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命を操る技術にどう向き合う―― 「ゲノム編集」の現在地

5/12(金) 11:24 配信

受精卵の遺伝子を改変して、生まれる前に難病を「予防」する──。そんな技術を可能にする「ゲノム編集」について、国際的な議論が起きている。遺伝病の予防に道を開くメリットが期待できる一方、未知の副作用を起こす、ひいては人類という種そのものに影響を 与えるリスクもあるからだ。命を操る技術に、私たち一人一人はどう向き合えばいいのか。専門家と当事者の思いに耳を傾けた。(ライター・庄司里紗/Yahoo!ニュース 特集編集部)

日本の体制は道半ば

今年 2 月、米国の科学者で構成される全米科学アカデミー(NAS)は、ヒトの受精卵に対し、ゲノム編集で遺伝子を改変することを条件付きで容認する報告書を発表した。これまでヒト受精卵ゲノム編集の臨床応用(生殖医療応用)に慎重だった NAS の方針転換は世界を驚かせた。

一方、日本の科学アカデミー・日本学術会議の検討委員会は、今年 3 月に公表した素案で 「臨床応用は認めない」との見解を示している。国は4月、出産につながる受精卵のゲノム編集を禁止する意向を明らかにし、基礎研究(臨床応用を目指した、あるいは科学的知見を得るための、実験室のみで行う研究)について国主導によるルールづくりを決定したが、法規制への言及はない。日本は今後、ゲノム編集による受精卵の改変の是非について、どう考えるべきなのか。

狙った遺伝子を“100%正確に”切断できるわけではない

石井哲也・北海道大学教授

石井哲也(いしい・てつや) 1970年、群馬県生まれ。北海道大学で博士号(農学)取得。京都大学iPS細胞研究所などを経て、2013年から北海道大学安全衛生本部勤務、2015年から同本部教授。日本学術会議「医学・医療領域におけるゲノム編集技術のあり方検討委員会」幹事。(撮影:塩田亮吾)

「ゲノム編集」とは、狙いを定めた遺伝子をピンポイントで切断し、意図した通りに書き換える技術です。これまでの「遺伝子組み換え技術」に比べ、ゲノム編集はより正確な遺伝子改変ができるという点で画期的な技術といえます。

とくに、2012年に米国で「クリスパー・キャスナイン(CRISPR-Cas9)」という優れたゲノム編集ツールが開発されて以降、農作物の品種改良から遺伝子治療まで、あらゆる領域でゲノム編集を使った基礎研究が急増しました。そんな期待の新技術がいま論争の的になっているのは、「ヒト受精卵の遺伝子改変」が現実のものになりつつあるからです。

ゲノムとは、生物の細胞内にあるDNA(デオキシリボ核酸)に記録されたすべての遺伝情報のこと。A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)という4種類の塩基が二重らせん構造でペアを組んでDNAを構成しており、その塩基配列のいくつかに遺伝子という「生物の体を作るのに必要なタンパク質の作り方」が記録された、約2万の遺伝子(ひとまとまりの塩基配列)が含まれている。

受精卵は、いわば人間のすべての基になる一つの細胞です。もしゲノム編集を使い、受精卵の段階で遺伝性の病気の原因となる遺伝子変異を修復できれば、生まれてくる子どもの病気や障害を防げる可能性があります。

しかし、編集に失敗すれば、流産や先天異常を引き起こすおそれがある。妊娠中に失敗が分かれば、人工妊娠中絶が行われるかもしれません。また、この技術がより成熟すれば、能力や外見を親の好みに「デザイン」した子どもが「製造」される懸念もある。だからこそ、ヒト受精卵の遺伝子改変は世界中でタブー視されてきたのです。

2015年4月、中国の研究者らがタブーを破ったと大きな騒ぎになりました。世界で初めてヒトの受精卵にゲノム編集を実施したという論文を報告したのです。これは、「βサラセミア」という遺伝性血液疾患を出産前に予防するための基礎研究でしたが、成功率は低く、論文もゲノム編集の安全上の課題を示唆していました。この動きに危機感を覚えた全米科学アカデミーは同年12月、ゲノム編集に関する国際サミットを開催。その後議論を重ね、今年2月に報告書を発表したのです。

「デザイナーベビー」にもつながるゲノム編集には、慎重な見方が少なくない(イメージ:アフロ)

報告書には、ゲノム編集した受精卵による妊娠・出産は「将来的に容認しうる」と記され、大きな反響を呼びました。しかし、よく読むと、この報告書はすぐ医療で応用できるような内容ではありませんでした。

ゲノム編集の目的は、将来生まれる子の福祉のためとみなせる「治療法のない遺伝性難病の予防」に限られ、実施には「社会的な合意」や「徹底した規制と監視が必須」とされています。多くの国では事実上、不可能といえる厳しい条件です。また、サミットの後、米国ではFDA(米食品医薬品局)がこのような臨床応用を審査すること自体が禁じられ、合法的な実施は当面不可能というのが現状です。

