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幸田大地

彼女がかつらを脱いだ理由――円形脱毛症と向き合って

2017/08/22(火) 09:53 配信

オリジナル

聖心女子大学 特別研究員 吉村さやか

「円形脱毛症」ほど、病名がよく知られているのに誤解が多い病気もないだろう。皮膚病の一種で生命に危険はないが、容貌が変化することは、患者、とくに女性に大きな心理的負荷をかける。社会学を研究する吉村さやかさんは、どのようにその病と向き合ったのか。
(ライター・山本ぽてと/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(撮影:幸田大地)

小学1年生で髪の毛が抜ける

激辛汁なし担々麺を食べながら、ブログの写真の中でスキンヘッドの女性が微笑んでいる。吉村さやかさんだ。

吉村さんは、脱毛症当事者とその家族へのインタビュー調査を通して、「女性に髪がないこと」について社会学の視点から研究している。自身も円形脱毛症の当事者だ。

吉村さんのブログより

ブログに掲載された写真には、こんな言葉が添えられている。

「頭にあたる風が、こんなに気持ちいいなんて。かつらのなかの汗を気にせずに、汗を拭き拭き、大好きな辛い物を食べるのが、こんなに素敵なことだったなんて。およそ25年続いたかつら生活のあいだには、期待すらしていなかったことでした」
(ブログ「円形脱毛症 当事者研究のあしあと」vol.20 2017/04/01 より)

髪が抜け始めたのは、小学1年生の終わり頃。最初に気がついたのは、毎朝登校前に髪を結っていた母親だった。

「ある日、洗面所の鏡越しに母が泣いているのが見えたんです。(抜けた部分を隠すために)黒い粉状のファイバーをかけていました」

起きると枕に髪の毛が落ち、入浴すると洗面器に髪の毛が浮かんだ。

「クラスメイトにはかつらのことを隠していました」(吉村さん)(撮影:幸田大地)

治療のため塗り薬や、鍼灸、あらゆる民間療法も試した。しかし効果がなく、発症後およそ1年で髪と全身の毛を失った。吉村さんはかつらをかぶって生活をはじめる。

治療は小学校4年生でやめた。

「家に帰ったらすぐにかつらを脱ぐんですけど、そのとき母がサーッてカーテンを閉めるんです。髪がないことは、他人に知られてはいけない、見せてはいけないことなんだと思いました」

つやつやした髪の女性がテレビに映るたびに、

「これが理想の女性なんだ」

と思い、

「髪がないことは忘れよう。私はかつらをかぶったら、ふつうの女の子になれるんだ」

と何度も自分自身に言い聞かせた。

「ふつうの女の人がハイヒールを履いたり、ブラジャーをしたり、ピアスをしたりする。その延長としてウィッグをかぶっていました。そう意味づけることで生きづらさを減らしていた」(吉村さん)(撮影:幸田大地)

それでも、「女性にとって髪とは何か知りたい」という思いが膨らんでいく。大学院に進み、女性の髪について日仏文化を比較しながら研究するが、調べれば調べるほど「女性にとって髪はいのち」と結論が出てしまう。髪がない吉村さんは苦しくなった。

「どうしてそんなに女性の髪にこだわっているの?」

指導教授にそう問われ、吉村さんははじめて、髪がなくかつらを着用していると打ち明けた。驚いた教授から「あなた脱毛症なのね」と指摘され、今度は吉村さんが驚くことになる。

「髪がない状態に名前がつくと思っていなかったんです。今思うと、直視するのがつらくて、調べることを避けていました」

そして、自分の症例が円形脱毛症の「汎発型」であることがわかった。

日本大学大学院の好井裕明教授のゼミで社会学を学ぶ(撮影:幸田大地)

「円形脱毛症」とは

順天堂大学医学部皮膚科学講座先任准教授である植木理恵さんは、「円形脱毛症」は「突然髪の毛や体毛が抜け落ちる皮膚病」と説明する。髪の一部が円形に抜ける「単発型」から、髪と全身の毛が抜け落ちる「汎発型」まで重症度は様々だ。正確な統計はないが、日本国内で20万人ほどいると考えられている。

髪が抜けるのは身体から異物を排除する免疫機能が毛根を攻撃するためであり、他人に感染することはない。なぜそのような免疫異常が起こるのか根本的な原因は解明されておらず、完治療法もまだない状態だ。

「会社でストレスに弱い人だとレッテルを貼られたり、小さい子どもが発症すると親の虐待が疑われたり、うつる病気だと思われ避けられたりと、誤解の多い病気です」(植木さん)

「円形脱毛症を考える会」会報(撮影:幸田大地)

「大した問題じゃない」と言うけれど

2012年、吉村さんは当事者会である「円形脱毛症を考える会」をインターネットで見つけた。すぐに当事者会員として入会し、インタビュー調査を開始。当事者の女性およそ40人から話を聞いた。

