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殿村誠士

新種に「名前をつける」のは何のため―テヅルモヅルに魅せられて

2018/05/12(土) 09:09 配信

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まるで植物のような、奇妙な外見を持つ海洋生物「テヅルモヅル」。昭和天皇が採集された海洋生物の標本を「新種」とする論文が、この3月に発表され話題となった。国内でテヅルモヅルの新種が発見されるのは106年ぶりという。この論文を発表した東京大学の岡西政典さん(34)は、テヅルモヅルに魅せられ、10年以上も新種を探し続ける「新種ハンター」だ。多くの人が見向きもしない、謎の多い生物にこだわり続ける理由、そして研究の意義を聞いた。(取材・文=NHKサイエンスZERO「カガクの“カ”」取材班/編集=Yahoo!ニュース 特集編集部)

【謎だらけのテヅルモヅル】

今年3月、神奈川県三浦市の三浦半島・油壺湾。気温10度以下、強い風が吹きすさぶ湾内を泳ぐ男性がいる。 何かを見つけ、笑顔で上がってきた彼の手には、うごめくヒトデのようなものが載っていた。

「いましたよ、クモヒトデ! いや、湾内も侮れませんね。もっと潜らないと」

ドライスーツに身を包んだこの男性は、漁師でもなければファンダイバーでもない。 世界でも数少ない「テヅルモヅル(クモヒトデの一種)」の研究家として、この不思議な生物に10年以上関わってきた東京大学の岡西政典特任助教だ。

この3月、ニュージーランドの科学誌「ズータクサ」にテヅルモヅルの新種が論文として発表された。その新種は、昭和天皇が1930年代と50年代に採集された標本が含まれ話題となった。この論文を手がけたのも岡西さんだ。

普段は神奈川県三浦市にある、大学の三崎臨海実験所で研究に没頭する毎日。調査船で外洋に出て網を下ろしたり、海に潜ったりしてテヅルモヅルを探す。

油壺湾に潜る岡西さん(撮影:殿村誠士)

「先月、スキューバで採集されたテヅルモヅルがいるんです。ご覧になりますか?」

大きさは30cmほど。植物の根のようにも見える。手に持つと、思ったより重量感はない。しばらくすると触手のような腕が大きく動き出し、指にからんできた。思いのほか素早い。

「空気に触れて、少しびっくりしているのかもしれません。裏を見ると、真ん中に口があり、そこから腕が5本伸びています。植物のように見えるかもしれませんが、れっきとした動物です」

テヅルモヅルは、ウニやナマコ、ヒトデなどが分類される「棘皮(きょくひ)動物」のひとつでクモヒトデの仲間だ。世界中の海の、潮の流れのよい海底に分布する。移動することは少ないが、いざというときには網のように広がった腕をくねらせ、海底をはうように移動していると考えられている。繁殖方法はおろか、何を主食とするのかさえ、詳しくはわかっていない。

無数の「腕」を持つテヅルモヅル(撮影:殿村誠士)

「心臓もなく、脳もなく、肛門もありません。血管に似たような構造を持ちますが、私たちのイメージする生物とはずいぶん違う。腕は5本で、そこから細かく枝分かれします。この腕を使い、プランクトンなどを捕食しているようですが……」

テヅルモヅルは、浅瀬に生息するものでもほとんどが夜行性で滅多に見つからない。
そのため、生態の解明がなかなか進まないのだ。

「昼間も岩の奥深くに潜み、引っ張り出すのも難しい。これまで何度もスキューバダイビングを行ったり、調査船での採集にチャレンジしたりしてきましたが、捕まえるのは本当に困難です。20日間船に乗ってボウズ(釣果なし)ということもありました」

生物に「名を与える」学問

岡西さんは高知県の出身。子どものころから、自然に囲まれて育った。
「テレビで、冒険もののドキュメンタリーを見るのが好きだったんです。『幻の深海魚を追え!』みたいな番組があるじゃないですか。誰も見たことのない動物を探すなんてロマンですよね」

岡西さんは海洋動物の研究を行う北海道大学の理学部に入学。大学2年生のとき、「分類学」に出会った。
いま地球上に存在する生物のうち、現在200万弱に名前がついている。しかし地球上には少なくとも500万種から1000万種の生物が存在すると言われている。分類学は、人類にとって未知の生物を分類して、新種と分かれば名を与えて認識できるようにする、いわば「生命を吹き込む」学問だ。

