集団行動になじめなかった学校生活。ものづくりへの熱意。強い風に煽られながらも、最前線に立ち続ける覚悟-------。国際政治学者の三浦瑠麗と写真家・映画監督の蜷川実花、唯一無二の存在感を放つ女性ふたりの異種対談。「わたしたちには、ロールモデルがいない」。仕事人として、家庭人として、今を輝く2人には、意外にも多くの共通点があった。(取材・文:山野井春絵/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース 特集編集部)
学校にはどうしてもなじめなかった二人
三浦瑠麗と蜷川実花。一見接点のなさそうな2人だが、社会学者の古市憲寿が主催するパーティーで何度か顔を合わせており、「いつかゆっくり話してみたい」相手だったという。お互いに第一線で働きながら子育てをするママ同士。「なんとなく保護者会みたいな気分ね」とはにかみながら、和やかに対談はスタートした。
三浦:小学校、ちゃんと行ってました?
蜷川:意外とちゃんと行ってましたよ。でも常に苦手で、好きだったことはないですね。
三浦:私もそれなりにいい子をやってたんですけど、あまり行きたくなくて。いわゆる保健室、図書室組でした。途中で脱走したり。
蜷川:脱走? 私のほうが脱走しそうに見えるでしょうね(笑)。絶対人生にこの勉強は必要ないって思いながら、授業を受けてたな。2カ月に一回くらいストーブに体温計をヒュヒュッと近づけてサボってみたり。
三浦:私は、自分が置かれている環境をそんなに受け入れてないけど、全部自分で処理してしまうというか。親にちゃんと相談できない子、みたいな感じでした。
蜷川:私は両親に、全部見抜かれていたと思いますね。反抗期があったわけでもないし、学校で暴れるわけでもなく。ただ、そんなに勉強ができず、ぼーっとしてたけど、友達はいないわけではない......みたいな感じかな。
三浦:それって名前が付けられないんですよね。不登校でも、いじめにあっているわけでもない。なんとなく、なじめないという感覚。
蜷川:私は私立の女子校へ進学したんですけど、どうしても合わなくて。気持ちだけがどこかに、完全に教室の中では違う世界に住んでいた。
三浦:妄想系ですよね。私も机の下に隠して本を読んで、別世界に行ってました。みんなで同じ方向を向いているのが苦手で。いまだに私、90分の講演はできるけど、90分授業聞くのは駄目なんですよ。
蜷川:私もそうですね。映画館や劇場もつらくて。もちろん見るけど、モゾモゾ、モゾモゾ。ずっと同じ場所に座っていられない。
三浦:集中して編集はできるわけだから体質的な問題ではなくて、あれは他人が作ったものを見させられる居心地の悪さ、なんですよね。
蜷川:そうそう。自分で選べない苦しさというか。私あれが本当に苦手で。授業でも、読めば分かることをずっと音読されるじゃないですか。だから落書きをして時間をつぶすとか。全然違うことを何とかして考えるとか。
三浦:私もよくテストの裏に十二単のお姫さま描いてました。こういうことって、相手から提供されるお仕着せの定食メニューを延々と聞かされ、見させられるっていうことに対する苦痛って考えていいんですよね。
蜷川:そう、それは激しい拒絶感。私は最近になって、学ぶことが楽しくなった。映画の原作の、その時代背景を調べるとか、使えそうな画像を延々と集めたり、それがもう小躍りするぐらい楽しくて。自分が学びたいことはどこまででも寝食忘れてやれるんだけどね。食べたくないもの食べさせられると...。
三浦:やっぱり、つらいんですよね。
「もうやりたいこと全部やろう」って決めた瞬間があった
