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撮影:石橋俊治

災難続くムーディ勝山に起きていた“葛飾の奇跡”──生き別れの父と30年ぶりの再会

2020/12/18(金) 18:03 配信

オリジナル

「右から来たものを左へ受け流すの歌」で、2007年に一世を風靡(ふうび)したムーディ勝山。小学1年生の息子と4歳になる娘のパパでもある。しかし、彼自身は5歳のころに父と生き別れになっていた。それから三十数年後、東京・葛飾で「奇跡の再会」を果たすことになるとは……。同じく一発屋を名乗る、2人の娘のパパ、髭男爵・山田ルイ53世が聞いた。(取材・文:山田ルイ53世、写真:石橋俊治、Yahoo!ニュース 特集編集部)

2年目のステイホーム

「全部、引っ越してからなんです……」

とため息をつくのは、ムーディ勝山。
さながら、頻発する怪異に堪りかね、霊能者の下へ駆け込んだ“呪われた屋敷”の住人といった趣だが、「風水が悪過ぎるんじゃないかと……」とどうにも愚痴が止まらない。

話題は新居のこと。
昨年移り住んでからというもの、ロクなことが起こらぬと嘆いているのだ。

受難のリスト、その一番上は、目下のコロナ禍。
今年の3月以降、“地方営業”が軒並みキャンセルとなるなど、多くの芸人が痛手を被った。とは言え、各方面散々なのはご承知の通りだし、勝山邸の間取りが疫病の蔓延に影響を及ぼすはずもない。

本来なら、

「風水関係ないわ!」

とツッコんで終わりの話だが、ムーディの場合は、はばかられる事情があった。彼の“ステイホーム”は既に2年目……社会に先んじて、昨年からずっと家に居たからである。

ムーディ勝山。1980年6月11日生まれ。滋賀県出身。最近はnoteやInstagramの投稿が人気を博すなど、幅広くネタを創作。ヤンマガWebで「1日漫画評録ムーディ」、ふたまん+で漫画コラムも執筆している

2007年、一躍人気者となったムーディ。
翌年には、早くも一発屋などとささやかれ始めたが、「ほんと、コツコツ積み上げてたので……」と振り返る通り、地方に活路を見いだし、滋賀・岡山・宮城等のローカル局で、テレビ・ラジオのレギュラーを次々と獲得していく。

2019年の時点で、その数、実に7本。
全国を忙しく飛び回る姿は、“一発屋界のレギュラー王”……いや、もはやただの“売れっ子”であった。

ところが、「これからますます頑張っていこうと、自分的には家賃もちょっと上げて……」と“お引っ越し”をしたその矢先、週刊誌報道に端を発したとある騒動に足元をすくわれた。

俗に言う、“闇営業問題”である。

「右から左……ですよね?」

いや、いまさら蒸し返す気など毛頭ない……というより、そもそも、ムーディ自身が悪事に手を染めたわけではなかったが、反社的、もとい、反射的に盛り上がった一部の世論に“何となく”断罪され、「残ったのは、東京のネット番組一つ。地方のレギュラーは全て……」と仕事を根こそぎ失う。

まるで、賽(さい)の河原の童。
小さな手で一心に積み上げた石の塔を、無慈悲な鬼が一蹴……しかも、彼には妻と2人の幼子がいた。

「もう、えらいこっちゃと。一家の大黒柱が、ずっと家にいないといけない……」

芸人としての収入は断たれたが、家族を飢えさせるわけにはいかぬ。さらに当時は、長男の小学校入学を春に控えていた。

多少の蓄えはあったが、復帰の見通しも暗いなか、ただ目減りしていくのを眺めるのもと、弁当配達のアルバイトで食いつなぐことにしたムーディ。

一発屋とはいえ、かつて時代の寵児となった芸人である。伺った先のお宅で、

「あれ? あなた、ムーディ勝山じゃない?」

「右から左……ですよね?」

などと“顔バレ”し、居たたまれない気持ちになったことも幾度かあった。

自宅にこもっていたほうがよほど楽だっただろうが、この令和の時代に、“炎柱(えんばしら)”でも“水柱(みずばしら)”でもなく、“大黒柱”などと口にする男。

子供たちの保育園の送り迎えも、「ヨソの子から、『何でニュースに出てたの?』とか聞かれたらどうしよう……」とビクビクしながら、それでも、「ここでためらったら、もう行けなくなる……」と欠かすことはなかった。