「新種を発見できるなんて、すごいじゃないかと思いました。しかも後世に、自分がつけた名前が残る。どうせ生まれたからには、何か証しを残したいと思ったんです」

北海道大学で分類学の基礎を学び、東京大学の大学院に進学。そこで指導を受けた教員に、何をテーマにしたいかを聞かれた。さまざまな海洋生物の写真が載った図鑑をめくっていくと、表面にウロコがあって格好いい「クモヒトデ」という生物が目についた。さらにテーマを絞り込むなかで注目したのが、クモヒトデの一種、テヅルモヅルだった。

中央が岡西さんの「推し」テヅルモヅル(撮影:殿村誠士)

「最初は、なんかグチャグチャしていて難しそうだな、という思いもありました。でも深く知っていくうちに、固い部分と柔らかい部分を併せ持った体の面白さに気づいていきました。なにより、テヅルモヅルについて研究している人が世界中にほとんどいない。自分こそパイオニアになれる余地があったんです」

標本収集からすべてが始まる

岡西さんの研究は、できるだけたくさんの標本を集めることから始まる。自分で採集するだけでは限界があるので、世界中の研究者や博物館に依頼し、所蔵する標本を送ってもらうことも。岡西さんはこれまで、アムステルダム大学やコペンハーゲン大学、さらにはハーバード大学など世界中の研究機関や博物館を直接訪問し、標本の観察や貸し出しの依頼などを行ってきた。

テヅルモヅル研究で有名な海外の研究者から、「大病を患って研究の続行が難しくなった」と連絡があり、所蔵していた標本の研究を託されたこともある。こうして集めた標本は、もはや本人にも数え切れない量になっているが、テヅルモヅル以外のものも含めると、3000体を優に超える。

ずらりと並んだ標本たち(撮影:殿村誠士)

大量の標本を、顕微鏡などを使ってひとつひとつ見ていくのが次のステップだ。すると「体の表面にトゲがあるグループと、そうでないグループがある」など、分類可能な特徴が出てくる。今度はトゲがあるグループだけを調べ、トゲの形が丸いものと三角のものがある……というふうに、順々に仕分けていく。

グループ分けに際し、過去の研究との整合性を文献で確認することも欠かせない。それゆえ、分類学を「文献学」と称する研究者もいる。岡西さんの研究室には、古いものでは200年以上前のテヅルモヅルに関する文献のコピーがある。標本を顕微鏡で見て、また文献を見る。先達の論文から、新たな気づきを得ることも少なくない。

「過去の論文を読むと、その研究者と会話している気持ちになります。研究者たちはこういうことを考えていたのか、それに対して今の僕はどう返せるだろうか、常に問いかけながらの研究です」

これまで報告されていない特徴のあるグループが見つかったら、それを新たに論文として発表するのが最終段階。論文が雑誌に受理・掲載されれば、「新種」として認められる。

昭和天皇採取の「新種」発見時も、調査の手順は同様だった。

「標本の体表に、ごく小さなトゲを見つけました。テヅルモヅルのうち、『ツルボソテヅルモヅル』という仲間は体の表面に突起がありますが、この突起すべてがトゲ形をしたものは見つかっていなかった。そのほかの特徴も鑑みて新種と判断しました」

見つかった新種の和名を、岡西さんは「トゲツルボソテヅルモヅル」と命名した。

トゲツルボソテヅルモヅルの標本(提供:岡西さん)

「何のため」の研究か

岡西さんが講演などで自分の研究を語ると、「なぜそんな研究をするのか?」「何の役に立つのか?」と問われることもある。

分類学は、理論や知見を得ることを目的とした「基礎研究」に当たる。商業的な利益に直接はつながりにくいため、研究費やポストを得る上でも恵まれた立場にはない。しかも相手は「謎に満ちた」テヅルモヅルだ。

ウナギやマグロの研究なら、まだ分かりやすいだろう。それが日々の食卓に載るなど、わたしたちの暮らしに直結しており、イメージしやすいからだ。

テヅルモヅルのように、どんな種がどれくらいいるかすらわからない生物を分類することには、「環境について理解し、その利用可能性を探る」という大切な意義がある、と岡西さんは言う。

「どのくらいの種類の生物がすんでいるのかを正確に把握できれば、その場所の自然環境の豊かさを測れます。埋め立てていいのか、環境保護を推進するかどうかといった判断を下す材料になるんです」

