州医療刑務所の指針で、一般刑務所でも行動制限療法が行われており、摂食障害の受刑者は、食事量や運動量を減らし、症状が改善するにしたがって増やしていく。C子は、食事量は半分、甘い物は禁止になった。栄養を補うための、液体栄養剤も処方された。

 C子は不満を募らせた。食べ物への執着が強く、常に何か口にしていないといられない。出されたわずかなご飯を食べては食器に吐き出し、それを飲むという異常な行動を繰り返した。看守から注意され、「ぼろくそに言われた」と恨んだ。

 こうした異常行動を防止するため、食後はトイレもテレビも布団もない別室に移され、2時間、看守の監視下で待機させられた。栄養剤を飲んだ後も、やはり別室待機を命じられ、C子はぶち切れた。興奮して大暴れし、保護房に移された。

 その保護房で、床に栄養剤を吐き出し、それをぺろぺろなめた。もはや一般刑務所では、これ以上の対応は無理だった。C子は、北九州医療刑務所に移送となった。

ある出会い

 同医療刑務所では、鼻注で栄養を補給された。全力で抵抗したが、10人ほどの刑務官に担がれるようにして治療室へ。それでも抗い、胃に入った栄養剤を、口から吐き出した。ベッドはべとべとに汚れた。

 死にたくても、常に監視されている状態で、何もできない。その時のC子は「絶望の極致。死ぬこともできない、人生の奈落の底だった」という。そんな彼女の症状は、どうやって好転したのだろうか。

「きっかけは、マリア部長との出会いです」とC子。

 この時に対応した女性刑務官の1人を、彼女はそう呼ぶ。ビートルズの名曲「Let it be」の「私が苦境にある時、聖母マリアが現れて……」という歌詞からとった。

 「マリア部長」はC子に、「そんなことをしていて、苦しくない?」とやさしく声をかけた。

「辛いよ……」

 そう答えながら、C子は「この人は、自分の苦しさを理解してくれようとしている」と直感した。そして、短いやりとりを重ねるうちに信頼感が芽生え、「この人だけに嫌われたくない」という思いが芽生えてきた。

 もう1人、C子が「シンシア担当」と呼ぶ刑務官も、一生懸命声をかけてくれた、という。自分のことを気にしてくれている、この2人に応えたいと思った。

「吐くのをやめてみようかな」

 だが、すぐにはやめられない。取りあえず、反芻だけはやめようと心に誓った。苦しい時期だったが、2人の刑務官に励まされ、「裏切れない」という思いが、C子を支えた。

 それをきっかけに、医師の治療にも協力的になって、症状は少しずつ快方に向かった。

 それにしても、2人の刑務官の、どんな言葉がC子に響いたのか。

「それは、秘密です」

 C子にとっては、第三者には教えたくない、心の宝物なのだろう。

今は普通に食事が取れるようになったC子
今は普通に食事が取れるようになったC子

 彼女が全快したのかどうかは、出所してからの状況を見なければ何とも言えない。だが、あれほど頑固に治療を拒み、異常行動が止まなかった彼女が、今では普通の食生活を受け入れ、体型も普通になり、他の受刑者と一緒に刑務作業もしている。これは、劇的な改善と言っていいだろう。

 いったい、北九州医療刑務所ではどのような対応がなされているのか。次回、詳しく報告する。

(敬称略)

写真:殿村誠士 (一部の写真は、個人が特定できないよう加工しました)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

江川紹子の最近の記事