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八尋伸

千葉の地層から地球史に刻まれた「チバニアン」 快挙を遂げた研究者たち

2020/08/08(土) 10:19 配信

オリジナル

今年1月、約77万年前から約13万年前までの地質年代が「チバニアン」と命名された。千葉県市原市の地層をもとにしている。日本の地名が地質年代に刻まれたのは初めてのことだ。背景には、地球の磁場=地磁気がその時期に逆転していたことを突き止めた研究があり、一部の反対運動を行政とともに乗り越えた苦労などもあった。現地と研究者を取材し、歴史的快挙の舞台裏を探った。(取材・文:科学ライター・荒舩良孝/撮影:八尋伸/Yahoo!ニュース 特集編集部)

黒っぽい崖に刻まれた地球の歴史

千葉県の中央部を南北に流れる養老川。上流には、川の流れで山肌の岩が削り取られてできた養老渓谷がある。そのはずれの田淵地区をボランティアガイドの清水収さんが歩いていく。

「手作り感がいいでしょう」

木製の階段の手すりをつかみながら、清水さんが話す。養老川に降り立つと、視界は一気に開け、ゆったりとした水の流れがあった。

チバニアンビジターセンターからチバニアン命名のきっかけとなった千葉セクションの地層に行く道

そこから川の縁を歩いていくと、ふいに清水さんが足を止めた。視線の先には黒っぽい崖の壁面が広がる。高さおよそ10メートルの壁面が、上流に向かって続いている。その壁面を指して、清水さんが言う。

「一番の見どころに来ました」

どこにでもありそうな崖だが、現れている地層は地球の歴史において重要なものだった。

千葉セクションの地層前。千葉セクションを見るには養老川に降り立つ必要がある

今年1月、国際地質科学連合(IUGS)の理事会である決定がされた。この田淵地区の地層が、77万4000年前から12万9000年前までの期間=中期更新世を代表する地層であると認められたのだ。地球の歴史を区分する地質年代は、恐竜がいた「ジュラ紀」「白亜紀」などがよく知られているが、細かくは116に区分されている。その中で中期更新世は、長い間、代表的な地層が決まっていなかった。

「それぞれの時代の始まりとなる地層は世界でただ一つ認定されます。今回はこの崖が始まりの根拠となる地層になって、中期更新世が『チバニアン』に決定されました」と清水さん。

チバニアンは77万4000年前〜12万9000年前の中期更新世の名称として使われる(図版:ラチカ)

日本の地名が地質年代に採用されたのは初めてのことだ。この快挙を牽引したのが、国立極地研究所の菅沼悠介准教授と茨城大学の岡田誠教授だ。

菅沼氏は、地球の歴史における地磁気逆転の発生時期を特定する研究の過程で、千葉のこの地層に出合った。

地磁気逆転の研究がきっかけに

正直に言えば、と菅沼氏は苦笑交じりで言う。

「私自身はGSSPを決めただけで、『チバニアン』を決めたわけじゃありません。『チバニアン』という名前が決まったときも、『やったぁ!』というより、ほっとした感覚のほうが近い。でも、地質年代の年表にチバニアンという名前が載って、今後多くの人に地磁気逆転とかを知ってもらえるなら、よかったなと思います」

菅沼悠介・国立極地研究所准教授。1977年生まれ。2005年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。東京大学大学院理学系研究科特任助教、国立極地研究所助教などを経て、2016年より現職。著書『地磁気逆転と「チバニアン」』が第36回講談社科学出版賞を受賞(撮影:荒舩良孝)

GSSPとは「国際境界模式層断面とポイント」の略称で、地球史の地質年代を区切る境界を示す基準値のこと。今回、チバニアンの根拠として認定されたGSSPは、地質学者の間で「千葉セクション」として知られ、かなり注目されていた。

もともと、菅沼氏が研究していたのは地球史における「地磁気の逆転」についてだ。

地磁気とは地球が持っている磁場のことで、現在は北極付近がS極、南極付近がN極になっている。そして、N極からS極へ地球全体を包むようにして磁場がつくられている。ただし、地球の磁場の向きはいつも同じだったわけではない。過去360万年の間に少なくとも11回以上入れ替わっている。地球上で最後に起きた地磁気逆転の時期は、約78万年前というのが定説として知られてはいたが、正確なことはよくわかっていなかった。

