撮影:幸田大地

うつ病経験を漫画に 「うつトンネル」の向こうで待っています

5/9(火) 10:22 配信

漫画家 田中圭一

漫画家の田中圭一(55)は、40代なかばから原因不明の不安や恐怖にさいなまれるようになった。うつ病と診断されてから、症状が消えて安定するまで実に10年。「この経験を伝える義務がある」とルポ漫画『うつヌケ』を上梓した田中が、「うつトンネル」の中で苦しんでいる人たちに伝えたいことは――。
(ノンフィクションライター・西所正道/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(撮影:幸田大地)

家まで5分の路上でぼうぜんと立ち尽くす

この1月、10年間苦しんだうつから脱出した経験を、ギャグ漫画家・田中圭一が1冊にまとめた。『うつヌケ』(KADOKAWA)がそれだ。自身の経験だけでなく、うつから復活した人たちにも取材し、漫画でレポートしている。重くなりすぎない表現ながら、経験者にしかわからないうつの苦しみのリアルをすくい取っている。この本は話題を呼び、発売から3カ月で20万部を超えるベストセラーになっている。

田中は、自らのギャグの作風と、手塚治虫や藤子不二雄といった著名な漫画家のタッチをハイブリッドしたパロディギャグ漫画でコアなファンを持つ。歌手のものまねをする芸人がいるが、その漫画家版といえばわかりやすいだろうか。

手塚タッチのエッチネタも入った『田中圭一最低漫画全集 神罰1.1』の帯には、手塚の長女・手塚るみ子の「訴えます!!」のコピーが。2人には不思議な親交がある(撮影:リマインダーズ・プロジェクト)

田中が謎の苦痛に悩まされるようになったのは、漫画を描き始めて20数年が経過した2005年ごろ。どんな音楽、映画に触れても心が動かない。記憶が曖昧で漢字を間違える。活字が頭に入らない。最寄り駅から帰宅途中、家まで5分のところで突然歩けなくなってぼうぜんと立ち尽くす……といったつらい状態が続いた。

栄養不足を疑いサプリを飲んだり、血行が悪いからかもしれないとサウナに通ったりしたが改善せず、はたまた男性更年期かと思い男性ホルモン値を測ってもらったが異常なし。さまざまな可能性を探ってみたが、消去法で考えていくと、残るはうつ病だけだった。「まさか自分が」と思ったが、心療内科医を受診すると予感は的中。「あなたのうつ病は一生もの」とまで言われた。

「有名漫画家の模写をすると、この人は手塚治虫さんぽい絵だけれども、実は、ちばてつやさんの影響のほうが大きいな、などということがわかります」(田中)(撮影:幸田大地)

「うつトンネル」には「出口」がある

当時田中は漫画家のかたわら、平日はソフトウェアメーカーで営業マンとして働いていた。営業成績は振るわなかったが、精神安定剤を飲みながら勤務を続けた。40代なかばの自分には再就職は難しいと考えたからだ。

しんどい生活も10年になろうかというとき、コンビニで1冊の本をみつける。タイトルは『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』(宮島賢也)。読むと、自分がなぜうつになったのかが腑に落ちた。

1999年ごろ。ゲームメーカーに勤めながら漫画を描いていた(本人提供)

「うつの原因は、会社を辞めればいいのに決断できず、『俺は何もできないダメ人間、会社のお荷物だ』と自分を責めたことだと気づいたのです。不安や不眠は体が発する『警告』だった。それを無視して自分を攻撃し続けたことがうつを呼んだわけです」

脱出するには、その逆、自己肯定をすればいいというアドバイスも書かれていた。つまり、口に出して自分を誉めて自己暗示をかける。効果的なのが朝、目覚めた直後。そのときは潜在意識と顕在意識の壁が曖昧になっているので、言葉が心の奥に届きやすいのだという。

『うつヌケ』で田中の漫画に初めて触れた読者からは、「重いうつという病気を、手塚治虫風の丸っこいタッチで緩和してくれた」という反応があった(撮影:リマインダーズ・プロジェクト)

田中は本に書かれていたことを実行してみた。すると、効果は3週間後に現れた。笑う時間が増えたのだ。気分は前向きになり、連日さいなまれていた未来への恐怖と不安は次第に軽減。2カ月後には、「陽射しが気持ちいい」と感じられるようになった。同じ頃、リストラを宣告されるが、落ち込むどころかチャンスと捉えられ、希望する会社に再就職することができた。