実際、ゲノム編集技術には、安全面でまだ多くの課題があります。クリスパー・キャスナインの精度が高いのは事実ですが、現状では狙った遺伝子配列を“100%正確に”切断できるわけではありません。もし間違った箇所を書き換えてしまえば、全身の細胞に悪影響を与え、重大な副作用や別の病気を引き起こす可能性もある。リスクについてのデータ蓄積も十分ではありません。そのような段階で臨床応用を認めるのは時期尚早でしょう。

「生殖医療」や「受精卵の取り扱い」をめぐる日本の規制は不十分だと、石井氏は訴える(撮影:塩田亮吾)

私が幹事を務める日本学術会議の検討委員会でも昨夏から議論を続けていますが、そこで浮き彫りになったのは、「生殖医療」や「受精卵の取り扱い」をめぐる日本の規制の不十分さです。日本では社会全体での議論がないまま、生殖医療の既成事実化だけが進み、いまや世界トップの生殖医療大国です。一方、特別養子縁組の成立数は500件程度。生殖医療に過度に依存する日本の現状を問題視し、検討委員会では、生殖医療を目的として受精卵にゲノム編集を用いることを現時点では認めない方向で調整しています。

国は基礎研究を進める際のルールや仕組みづくりについて「国が責任を持って主導していく」と発表しましたが、法規制については明言されないままです。日本学術会議の検討委員会は、今後、国による研究指針づくり、あるいは社会全体のルールである法規制を強く求めていくつもりです。

石井氏が幹事を務める日本学術会議の検討委員会でも議論が続いている(撮影:塩田亮吾)

4月30日には、提言のとりまとめに向けて広く意見を集めるため、公開シンポジウムも開催しました。当日は多くの参加者が集まり、容認派から慎重派までさまざまな意見が交わされました。国は中途半端な姿勢を改めるべきですが、市民も「ヒトの生命や尊厳とは何か」「どこまで操作してよいか」を議論する時期だと思います。将来の日本社会を変貌させかせないヒトゲノム編集についての決断を、私たちは今、委ねられているのです。

治療の選択肢が増えるのは喜ばしい

加藤さくら・福山型先天性筋ジストロフィー患者家族、親業インストラクター

加藤さくら(かとう・さくら) 英会話スクール勤務を経て結婚。2007年に長女出産。2010年に次女出産、遺伝性の難病と診断される。2014年、家族とともに次女の難病を受け入れて生きる姿を追ったドキュメンタリー映画『えがおのローソク』が全国で自主上映され、反響を呼ぶ。著書に『えがおの宝物』(2015年)がある。(撮影:八尋伸)

私には、遺伝性の難病を持って生まれた娘がいます。病名は「福山型先天性筋ジストロフィー」。しだいに筋力が衰えていく進行性の病気です。症状は個人差がありますが、自身で立つことや歩行を獲得するケースは極めて稀で、脳の障害も伴います。現時点で治療法はありません。

現在7歳の次女・真心(まこ)は、生後6カ月で「福山型先天性筋ジストロフィー」と診断されました。この病気はフクチンというタンパク質を生み出す遺伝子の変異が原因です。両親が二人とも変異した遺伝子を持ち、なおかつ父母両方からその遺伝子を受け継ぐことで発症します。私たち夫婦は、偶然にもこの変異を一つだけ持つ保因者でした。私たちのようなカップルから生まれる子どもが福山型になる確率は4分の1と言われています。

二人とも保因者であるとわかっていて、新たに子どもを望む場合、ほとんどのカップルが受精卵の遺伝子異常の有無を調べる出生前診断を受けています。異常がわかった場合の選択肢は2つ。宿った命を諦めるか、すべてを受け入れた上で産み育てるか。そんな重い決断を、私たち親はいつも委ねられているのです。

私は遺伝性難病の子を持つ親として、もしゲノム編集によって「受精卵の時点で治療する」という選択肢が増えるのなら、それは率直に喜ばしいことだと受け止めています。私の夫も同じ意見です。もちろん副作用などの怖さはありますし、治療の安全性が確実に証明されることが大前提ですが、もしゲノム編集が有効な治療技術であるなら、正しく研究を進めてほしい。そのためには、恩恵を受ける可能性のある私たちがもっと声をあげ、是非をめぐる議論に参加していくべきだとも感じています。

ただ、親としてこうも考えるのです。福山型の起源は、元をたどれば一人の弥生人に起きた遺伝子の突然変異といわれています。そして数千年もの間、その変異は淘汰されず、今に受け継がれている。事実、真心も病気を抱えながらこの世に生を受けました。その理由が解明されないまま、病気は都合が悪いものだからと排除するのは、人類にとってベストな答えなのか……。

病気を抱える娘を、全力で肯定したいと語る加藤氏(撮影:八尋伸)

真心は、今日も彼女なりのかけがえのない生命を生きています。病気さえ自身のアイデンティティの一部として受け入れているかのように、毎日最高の笑顔を見せてくれます。

「健康な体に産んであげたかった」と思わないかといえば嘘になります。一方で、病気を抱える真心を全力で肯定したい。矛盾した思いではありますが、それが親としての気持ちです。