地球にも磁石と同じような磁場=地磁気がある。現在、地磁気は北極側がS極、南極側がN極となっていて、N極からS極に向けて磁場ができている(図版:ラチカ)

その「地磁気の逆転」がいつ起きたのかを調べる過程で知り得た成果が、チバニアンの誕生につながっていた。地磁気は、ふだん意識している人がいないとしても、重要なものだと菅沼氏は言う。

「地磁気がなければ地球の大気は太陽からの放射線で剥ぎ取られてしまい、地球に生命が誕生しなかった可能性もあります。また、地磁気が弱まると衛星通信や送電網などにも影響が出て、携帯電話が使えなくなるかもしれないのです」

菅沼氏は2005年ごろ、太平洋の海底から採取した海洋堆積岩を分析したところ、最後の地磁気逆転が起きた時期が、これまでの定説だった約78万年前から1万年ほど遅い約77万年前になることに気がついた。2010年にはこの成果を研究論文にまとめ、発表したが、堆積岩の分析だけでは、周りの研究者を納得させることはできなかった。

千葉セクションの地層がある養老川へと降りる

「多くの研究者を納得させるため、地磁気逆転の正しい年代を示すには火山灰に含まれているジルコンという鉱物をつかった年代測定をする必要がありました。その試料を採取するために、海洋堆積岩が地上に出現していて、火山灰が含まれている地層を探し始めたのです」

菅沼氏は既に発表された論文やデータなどから条件に合う地層がないか探してみたが、なかなか見つからなかった。

事態が動いたのは2012年5月の学会だった。地球惑星科学の様々な研究者が参加していたこともあり、菅沼氏は研究者たちに地層について相談してみた。すると、そこで答えをくれたのが学生時代からよく知る茨城大学の岡田誠教授(当時は准教授)だった。

海底でつくられた地層が陸上に

岡田氏は、菅沼氏の探している地層は房総半島にあるとピンときたと言う。

「『地磁気逆転』の地層の近くにある火山灰層。彼の話を聞いて、房総半島にある白尾火山灰層しかないとすぐに思いつきました」

岡田誠・茨城大学大学院理工学研究科教授。1965年生まれ。1992年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。茨城大学助手、同大学助教授などを経て、2015年より教授(撮影:荒舩良孝)

房総半島は今から240万年前〜45万年前に海底でつくられた地層が陸上に現れた場所だった。特に、田淵地区の「千葉セクション」と呼ばれる地層は80万年前〜75万年前につくられたと知られていたものの、精度の高い年代測定はおこなわれていなかった。

学会の翌週、菅沼氏と岡田氏は房総半島まで試料の採取に出かけた。2人が向かったのは、田淵地区付近の柳川と呼ばれる地域。養老川に流れこむ沢沿いの崖で試料を採取した。そこで岡田氏は驚くものを発見した。

「ここは私が大学院生のときに調査した場所だったのですが、そのとき私が残した測量用の糸がそのまま残っていたのです。20年以上、誰も足を踏み入れていなかった。まぁ、私自身、もう1回来ることになるとは思っていませんでした」

千葉セクションの壁面には地磁気の向きによって色分けされた杭が打たれている。赤は地磁気の向きが現在と逆の状態を、黄色は地磁気の向きが逆転している途中の状態を、それぞれ表している

翌日、菅沼氏は採取した試料の火山灰を調べてみた。すると、その中から年代測定に必要な鉱物、ジルコンがたくさん出てきた。菅沼氏は「この時点で、この研究は成功したと確信をもちました」と振り返る。

そのジルコンをもとに年代を測定してみると、白尾火山灰層は約77万年前に堆積したことがわかった。菅沼氏たちは、いくつもの方法で測定したところ、地磁気逆転が約77万年前に起こったという結論で一致した。

