加藤雅史

「着物カード」海を越える 震災で子を亡くした日米の母たち

3/29(水) 11:11 配信

6年前の東日本大震災で、1人の米国人女性が亡くなった。宮城県石巻市で英語指導助手を務めていたテイラー・アンダーソンさん。その母は何度も石巻を訪れているうち、わが子3人を失った石巻の女性と出会う。「子どもを亡くした後に、いったい何が残るのか」————。しかし、女性たちは互いに相手に尽くすことで生きる力を得たという。女性たちの交流は、石巻で製作された「着物カード」となって実を結びもした。「イシノマキモノ」という名の小さなプロジェクト。太平洋を越えた、その試みに密着した。(Yahoo!ニュース編集部)

米国のナショナルギャラリーで

米国・ワシントンDCのナショナルギャラリー。そのギフトショップでこの2月末、着物を使ったグリーティングカードの販売が始まった。手の平サイズのカードには型抜きが施され、着物の和模様がのぞく。型抜きのデザインは「扇」「着物」「五重塔に月」の3種類。手に取った女性客は「本当に美しい」と目を細めた。

型抜きの部分から着物の模様がのぞくグリーティングカード(撮影:立岩陽一郎)

ナショナルギャラリーはゴッホやフェルメールなどの絵画を収蔵し、米国屈指の文化施設として知られる。そこで扱われるほどカードの美しさは折り紙付きだが、カードの価値はそれだけでない。このカードは伝統的な着物の生地を使っており、石巻の人たちの手作りだ、と英語で記されてもいる。

米国の文化の殿堂「ナショナルギャラリー」。ここでカードの販売が始まった(撮影:立岩陽一郎)

カードを作ったのは「イシノマキモノ」というプロジェクトに参加する女性たちだ。プロジェクトの名前は「イシノマキ」と「キモノ」の二つを重ね合わせたという。いったい、どんな人たちが参加しているのだろうか。どんな思いでカードを作っているのだろうか。

このカードは「五重塔に月」。宮城県石巻市で作られたことを示すシールが見える(撮影:立岩陽一郎)

宮城県石巻市の「イシノマキモノ」

ワシントンでカードの販売が始まったころ、宮城県石巻市では、女性たちがカード作りを続けていた。JR石巻駅から車で約20分。渡波(わたのは)地区の一角に貨物コンテナを2台繋げた「イシノマキモノ」の拠点はある。

この日は女性5人が集まっていた(撮影:加藤雅史)

「この柄をこういうふうに出してみたらどう?」「それもいいね」————。内部では5人の女性がにぎやかな声を上げていた。テーブルには華やかな生地が並び、女性たちは型抜きの厚紙を当て、柄の見え具合を確認している。

みんなに声を掛けている女性がいた。イシノマキモノ代表の遠藤綾子(りょうこ)さん(48)。笑顔を絶やさない遠藤さんは「柄の出し方一つでカードの印象が変わります。作り手の個性が出る。だから『みんなデザイナーだね』って。笑って、励まし合っているんですよ」と話す。

イシノマキモノ代表の遠藤綾子さん(右)。仲間に声を掛けながら作業を進める(撮影:加藤雅史)

被災女性たち 丁寧にカードを手作り

昨年夏に始まったプロジェクトには40~70代の女性10人ほどが加わっている。全員が被災者だ。着物の生地は全て、メンバーが持ち寄ったり、知り合いから寄贈されたりしたもの。段ボール10箱ほども集まった。ハレの日の装いにふさわしいものから、普段着用、かわいらしい子ども用もある。

着物の形にくり抜かれた厚紙を使い、デザイン(柄の出し方)を考える=上。決まったらカードに貼る部分を切り取る=下(撮影:いずれも加藤雅史)

2011年3月の東日本大震災で、この渡波地区は壊滅的な被害を受けた。石巻市のまとめによると、約3500人に達する市全体の犠牲者のうち、約500人が渡波地区だった。さらに、イシノマキモノの拠点があるエリアの世帯数は震災前の1割ほどにまで減ったという。

メンバーの1人でこの地区に残った南舘(みなみたて)みさきさん(70)は「かつてのご近所さんと会う機会は滅多にありません」と言う。「スーパーの買い物や、お盆とお彼岸のお墓参りで会うくらい。お墓が交流の場みたいになってしまって」

被災者の南舘みさきさん。ここに来ると、笑顔も出る(撮影:加藤雅史)

崩れたコミュニティをなんとか再生できないか————。そんな思いから、イシノマキモノの活動は始まった。カード作りだけではなく、独り暮らしの高齢者向けに交流の場を作ったり、やり甲斐や達成感の共有ができるような活動を広げたり。百々(どうどう)康江さん(56)も「震災で大変な思いをした人たちの集まりですが、ここでは楽しい話もしますよ。お話を聞いているだけで楽しい。すごくいい場を与えてもらいました」と話す。

わが子3人は津波で犠牲に

代表の遠藤さんは、石巻を襲った津波で3人の子ども全員を失った。13歳だった長女の花さん、10歳だった長男侃太(かんた)さん、それに8歳だった次女の奏(かな)さん。あの日は外出していて、冠水のために自宅に戻ることができなった。3日目にようやく自宅付近にたどり着き、その後、子どもたちが津波の犠牲になったと知った。

遠藤綾子さん(撮影:加藤雅史)