ゲノム編集技術によって取りうる選択肢が増えたとしても、その結果を引き受けるのは、私たち親です。ならば、まずはどんな事情を抱えた家族でも幸せに暮らせる、多様性を尊重する社会になってほしい。当事者たちのいかなる決断もあたたかく見守り、支える社会になることを切に願っています。

確実な安全性評価と法規制の確立を

ぬで島次郎・社会学博士、東京財団研究員

ぬで島次郎(ぬでしま・じろう) 1960年生まれ。社会学博士。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了後、三菱化学生命科学研究所などを経て、2007年から東京財団研究員(非常勤)。臓器移植法案、クローン技術規制法案など政策立案の議論にも携わる。専門は生命倫理と科学政策論。著書に『生命の研究はどこまで自由か』(2010年)、『生命科学の欲望と倫理』(2015年)など。「ぬで」は木へんに「勝」。(撮影:八尋伸)

近年、ヒトの受精卵のゲノム編集研究と臨床応用の是非をめぐる議論が活発になっていますが、このテーマは20年以上前にも同様の議論がありました。

1990年、遺伝子組み換え技術による「遺伝子治療」が米国で初めて実用化。日本でも遺伝子治療が計画された一方で、安全性や「生命の操作」に対する懸念の声が高まりました。これを受けて厚生省(現厚生労働省)と文部省(現文部科学省)は1994年、遺伝子治療臨床研究に関する指針を策定したのです。

日本はこの指針で「生殖細胞(精子や卵子のもとになる細胞)や胚(受精卵)への遺伝的改変」を禁止しました。にもかかわらず、今になって議論が再燃したのは、従来の遺伝子組み換えとは異なる手法のゲノム編集技術について、明確な規定がなかったからです。

こうした指摘を背景に厚労省は今年4月、出産につながる受精卵へのゲノム編集を禁ずるため、指針の見直しを行うと発表しました。しかし、遺伝子組み換えもゲノム編集も、遺伝子を「改変」するという意味では同じ技術です。本来なら指針を見直すまでもなく、受精卵のゲノム編集による遺伝子治療は禁止の対象になるはずでしょう。

ぬで島氏は「日本では生命倫理に関する原理原則の確立を怠ってきた」と見る(撮影:八尋伸)

このような混乱が起きている最大の原因は、日本では生命倫理に関する原理原則の確立を怠ってきたためでしょう。生殖補助医療、出生前診断、再生医療など、新しい技術が登場するたびに、場当たり的なルールをつくってやりすごしてきた結果、日本では医療や研究目的で行われるヒトの精子、卵子や受精卵の売買が法的に禁止されないという大きな倫理的抜け穴ができてしまっています。

かつて韓国では、ソウル大学教授(当時)らによるヒトクローンES細胞の捏造(ねつぞう)事件が大問題となりましたが、事件発覚のきっかけになったのは卵子の不正売買を追う警察の捜査でした。韓国では卵子の売買を法律で禁じていたからです。しかし、もし同様の事件が日本で起きても、現行の法律では摘発の対象とすることはできません。

ヒトクローンES細胞の捏造事件は、韓国で一大スキャンダルとなった(写真:新華社/アフロ)

欧米の状況に目を転じてみると、欧州では欧州評議会が制定した「人権と生物医学条約」(1997年)で、次世代(子孫)のゲノムを改変する行為を禁じています。アメリカでは受精卵のゲノム編集を禁ずる連邦法はありませんが、臨床応用にはFDAの許可が必要で、実施へのハードルはかなり高いといえるでしょう。

日本政府は現在、ヒトの受精卵のゲノム編集を母体に戻さない基礎研究に限って認める方向で動いています。また、海外ではHIV感染やがんの治療を目的に、患者の体細胞にゲノム編集を施す臨床試験がすでに始まっています。しかし、そもそも安全性や精度が確立されていないゲノム編集技術を人間に用いていいのでしょうか。「子孫に伝わる遺伝的改変」だけを議論するのではなく、「患者の体の細胞へのゲノム編集」の是非も、しっかり考えるべきだと私は思います。

まずはゲノム編集技術の安全性と精度の評価を、試験管の中での研究やヒト以外の動物での研究で徹底的にやって明らかにする。そのうえで人間の生命を操作する行為の是非を判断する倫理基準の立法などにより明確にする。あいまいな生命観や文化論に陥らずに、そのような「根拠に基づく政策」を議論することが、生命倫理に対する社会のあるべき姿勢といえるのではないでしょうか。

「『子孫に伝わる遺伝的改変』だけを議論するのではなく、『患者の体の細胞へのゲノム編集』の是非も、しっかり考えるべきだと私は思います」(ぬで島氏)(撮影:八尋伸)


庄司里紗(しょうじ・りさ)
1974年、神奈川県生まれ。大学卒業後、ライターとしてインタビューを中心に雑誌、Web、書籍等で執筆。2012〜2015年の3年間、フィリピン・セブ島に滞在し、親子留学事業を立ち上げる。現在はライター業の傍ら、早期英語教育プログラムの開発・研究にも携わる。明治大学サービス創新研究所・客員研究員。

[写真]撮影:塩田亮吾、八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
[図版]ラチカ

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