千葉セクションの前を流れる養老川の川底では、貝殻の化石や、海底に暮らした生物の巣穴や這いまわった痕などが残った生痕化石を見ることができる

岡田氏、菅沼氏らのタスクチーム結成

菅沼氏はこの研究結果をいくつかの国際学会で発表した。2013年7月、ポルトガル・リスボンで開かれた国際会議では、GSSPの選定に関する専門委員長から「なぜ、GSSPに関わらないのか」と声をかけられた。GSSPの選定会議では千葉のほか、イタリアの2カ所も議論の対象になっていたが、それまで千葉の申請には科学的な要素が十分ではなかった。

「私は千葉の地磁気逆転のことを論文で書いただけ。でも、GSSPを選定する関係者側からすると、千葉の地層について地磁気などから専門的に議論できる人がほしかった。だから、名指しで私が『あなたを入れたタスクチームをつくってください』と言われたんです」

菅沼氏は2年に一度のペースで南極を訪れる。氷床の変動を調べ、将来、南極の氷がどのように変化するのかを予測する研究を進めている(写真提供:国立極地研究所)

そんな後押しがあり、2013年、岡田氏を責任者、菅沼氏を事務局長とするタスクチームがつくられた。

地磁気逆転の年代を正確に特定した菅沼氏の研究は、千葉セクションの地層に地磁気逆転の記録がしっかりと残っていることを示しただけでなく、複数の方法で年代の特定ができた。偶然にも、これはそのままGSSPの申請に使えるレベルのものだった。

タスクチームは2015年5月に論文を発表。その年の7〜8月に名古屋で開催された国際会議では、新しいデータも交えて、千葉セクションを中心とした房総半島の地層について詳しく説明した。菅沼氏が言う。

市原市田淵地区の地形模型。田淵地区の地形は、養老川とその支流が長い時間をかけて軟らかい泥岩を削ってつくった河岸段丘となっている

「このときの発表はとてもインパクトがあったと思います。これまで房総半島の地層について説明する論文やデータは、GSSPの議論の場にほとんど出ていなかったのですが、しっかりとしたデータを一気に出したのですから。イタリア側はかなり焦ったのではないでしょうか」

この発表後、イタリアの2チームから要請があり、GSSP審査は2年間延期された。その間、日本も調査を追加し、データの充実を図っていた。

だが、この時期から別の問題が表面化し始めた。それまで一緒にGSSPの申請を進めてきた研究者の一部がタスクチームを離れ、GSSP申請に反対する運動を起こしたのだ。

千葉セクションや地磁気のことを案内するチバニアンビジターセンターもつくられた

一部の反対運動と市原市の対抗策

菅沼氏は振り返る。「『(田淵地区の)地元の人たちがすごい反対している』とその人が言うわけです。『研究者は傲慢だ』と。本当かなと思いました」

その研究者はタスクチームが結成される以前からGSSP申請に関わり、田淵地区をはじめとする地元の人たちとの窓口役を引き受けていた。だが、ある時期を境に、千葉セクションの地域からタスクチームのメンバーを遠ざける言動が目立つようになったという。

そのことに気がついた菅沼氏らは、市原市の職員や田淵地区の住民と直接交渉し、千葉セクションの場所にタスクチームのメンバーが入れるようにした。そして、タスクチームはGSSP申請提案書を完成させ、2017年6月に提出。4段階ある審査のうち、同年11月に第1段階の審査は終了。その後、千葉セクションの審査は第2段階を通過し、第3段階へと進んだ。

チバニアンビジターセンターから千葉セクションの地層まで400メートルほどの小道を歩く

その間、行政の協力も進んだ。市原市は2016年ごろから千葉セクションの地層を保全するため、2万8000平方メートルの領域について国の天然記念物の指定を受ける手続きをし、2018年10月に指定を受けた。同地域の民有地、約2万2500平方メートルも買収し、公有地とすべく、約30人の地権者と交渉もしていた。

だが、前出の反対運動をする研究者は、千葉セクションの地層の前にある土地に対して、地元の地権者から10年間の借地権を取得していた。市原市がこの事実を知り、問題が表面化したのは国の天然記念物の指定を受けた直後の2018年12月のことだ。GSSPの認定を受けるためには、地層の保全とともに研究の自由が保証されていなければいけない。これには危機感を覚えたと菅沼氏は言う。