2カ月に及んだ謹慎もようやく解け、「騒動の渦中にあった人の方が、説得力がある」と地元滋賀県警から詐欺撲滅キャンペーンの隊長という、しゃれの利いたオファーも舞い込み、さあ、心機一転……と思ったら、今度はコロナである。

これ以上自分の落ち度を探すとすれば、もう玄関マットの色みか、インテリアの配置くらいしかなかったのかもしれない。

“父親を知らぬ息子”

さて、私事で恐縮だが、筆者は長女(小2、次女は1歳半)に自分の職業を伏せている。“一発屋”という言葉に含まれる、負けとか失敗といった苦み成分に、小さな子供を触れさせたくない、というのが主な理由だが、ムーディはと言えば、「隠してはないですね」とそこはあっさり。

第一子である長男を授かってしばらくの間は、「やっぱり、父親が一発屋芸人ってことで、将来イジメられたりしたら怖いなって……」との危惧から二の足を踏んでいたらしいが、そんな夫の背中を押したのは、「地元(滋賀)でバイトしていた頃に知り合った」という20年来の付き合いの妻だった。

「奥さんが、『パパが出るテレビ、あるらしいで!』って、もう普通に教えてたみたいで……」

かくして、半ば強制的に、秘密が無くなった勝山家。

「この間出演したネタ特番も、一発屋企画だったんですが、『子供たちと一緒に見たよ!』って奥さんが外出先に動画送ってきて。(子供)2人とも『パパだー!』ってテレビの前でずっとジャンプしてましたね……」

とその表情は満更でもなさそう。
むしろ、誇らしげである。

生ライブなどを配信している「よしもと中尾班YouTube劇場」の撮影風景。この日はムーディのほか、キクチウソツカナイ。、夫婦のじかん、かたつむり、ボーイフレンドが参加し、ネタや大喜利を披露

先日などは、学校から帰ってくるなり息子が、

「(小学校の友達に)言っといたよ! パパ、テレビ出てるひとだよって!」

と手柄顔だったらしい。彼が一発屋という概念まで理解しているとは思えぬが、とにもかくにも、パパの正体を知った子供たち。

しかし、この家族には、“父親を知らぬ息子”がまだ1人残されていた。

生き別れの父、まさかの「葛飾」に

ムーディが父と生き別れとなったのは、5歳のころ。

原因は、両親の離婚だが、「(母に)詳しくは聞いてないけど、親父の酒癖が……」と記憶はおぼろげである。そんな父子の人生が再び交わったのは、さかのぼること2年前の2018年、『こち亀』でおなじみの下町だった。

「ムーディさんのお父さん、来たことあるよ!?」

と寝耳に水、いや、寝耳に“ケルヒャー”のごとき一報を聞かされたのは、東京・葛飾区のコミュニティーFM「かつしかFM」の収録でお邪魔した、商店街の居酒屋でのこと。

この「かつしかFM」、“一発”後の苦しい時期にオーディションでつかんだ、先述の“7本”の中でも最も古株のレギュラー。

「葛飾に縁もゆかりもない僕を選んでいただいて。結局9年くらいやりましたね……」

とムーディにとって思い入れの強い現場でもあった。

そんな記念すべき番組の、非常に狭い聴取エリア……息子の声が届く範囲内に、30年以上前、滋賀で袂(たもと)を分けた父親が暮らしているというのだ。

映画やドラマの脚本なら陳腐かもしれぬが、これは現実。“縁もゆかりも”あり過ぎた。

(いや……どんな確率!?)

あまりの奇跡に、筆者は目頭が熱くなったが、肝心の本人は、「『ここら辺に住んでるのか』っていう驚きはあったんですけど……」と何やら、歯切れが悪い。

その後、他の店からも、「お父さん来たよ!」との“タレコミ”が続いたが、「とくに何も行動を起こさなかったですね……」というムーディ。

実は10年ほど前のブレイク時にも、

「向こう(父親)がテレビ見て連絡してくれたのかな……。(僕が)5、6歳のときに離婚して以来でした。母親に電話つないでもらって」

とたった一度だけ、プライベートで父と言葉を交わす機会があった。

「慎司、ごめんな、ごめんな」と受話器の向こうで号泣する父に、「僕も5歳くらいだったし、とくに何も覚えてないですし」と気づけば敬語で返していたという。

「ピンとこなくて。正直、そこまでの感情はなかった」

……父と子の間で過ぎ去った時間を考えると、やむを得ないこと。しかし、戸惑うムーディにはお構いなしで、“そのとき”は突然やってきた。

電信柱の陰に見つけた“面影”