今は内陸部の復興住宅に夫(48)と住む。夫は木工作家の仕事を再開し、2人で支え合う。遠藤さんは、瓦礫の中から奇跡的に見つけ出した子どもたちの写真を大切に保管しているが、その写真を独りで見ることはできない。

瓦礫の中から見つけた家族の写真。遠藤さんは独りで見ることができない(撮影:いずれも加藤雅史)

実は、「イシノマキモノ」のコンテナ製の作業場には、かつて遠藤さんの自宅があった。子どもたちと過ごした同じ場所。そこで遠藤さんは、仲間の女性たちとカードを作り続けている。

でも、どうして「着物カード」だったのだろう。そのきっかけは、やはりわが子を失った母————、1人の米国人女性との出会いだった。

「イシノマキモノ」の作業場はコンテナ。遠藤さんの自宅跡にある(撮影:加藤雅史)

英語指導助手のテイラーさんも津波に

石巻市に震災前、テイラー・アンダーソンさんという米国人女性が住んでいた。JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の一員として来日し、市内の幼稚園、小・中学校で2008年から英語を教えていた。震災の時は24歳。「日米の架け橋になる」という希望を持ちながら、津波の犠牲になった。

石巻市の渡波地区。東日本大震災の津波で多くの犠牲者が出た(撮影:加藤雅史)

遺族となった母のジーンさん(59)はそれ以来、度々石巻を訪れている。遠藤さんにも何度か会った。「カード作り」の話はそのうちの1回、2015年11月に出たという。

その日、ジーンさんは遠藤さんに手作りのマフラーを贈った。ベトナムの鮮やかな青い生地を差し色に使った黒いマフラー。そして「日本の着物の生地を使って、これを作ってみたら? 石巻の女性たちで」と語った。

震災後、遠藤さん夫妻が3人の子どもを思って作ったお地蔵さま。遠藤さんの自宅跡にある(撮影:加藤雅史)

遠藤さんは「あのマフラーは私の宝物です」と振り返る。作るものは、簡単なものから始めるということで、マフラーからカードに変わりはした。それでも遠藤さんは、マフラーを手渡された時のことを忘れない。

「いつも控えめなジーンさんが、びっくりするほど生き生きとされて。それまでは『子どもを失った親同士のつながり』という感じが強かったのですが、人間らしい、楽しい時間を初めて共有できた。そう感じました。私もうれしくて、その気持ちに応えたい、と」

自らを励まし、鼓舞する石巻市の看板(撮影:加藤雅史)

「着物カード」太平洋を渡る

「日米の架け橋に」というテイラーさんの遺志を受け継ぎ、米国では2011年3月末に「テイラー・アンダーソン記念基金」が誕生し、日米の子どもたちに留学支援などを続けている。このカード作りへの助成も決めた。

テイラー基金の活動を紹介する冊子。多くの若者が日米を行き来した(撮影:立岩陽一郎)

イシノマキモノには他にも多くの支えがある。カードをデザインしたプロのデザイナー、ナショナルギャラリーの関係者にカードの良さを伝えた人、委託販売の手続きをサポートしてくれた人……。誰か1人欠けても、ワシントンでの販売は実現しなかった。

遠藤さんも「夢のよう。この歳になって日米の架け橋のようなことができる……。これは本当に喜びです」と話す。

「心の痛みを和らげるためにできること」

石巻で亡くなったテイラーさんも住んでいた家(撮影:立岩陽一郎)

震災で娘のテイラーさんを失った母ジーンさんは、米国東部のバージニア州に住んでいる。ワシントンから車で2時間半ほど走ると、テイラーさんも暮らした一軒家にたどり着く。

テイラーさんは震災の日、石巻市で子どもたちの無事を確認していた様子を目撃されている。それが最後の姿だったという。実は、亡くなった遠藤さんの子ども3人のうち2人は、テイラーさんに英語を習っていた。震災前から既にできていた縁。それを思い出しながら、ジーンさんは語ってくれた。

ジーン・アンダーソンさん(右)と夫のアンディさん(撮影:立岩陽一郎)

「娘の死を乗り越えるのは不可能です。しかし、遠藤さんはもっとつらい。子どもを3人も亡くして、本当につらいと思います。私も大事な娘を失いましたが、遠藤さんに会って、私よりもつらい人がいることを知りました。そして『助け合わないと』って。自分の痛みを和らげるには他人のために何かをやるしかない、と。だから、遠藤さんが笑顔になることが私たちの喜びになりました。お互いがそうすれば、(子どもを亡くした)自分たちの痛みが和らぐんです」

両親が大切に保管しているテイラーさんの写真。石巻市の桜を背景に笑顔を見せる(撮影:立岩陽一郎)

夫のアンディさん(59)も「似た悲劇を経験した私たちが、きょうだいのようになるのは自然なことでした」と話す。

「妻が言ったように、他者を助けることで、私たちはそれぞれ自分が救われているんです。助け合いながら、進む道を探しているんです。愛する、亡くなった人の思いに応える必要がある。(娘は)私たちに『幸せに生きてほしい』と思っているはず。だから、可能な限り支え合い、幸せに生きていくんです」


益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者、英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号取得。
立岩陽一郎(たていわ・よういちろう)
調査報道専門の認定NPO「iAsia」編集長。NHKで社会部記者、国際放送局デスクなどを経験し、2016年に退職。アメリカン大学客員研究員として米国在住。

[写真]
撮影:加藤雅史、立岩陽一郎

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