「自分がやりたい仕事に就ければ、こんなに楽しいのだとつくづく思いました。漢字を間違えたり記憶が曖昧になるといった後退した能力が、うつを脱出してよみがえってきたのも何よりうれしいことでした」

すべての人に当てはまるわけではないが、田中の場合、1冊の本との出合いがうつ脱出のきっかけになったのだ。

「『うつヌケ』が売れたことで、精神科の先生が書かれた硬めの本のコミカライズが進むかもしれませんね」(田中)(撮影:幸田大地)

うつの症状があまりにつらかったとき、50歳の誕生日に自殺すると心ひそかに誓っていた。当時は、「うつというトンネル」に「出口」があるなど、想像もつかなかったからだ。うつには出口がある――それを伝える義務が自分にはあるんじゃないかと思い始めたのは、その頃である。

うつヌケのポイントは「人から必要とされること」

ではどう描くか。漫画にしようと着想した当時、漫画家の好物をその子どもに取材してレポートする「ペンと箸」をオンラインメディアで連載していた。取材がもともと好きだし、うつから脱出した経験のある人に話を聞けば、今まさに苦しんでいる人が出口を見つける手助けになるのではないかと考えた。

ミュージシャンの大槻ケンヂ、AV監督・代々木忠、小説家・熊谷達也、哲学研究者・内田樹など15組16人への取材を敢行した。

うつを「キャラ化」することで、重い話を軽くし、患者とうつとの距離感を表現する。漫画ならではの手法だ(提供:KADOKAWA)

話を聞いてみると、同じうつ病なのに、原因や脱出するきっかけはそれぞれ違った。しかし、多様な体験談をよく見ていくと、共通点があることもわかってきた。

興味深かったのは、あるライターの話。人から必要とされることがうつ脱出のポイントだと言っていたのだ。大槻ケンヂの「うつの最中は、ライブがすごく救いになった」という証言と重なる。田中自身も、なぜつらい中でも漫画をやめなかったのかといえば、達成感を味わえ、自分が必要とされていることを実感できたからだった。それによってうつの重症化を食い止められた部分もあったという。

ヒット連発のゲームクリエイターのエピソード。人それぞれにうつの「出口」へと向かっていく(提供:KADOKAWA)

読者にはうつ病の患者も数多くいる。病院にいく直前で回避した人から、15年間も入院している人まで幅広い。重症の人でも漫画ならば読めることがわかったのは大きな発見だった。

医師を信じることも大切

『うつヌケ』を出版したことで、田中のもとには多くのうつ病患者の声が届くようになった。その実態を知るにつれ、田中は思うことがあった。それは、根拠なく医師や薬を否定するようなネット上の書き込みは要注意だということである。

「実際には、薬や医者で治っている人がけっこういることがわかった。治ったら、あまり書き込みはしないような気がするんですよね。ですから、あまりネットのレビューなどに惑わされないようにしてほしいし、できる限り自分で正しい情報を集めて判断することをおすすめします」

独身。誰とも話さない日にはひとりカラオケをやる。自宅近くのカラオケボックスで、沢田研二や郷ひろみなど70年代の歌を熱唱(撮影:幸田大地)

田中を取材したのは3月。本が売れてさぞ絶好調かと思いきや、少しうつ傾向なのだという。よくあるぶり返しで、とくに3月から4月のような季節の変わり目には症状がでやすいと話す。ただ、原因は気温差であることがわかっているので、無理をせず、ひたすら夏を待つ構えだ。

うつのトンネルに入ってしまっても抜け道はある、入りそうになってもそれを避ける方法がある――そう思えるだけでも、気分が軽くなる。

読者から、「うつへの理解がない旦那にこの漫画を読ませたらわかってくれた」という喜びの声も。本にはそんな役割があることを発見した(撮影:幸田大地)

田中圭一(たなか・けいいち)
漫画家。1962年大阪府生まれ。1984年「ミスターカワード」でデビュー。その後「ドクター秩父山」がヒットし、アニメ化される。2002年、手塚治虫、藤子不二雄、永井豪といった漫画の“神”の作品をパロディにした作品集『神罰』がヒット。会社員と二足のわらじを履く「兼業漫画家」としても知られる。


西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年生まれ。雑誌記者を経て、ノンフィクションライターに。著書に、うつ病や慢性疲労症候群症候群、過敏性腸症候群など理解されにくい病気を取り上げた『そのツラさは、病気です』、『五輪の十字架』、『「上海東亜同文書院」風雲録』、『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』がある。

[写真]
撮影:幸田大地
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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