例えばどこかの湾を埋め立てる場合、その環境を本当になくしていいか検討する調査が行われる。その際、どのような生物が何種すんでいるのかも重要な指標の一つとなる。数十種の多様な生物がすむ環境だとしても、その生物たちが分類されずにひとまとめにされたら、貴重さが理解されず開発が進むかもしれない。

「新種を見つけ、名前をつける。名前が混乱している種の問題を解決する。分類学を研究することは、私たちが住む環境がいかに豊かなのかを知ることにつながると思います」

分類学の魅力を語る岡西さん(撮影:殿村誠士)

ファンづくりから広がる未来

テヅルモヅル研究の重要性を理解してもらうのも大変だが、もっと切実な問題がある。研究費、そして研究者という身分の確保だ。

岡西さんの場合、学会や調査のための交通費や標本送付の運送費、標本のDNA分析用の試薬代などに年間70万〜80万円かかる。国に研究テーマが採択されると支給される科学研究費(科研費)が頼りだが、全く採択されなかったこともある。

「その年は予算がほぼゼロでの研究となりました」

また、いま大学や研究機関では期限を定めず所属できる「期限なしポスト」の数が以前より減り、2〜3年の「期限つきポスト」が増えている。岡西さんも大学院を2012年に修了後、京都大学、茨城大学、そして現職の東京大学と2〜3年おきに職場を変えながら研究を続けてきた。

自分の研究を継続させていくために、何ができるのか。岡西さんが考えた突破口は、自らの研究テーマを広く知ってもらい、「ファンを増やす」ことだった。

2012年に「チームてづるもづる」と名づけたサイトを開設し、研究の様子をブログで公開した。テヅルモヅルとは何か、なぜ研究する必要があるのか、自分自身の言葉で語ることを始めた。その内容は、『深海生物テヅルモヅルの謎を追え!』(東海大学出版部)という書籍にもなった。

「チームてづるもづる」の内容は書籍化もされた

2014年には、日本初の科学者向けクラウドファンディングサイト「academist」の立ち上げに協力。「研究者自身がテーマをプレゼンし、研究費を募る」企画の第1号として手を挙げた。岡西さんは笑いながら振り返る。

「賛同者が全く集まらずに恥をかく可能性のほうが高いと思っていました。ただでさえマイナーな分類学の、テヅルモヅルというさらにマニアックな生き物を対象にしているわけですからね」

反応は、いい意味で予想を裏切るものだった。わずか1カ月で目標金額の40万円を達成。最終的には、支援者は81人になり、目標額の1.5倍以上となる63万円ほどが集まった。

科学者向けクラウドファンディングサイトで研究支援を募った

岡西さんは、テヅルモヅルのDNA分析やX線CTによる3次元画像構築(解剖せずに骨を分析できる)を利用した形態観察など、資金を基に新しい手法に挑戦した。そして今年4月、新種の発見に至る。4年越しの成果をまとめた論文には、クラウドファンディングで支援を受けた人たちの名前を掲載した。

「これだけの人が僕に投資をしてくれた、その使命感が4年間の研究を支えてくれました。クラウドファンディングへの挑戦で、新しいことをためらわずに取り入れていくことも学ばせてもらいました」

もちろん、クラウドファンディングでの支援は一時的なものにすぎず、研究費に頭を悩ませる日々は終わらない。しかし、挑戦を通じて得たファンとの交流はいまもSNS上などで続き、研究の支えになっている。

「そうした『輪』のあること自体が、自らの研究のひとつの意義なのかもしれません」

岡西さんはそう思い始めている。

油壷湾を背に(撮影:殿村誠士)

夢はテヅルモヅルだけでなく、世界中のクモヒトデを分類し、きれいな写真と一緒に完全版の「図鑑」を作ること。それを手に取った子どもや学生が海の神秘にワクワクする日を楽しみに、岡西さんは今日も海に潜り続ける。


本記事は「Yahoo!ニュース 特集」とNHK「サイエンスZERO」の共同企画です。今回の内容を特集したサイエンスZEROは5月13日23:30~ Eテレで放送。NHKサイエンスZEROでは、日本の科学の現場を応援するプロジェクト「カガクの“カ”」が進行中。科学に対する疑問・質問、取材してほしい情報などを募っています。ハッシュタグは「#サイエンスZERO」。

[取材協力]湯沢友之

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