5歳の頃から、クリエイターになろうと決めていた蜷川。一方三浦は、小説家志望だった。「将来の夢」は、それぞれの家庭環境が大きく影響していたようだ。
蜷川:具体的な職業よりも、まずは「蜷川実花」として認識してもらうということが重要だった。「蜷川幸雄の娘」であるということが、矯正ギプスのように機能して、人格形成だったり、何か物を作る時の原動力になっていたんだなというのは、今、強く思いますね。
三浦:なるほどね。その人の与えられた環境が思わぬかたちであとあと活きてくるというのはありますよね。環境はその人の思想に影響を与えるけれども、それは染まることと同義ではない。考える機会をもらったり、あとは世の中を見るうえでどこに気づくか、とか。私なんかはある意味で旧い家を飛び出した人間で自由主義者の極致なんですけど、その考え方は無から生まれたわけではない。実花さんが特殊な家庭環境をいまある自分に活かせたのは、いいことですよね。「映画は見るものより、撮るもの」っていう感覚ですか。
蜷川:そうそう。幼い頃から、家族でドラマを見ていると「カメラ寄りすぎだよ」とか言う父と、「顔でお芝居してるわね」って言ってる母がいて。そんな環境だったから、あんまり熱中してドラマを見たことがないかもしれない、確かに。
三浦:それって、すてきなことですよ。うちの子は、小さい頃から遊びで「ゲラ直し」をするんです。校正記号とかも覚えてて。私、一番好きなのゲラ直しなんですよね。最後のファインチューニング。それを娘も真似して遊んでいる。
蜷川:小説家志望だった瑠麗さんも、今や「三浦瑠麗」が仕事じゃないですか。私も若干そういうところがあると思いますけど。
三浦:うんうん。自己定義は書く人ですけどね。複数の分野にまたがっていると、一体どこの人なんだって指を突き付けられるところもあるけど。
蜷川:うん。でも、いろんなことやるのって面白い。アウトプットが違うだけで結局、一緒だから。昔は私って何屋なのかしら?って思ったこともありましたけど、40過ぎて「もうやりたいこと全部やろう」って決めた瞬間があって、そこからだいぶ面白くなりましたね。
30年くらい前の子育てにとらわれてしまった
三浦の一人娘は小学生。蜷川は、8歳違いの息子たちを育てている。まだまだ子育てに手がかかるなかで、二人とも仕事に集中できる時間をどのようにキープするかが課題だ。週末は軽井沢の別邸で過ごすという三浦は、家族が寝静まった夜、朝方まで取り組むと言い、蜷川を驚かせた。
蜷川:朝まで!すごい。うちはまだ5歳の子が添い寝をして欲しがるので、横になってるとついつい、あ、寝ちゃった、って。
三浦:いや、それはそうでしょう。私は夜、お酒を飲んで1、2時間寝てから、起きてやることもあります。
蜷川:子どもを産む前は、好きな時間にできていたけど、それができない。
三浦:子どものことをたくさんやってあげてるってことですよね。
蜷川:本当はお弁当なんか別に、母親が作んなくたっていいじゃないですか。だけど、やったほうがいいんじゃないか、そしてやってあげたいような気もするって、縛られるんですよ。
三浦:子どもが小さい時、母親って髪も洗えないじゃないですか。
蜷川:温かいものも食べられないしね。いつかラーメンを食べられる日が来るのかしらって思ってたな......。
三浦:自分を追い詰めないほうがよかったなっていうのはありますよね。
蜷川:いや、本当に。2人目はシッターさんがいて、自分の時間も取りながら仕事もしつつ。1人目の時も、もっと頼ればよかったな。
三浦:私も最初のうち、かなり完璧主義で離乳食を作ってたんですよね。だけど、保育園に預けてからは、外食に頼るようにもなりました。
蜷川:どのぐらいで復帰しました?