舞台は、ご存じ「かつしかFM」の収録現場。ロケの合間に一息ついていると、

「ムーディ!」

とやってきたのは、商店街ではおなじみの顔、とあるスナックのマスターご夫婦である。

「このお父さんとお母さんが、すごく良い人で。ザ・葛飾というか、ザ・下町っ子というか、お節介なんです!」とはムーディの弁。最後の一言は余計じゃないかと眉をひそめた筆者も、次のマスターの台詞で合点がいった。

「今日、お父さん連れてきた!」

(お節介やな!!)

無論、褒めている。

「ロケ先の店のご主人とマスターが知り合いで。『ムーディ君来るんだ? じゃあ、そのときに……』ってなってたみたいで」

マスターに促されるまま辺りを見回すと……居た。

「向こう(父)も恥ずかしいのか、電信柱の陰で、こそこそしてたんですけど、一目で、『あれ、親父や!』って分かった。やっぱり面影ありましたね……写真とかで見てうっすら覚えてたんで」

おかしな物言いだが、その“第一印象”は、
(……ちっちゃ!)
だったというムーディ。

無理もない。
何しろ、この瞬間まで、父を見上げたことしかなかったのだ。

最初に口を開いたのは息子のほうで、

「何て呼んだらいいの?タメ口?敬語?ってちょっと困って。『お久しぶりです』みたいな感じで……」

いや、久しぶりにもほどがある。

“困った”のは父も同じ。

「ちょっと他人行儀に、『久しぶり』と。あとは、母親の話とか姉や兄の話とか。『元気?』くらいで。収録もあったので……」

気まずい親子の傍らで、マスターご夫婦だけは、
「良かった良かった……」
と満面の笑みだったそうな。

改めて、再会を果たしてどうだったかと尋ねると、「別に感動的なものでもなかった……」と一歩引いた態度をあくまで崩さぬムーディだったが、

「でも、会えて嬉しいな、良かったなというのはあったし、また会いたいな、孫を見せてやりたいなって」

と“今後”への想いもチラリ。
まあ、どちらも本音なのだろう。

あれから2年。
「もう一歩踏み出す勇気はまだ……」
といまだ父と連絡を取るには至っていない。
いろいろ、複雑である。

(写真提供:ムーディ勝山)

ちなみにムーディ、この一連の出来事を、「かつしかFM」の自身の番組、しかも、オープニングトークでしゃべっただけだという。

「ちょっとアップテンポの軽快なBGMに乗せて……」

と笑うが、オリンピックの金メダルでスクラッチカードを削るような、“もったいなさ”は否めない。

実際、その気になれば、お涙頂戴もののテレビ番組で盛大に披露することもできただろう。
しかし、彼はそうしなかった。

芸人が自身の体験を公の場で語るときの作法に、“ネタにする代わりに全部チャラ”というのがある。

つまりは、ノーサイド。

ふと思うのだ。
もしかすると、ムーディにとっては、このコミュニティーラジオでしゃべることにこそ、意味があったのかもしれぬと。
何しろ、リスナーは葛飾の住人のみ。
その中には当然……いや、考えすぎかもしれぬが。

* * *

既に、父と暮らした時間より、父として過ごした時間のほうが長くなったムーディ。現在息子は7歳(小1)、娘は今年4歳になった。

最近では、無類の漫画好きを生かしてコラムを連載するなど、文筆業にも進出。再び、積み上げ始めている。

この男の前では、さしものコロナ禍も“右から左”……結局、“受け流して”しまうに違いない。

何とも、頼もしいパパだが、子供たちの前ではからっきし。
ケンタッキーの前を通るたび、
「パパ、パパ!」
と“イジられ”放題。
いや確かに、白スーツと髭がトレードマークのおじさんなど、カーネル・サンダースかムーディくらいだが……とりあえず、この家族がパパを見失う心配はなさそうである。

山田ルイ53世
お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。この冬には文庫化された。主な著書に『ヒキコモリ漂流記完全版』(角川文庫)、『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)、『パパが貴族』(双葉社)がある。