「かつらはとにかく暑い。蒸れや汗でかゆくなる」

「温泉やプールは行きづらい。遊園地でジェットコースターに乗れない」

「女友達とのたわいもない美容院の話や、新商品のシャンプーの話についていけない」

「彼氏とベッドに入る時、かつらがズレないようにと気にしてしまう」

「何十万円もするかつらを2、3年に一度は買い替えなければいけない」

髪形が変わらないため、かつらが発覚することを恐れて、仕事を転々とする人もいた。

しかし、それぞれが「大した問題じゃない」と口をそろえた。

「『自分より大変な人がいる』とみんな言うんです。暑いのは我慢して、かつらが高ければ頑張って稼げばいいと。私自身も、問題をないことにして、ふつうの女性として生きようと思っていました」

大学への行き帰りの道中はかつらではなくニットキャップで(撮影:幸田大地)

当事者からも「大した問題じゃない」と言われる生きづらさをどのように研究したらいいのか。そもそも研究すべきテーマなのか。吉村さんは悩んだ。

スキンヘッドの花嫁

そんな中、現在の夫である矢吹康夫さんと出会った。矢吹さんは、生まれつき全身の色素が欠乏しているアルビノ(先天性色素欠乏症)の当事者で、アルビノの経験を社会学、なかでも障害学の視点から研究していた。

障害学では、個人の身体的欠損や異常そのものが「障害」なのではなく、個人が社会とつながろうとするときに生じる問題や生きづらさを「障害」ととらえる。

最初は「髪がないのは障害ではない」と考えていた吉村さんも、次第に考えが変わっていった。

ゼミの仲間と談笑(撮影:幸田大地)

「障害学の視点を通してみると、脱毛症女性の生きづらさは、髪がないことそのものが原因にはなりません。それは、女性に髪がないことを問題視して、隠したほうがいいと要請してくる社会のなかで生じているんです」

「社会学や障害学を知ってからは、髪がないことによって日々感じるつらさを“ないこと”にしないで、まずは“こうつらいんだ”って具体的に言語化していこう、そのことには意味があると、思えるようになりました」

2014年から、当事者会の会報で、脱毛症女性の一人としてこれまでの経験や日々の生活について書き続けている。広く読んでもらおうと、ブログ「円形脱毛症 当事者研究のあしあと」も開設した。

2016年、吉村さんは矢吹さんと結婚した。挙式はスキンヘッドで、披露宴ではかつらをかぶった。

挙式のヘッドドレスは親友とともに手作りした(吉村さんのブログより)

「かつらをかぶることもかぶらないことも、選べるようになればいい」との思いを結婚式に込めた(吉村さんのブログより)

結婚後は次第に、かつらをかぶらずに生活するようになっていく。

「かつらをかぶって“問題がない”生活を送っていては、研究者として本腰を入れ“女性に髪がないこと”を問題化することができなかったんです」

最初は「下着なしで出かけていくような」感覚で落ち着かなかったという。街を歩くと、視線を感じることも多い。かつらを脱ぐことは、今までなろうとしていた「ふつうの女性」を手放すことでもあった。

自分の言葉で生き方を見つけて

「“私は、円形脱毛症という、原因不明で治らない病気。そのせいで、髪がなく、眉毛やまつげ、体毛もほとんど生えてこない。でもそれは、悪いことでも恥ずかしいことでも、隠すべきことでもない”。自分が納得した言葉で説明できるようになったから、私は髪がないままの姿でも生活できるようになりました」

夫の矢吹康夫さんと近所の公園で。吉村さんが選んだスヌーピーのTシャツは矢吹さんのお気に入り(撮影:幸田大地)

吉村さんにとって研究とは、髪がなくても一人の女性として生きていける言葉を見つけることだ。脱毛症女性の言葉を聞き、文字にして整理する。その言葉の蓄積が、髪がない女性たちの、そして吉村さん自身の、生きるための武器になっていく。

「髪がないことで、研究論文も書けるし、職業にもなる」

吉村さんが生み出した、社会をサバイブする方法だ。

(撮影:幸田大地)

吉村さやか(よしむら・さやか)
1985年東京都生まれ。聖心女子大学大学院文学研究科社会文化学専攻博士後期課程満期退学。現在、聖心女子大学特別研究員。専門は社会学、フェミニズム・ジェンダー研究、障害学。「『髪の喪失』を問う」(『障害学研究』第11号、2016年)、「『カツラ』から『ウィッグ』へ――パッシングの意味転換によって解消される『生きづらさ』」(『新社会学研究』第1号、2016年)など。


山本ぽてと(やまもと・ぽてと)
1991年沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社シノドスに入社。退社後、フリーライターとして活動中。現在、社会問題やカルチャーを中心に、インタビューや構成を行う。

[写真]
撮影:幸田大地
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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