三浦:産後2週間ぐらい。自宅で仕事を再開して。
蜷川:私もそう、2週間後ぐらい。
三浦:そんな中でなぜ手伝いを頼まなかったのか(笑)。うちも最初に家事サービスをお願いした時は、抵抗がありましたね。夫婦2人で分担すればいいんだみたいな正論を言ってたんですけど。でも夫は「いや、半分もやりたくないから業者に頼む」って言い出して。あの時、無理やり導入してくれたから、今の私があるのかなと。
蜷川:なんで自分でやんなきゃいけないって思うんでしょうね。
三浦:自分がもう1回若い時期に戻ったらまた同じことやっちゃうんだろうな。
蜷川:やっぱ真面目なんですかね。
三浦:私の母は、専業主婦で5人育てたので、その記憶を手掛かりに自分もやっている部分もあります。さすがに布おむつは使わなかったけど、やっぱり母の記憶を継承する。そうすると、30年くらい前の女性の生き方をそのままお産、子育てに関して受け継いじゃうわけですよ。もしフランスみたいに、システマチックに最初から、「政府のお金で派遣ナニーが来ます」みたいな話だったら。あ、そうなんだって受け入れたかもしれない。
蜷川:私、5歳まで、父に育てられたんですよ。当時は母のほうが断然稼いでいたので。ひたすら父がミルク作っておむつを変え、日光浴させて......。それなのに自分が母親になったら、「こうでなければいけない」って意外と昭和の子育てにとらわれるなんてね。
巻き込まれた時に、黙っていられるかどうか
注目度の高さから、発言が逐一話題になる2人。自身の表現方法、SNSとの付き合い方については、ずっと模索しているという。「現代の情報社会においては、あえて『黙っていること』に意味がある」という三浦の指摘に、蜷川も共感する。
三浦:「黙っている」ことは、私は父方の祖母から学びましたね。母方の祖母は豪胆だったから、多分私はそちらの方に似ているのだけれども。それは女だからという意味じゃなくて、考えずに言葉を発すると唇寒いケースっていっぱいあるよね、ということなんです。今の時代の「黙っている」は、仲間を作って一体化したいという欲望に抗うことであったり、あるいは人に対する怒りを抑えるということだと思う。私たちも生きてればいろんなことに巻き込まれるじゃないですか。巻き込まれた時に、黙っていられるかどうか。それが今のSNS、情報化社会において一番大事かなと。
蜷川:分かる! たまにとんでもないのが来るじゃないですか。すごく言いたいこと、いっぱいあるんだけど、言わない。
三浦:Twitter見てて、「あ、黙ってる、実花さん偉い!」と思ったシーンがありました。
蜷川:なんかもう、あーっみたいな。
三浦:絡まれるのは女だから? 女だけど折れないから?
蜷川:女だからの前に、蜷川幸雄の娘だからかな。最近はさすがにもう亡くなってだいぶたつので減ってはきましたけど、22歳でデビューした時はそれが非常に大きくて。女で、若くて、2世で、なんか派手そうだしっていうことで、むかつかれるカードのすべてを持ってたと思う。
三浦:メンタルは、徐々に鍛えていったんですか?
蜷川:うん、何か大きな転機があったかというと、そんなことなくて。キャリアの積み方で言うと、意外と地道に誠実にやってきてる。だから1つの仕事が次につながり、それがだんだん大きくなって、という感じで。だから本当は反論とか正論とかいっぱいあるんですけど、それをSNSで言っても仕方がないから、腹筋に力を入れて黙ってる。私はやっぱり物を作る人なので、言いたいことはそこでしっかりメッセージに載せて、皆さまに届くように日々努力をしよう、と思って携帯を置きます。
三浦:仕事やチームワークの過程では、面と向かってそんなにひどいこと言われることって少ないですよね。やっぱり見知らぬ人が、勝手に解釈を加えて批判してくることのほうが多い。そういう人って基本、「物を作らない人」だから。何かを作っていたら他の人の批判をする暇がない。
蜷川:いや本当、そんな暇ないのよね。あれ不思議なんだよな。なんで知らない人にコメントすんだろう?