「借地権を理由に研究者の自由な立ち入りが認められないと、研究の自由が保証されず、GSSP認定の資格を失ってしまう恐れが出てきたのです」

地図の中で、赤い線で囲まれた部分が国の天然記念物に指定された領域。将来、遊歩道も整備される予定

この危機に市原市は素早く対応した。同市教育委員会ふるさと文化課の牧野光隆さんが言う。

「田淵地区の壁面は学術的にとても価値が高い場所です。天然記念物の管理団体である市としても、学術研究に大きく貢献したいという思いがありました」

2019年9月、市原市議会は天然記念物のエリアへの研究目的での立ち入りを妨害する行為を禁止する条例を制定。手続きを踏めば、研究者が自由に立ち入ることのできる環境が整備された。

市原市役所。2020年6月、外壁にチバニアン決定を祝う垂れ幕が掲げられていた

2020年1月17日、千葉セクションは前期更新世と中期更新世の境界を示すGSSPに認定された。地質年代は所在地の千葉の名称にちなんで「チバニアン」と命名された。岡田氏や菅沼氏をはじめ、申請に関わった研究者はその日のうちに記者会見を開き、喜びの声をあげた。

「夜に主要なメンバーと打ち上げをして、そのときに千葉セクションが認定されたという実感が湧いてきました。岡田さんとも、落ちなくてよかったねと言葉を交わしました」(菅沼氏)

2020年1月17日に千葉セクションがGSSPに認定されたことを受けて開かれた記者会見で(写真提供:国立極地研究所)

気候変動や房総半島全体の研究へ

地質年代の名称は、6600万年前から始まったダニアンからチバニアンの直前のカラブリアンまでは、すべてヨーロッパの地名に由来する名前がつけられている。そんな中、日本の地名が地質年代の名称として刻まれたのは常識を覆す快挙だった。

ただ、その快挙とは別に、研究者としてはかなりの時間を犠牲にしてしまったと菅沼氏は言う。

「GSSPの申請作業に必要な測定や研究は、新しい科学的な発見につながるものは多くありません。研究者は世界の誰も知らないことを発見するために研究をしているわけで、研究者の立場としては業績にはつながらない仕事だったのかなと思うんです」

そんな思いは岡田氏にもあるが、それでも今回の申請で得たものはあるという。

「申請に向けて千葉セクションをたくさんの手法で調べました。これまで地質学分野では、一つの地層を複数の手法で分析することはほとんど実施されていなかった。でも、やってみると、たくさんの情報が読み取れた。それを実感できたのは一つの成果だと思います」

記者会見に臨む岡田氏(左)と菅沼氏(中央)(写真提供:国立極地研究所)

現在、菅沼氏はGSSP申請で知り合った若手研究者たちも誘い、南極を舞台に地球の気候変動などの新たな研究に取り組んでいる。岡田氏は千葉セクションだけでなく、房総半島全体に残された400万〜500万年間に及ぶ地磁気逆転の記録をすべて調べようと研究を進めている。

一面真っ黒な千葉セクションの壁面には、たくさんの小さな穴や色分けされた杭などが残されている。地層に記された地球の記録を読み取ろうとした努力の痕跡だ。地質年代に刻まれたチバニアンという名称もまた、そんな研究者たちの痕跡でもある。

地質年代の境界となるのは、千葉セクションの白尾火山灰層(写真の中央付近を横切る約77万4000年前に堆積した地層)。この火山灰層より上の地層がチバニアンの地層となる


荒舩良孝(あらふね・よしたか)
1973年、埼玉県生まれ。科学ライター/ジャーナリスト。「たくさんの人たちに科学をわかりやすく伝える」をテーマに、1995年から活動。基礎から応用まで科学の現場を取材し、書籍や記事を多数執筆。おもな著書に『5つの謎からわかる宇宙』(平凡社)、『ニュートリノってナンダ? やさしく知る素粒子・ニュートリノ・重力波』(誠文堂新光社)、『思わず人に話したくなる 地球まるごとふしぎ雑学』(永岡書店)など。公式note

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