三浦:私たちはそれをさばける人間だからいいけど、いきなりそういう立場に置かれちゃった人は深刻ですね......。亡くなった方もいるほどに。
蜷川:大丈夫だって思っててもね。ドラクエに「毒の沼」ってあるんだけど、そこを歩いていくと知らないうちにちょっとずつ体力が減って、気付いたら死んじゃうんですよ。
三浦:うん、わかるな。そういう感じですよね。
蜷川:大丈夫だと思ってても、続くとやっぱり確実にダメージはあって。それを何とかプラスにできないかなと思って、いろいろ試行錯誤しますけど、なかなか難しいですよね。
今の自分は化け物みたいに強くなってしまった
思いがけないアクシデントや、SNSなどで姿の見えない相手からの言葉に傷つきながらも、年齢を重ねるごとに強くなっていったという2人。それぞれにロールモデルがいないからこそ、すベての風圧を一人で受け、解決して生きるしかなかった、と振り返る。それでも「鋼の女」になりたいわけではない。女性であることを楽しんでいたいという思いも同じだった。
三浦:正直、若い頃から比べると、今の自分は化け物みたいに強くなってしまった(笑)。自分の規律というか、コントロール力を際限なく高めた結果だと思うんですよね。
蜷川:私も、もう取り乱さない。仕事の現場でもトラブルにすごく強くて。仕事場だと全然揺れないんですよね。いつこんな風になったんだろう。
三浦:ふふ。でも、まったくお勧めしませんよね。普通のメンタルで普通の対処能力でもやってける社会にしなければ。
蜷川:みんながこんなのやってたらしんどくて大変。ロールモデル問題だね。
三浦:だから「鋼の女になれ」っていうのは、私は解じゃないと思っているんです。
蜷川:泣くことなんかあります?
三浦:自分のことではあまりないかな。むしろ子どもの話とか絵本を読むと、感じやすくてすぐ泣いちゃう。あとは何らかの友情を感じてほろりとしたときとか。
蜷川:わかる。子どもモノにはめちゃくちゃ弱い。でも仕事では泣かないな。
三浦:いつも、パーティーとかで会う実花さんは、完全に自然体ですよね。
蜷川:あ、そうそう。瑠麗さんもね。
三浦:だけど、やっぱり仕事の場に来ると、仕事人格になる。「見られる自分」っていう。
蜷川:もうちょっとかわいい格好してるもん。今日はお相手が瑠麗さんだし、ちょっと黒かしらと思ってキメて来ました。
三浦:両方好きですけどね。
蜷川:やっぱり、女であることって楽しいよね。私は生まれ変わるんだったら女の人がいいな。私はやっぱり、男の人好きだし。重い荷物も持ってもらいたい(笑)。
三浦:私もどんなに苦労したとしても、再び女に産まれることを選ぶかな。実花さんとは、身の処し方が共通している気がする。
蜷川:今度、瑠麗さんの写真を撮らせてよ。
三浦:ええっ、いいんですか?
蜷川:うん。撮りたい。いつでも呼んで。どこにでも行くから。私フットワーク軽いのよ。
三浦:嬉しい、ぜひ!
三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年、神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部を卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科を修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、山猫総合研究所代表取締役。『シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)でデビュー。近著に『日本の分断-私たちの民主主義の未来について 』(文春新書)。「朝まで生テレビ!」、「ワイドナショー」などテレビでも活躍している。
蜷川実花(にながわ・みか)
東京都生まれ。写真家、映画監督。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。映画『さくらん』(2007)、『ヘルタースケルター』(2012)、『Diner ダイナー』(2019)、『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019)Netflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』(2020)監督ほか、映像作品も多く手がける。2008年、「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回。2010年、Rizzoli N.Y.から写真集を出版、世界各国で話題に。以降、台湾、上海などでも個展を開催し、好評を博す。現在、「蜷川実花展―虚構と現実の間にー」が松坂屋美術館で開催中(〜4月4日)。
【RED Chair+】
各界のトップランナーたちの生き方に迫る「RED Chair」。「RED Chair+(レッドチェア・プラス)」はその対談シリーズです。業界が異なる2人、親交の深い仲、ライバル同士など、自由でワクワクする対談を届けます。