約100世帯の電力を賄える太陽光発電設備が、鹿児島市の郊外にある。東京電力福島第一原発で長年働いていた遠藤浩幸さんが避難先のこの地で手掛け、2016年秋に完成した。ところが、本格的な完成の前に他界。「原発の代替に」として全国に広がった太陽光発電も、各地の原発再稼働に伴って「出力制御」に向かおうとしている。この太陽光発電設備も来年以降、対象になるという。浩幸さんも夢見た「原発から再エネへ」の道は、五里霧中のままだ。(文・写真:青木美希/Yahoo!ニュース 特集編集部)
福島を離れ鹿児島へ そして太陽光発電へ
東日本大震災のとき、浩幸さんは45歳だった。家族は、妻の緒美(ちよみ)さん(39)と中学生だった長男と長女、1歳3カ月の次男。浩幸さんは消防団員として住民らの避難を手伝った後、家族と一緒に体育館へ避難した。そこで、3号機の爆発を福島中央テレビの中継映像で見た。
浩幸さんは「終わった。福島には戻れない」と口にしたという。
双葉町で生まれ育ち、20歳のころから原発で溶接などの仕事に就いた。柔道が得意で、スポーツ少年団の指導者でもあった。緒美さんも原発関連会社で働いたことがある。
そんな故郷を離れ、一家は鹿児島市へ向かった。緒美さんの親戚が住んでいるという細い縁だけが頼りだった。
鹿児島市喜入(きいれ)町は、温暖で穏やかな土地だ。錦江湾を挟んで北北東に桜島も見える。
2012年に再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が始まると、浩幸さんは鹿児島での太陽光発電に乗り出した。「自分たちは事故で追い出された。(発電に関して)原発じゃなくて、自分たちでできることを」と考え、会社を設立。緑濃い高台の土地を確保した。パネルは業者につけてもらったものの、架台は家族で組み上げたという。
2013年からは部分的に国の認定を受け、発電も始まった。
浩幸さんが脳出血で亡くなったのは、2016年5月だった。心臓に持病がありながら、「ベテランが必要だ」として原発事故の2週間後から何度も現場に駆り出され、鹿児島と福島を行き来する日々がたたったのかもしれない。50歳だった。発電設備の全面的な完成まで、あとはパネルをはめるだけという時期でもあった。
あれから3年余り。妻の緒美さん(47)は言う。
「生きていてほしかった。事故がなければ夫は生きていたのかなとも思う。今でも『いたらいいな』って思います」
事故後、夫は「福島第一原発の廃炉が終わる姿を見たい」「僕が生きているうちに終末が見られるか」といった話を頻繁にしていたという。
避難先の自宅は、九州電力川内原発から45キロほどしか離れていない。それが再稼働に向かい始めると、浩幸さんは反対運動にも参加した。原発事故から避難してきたのに、また自宅近くで原発が稼働するのか――。再稼働への動きは、太陽光発電の事業と重なるように続いた。2015年8月に事故後初となる再稼働が実現すると、浩幸さんは「まさかここが一番になるとは」とショックを受けていたという。
SNSにもたくさんの書き込みが残っている。
「九州地方は(福島から)離れているので事故があった事さえ忘れている人が沢山います、実際(2004年の)スマトラ沖地震での津波を他人事として(福島で)見ていた私も同じです」「福島の事故はテレビの中の出来事という感覚のようだ」
緒美さんは、夫の携帯を今も捨てずにいる。メモアプリやLINEのトークに多くの言葉が残されているからだ。「こんな言葉を送ってきたこともあったんですよ」と画面を見せてくれた。
地震は現在を破壊した。
津波は過去を破壊した。
原発は未来を破壊した。
そんな強い思いを込めた「太陽光」が、来年以降、出力制御の対象になる。
自然エネルギー、一転して「出力制御」の対象に
FITの導入によって、全国では個人事業も含め、太陽光発電が大きく広がった。九州電力の管内は本土で896万キロワット(2019年10月末)。九電の自社発電能力が1884万キロワット(2019年3月末)だから、太陽光は小さな存在ではない。
九電による出力制御は、全国に先駆けて2018年10月に始まった。
川内原発に続いて佐賀県の玄海原発が再稼働した結果、原発分は計414万キロワットになった。九州には太陽光発電の設備も多い。こうしたことから、需要が落ちる春や秋にバランスを保つ必要があり、全体の出力を調整しなければならなかった。
政府は、出力制御する順番を定めた「優先給電ルール」を作っている。それによると、火力で調整しきれなければ、再エネで調整する。原子力は最後だ。原子力は「発電量を短時間で調整することが難しい」からだという。
出力制御の初年度となった2018年度、九電は、太陽光と風力で計26回、総発電量の0.9%を制御した。2019年度は11月26日現在、41回。太陽光発電の制御対象は、設備容量ベースで既存施設のおよそ半分以上に相当する。
実際に指示されると、どうなるのだろうか。
福岡県みやま市の民間企業・みやまエネルギー開発機構に尋ねた。原発事故を機に太陽光発電に着手し、計5500キロワットの発電所を運用している。九電からはこれまで、計26回の指示を受けたという。
指示を出す場合、九電は前日の午後4時ごろになると、事業者に実際の指示をメールで伝達する。
同社の石橋慎二業務部長は「お金と人手の両面で圧迫されています」と話す。
連絡を受けると、石橋さんは翌日早朝に自宅から約30分かけて発電所に行き、出力制御の操作を行う。指示は電力需要が少なくなる時期に出やすい。このため、この春の大型連休中の5日間はすべて対象になり、石橋さんはどこにも行けなかったという。
経済的な損失もある。同社は約15億円を借り入れて発電所を建設し、年間の売電収入約3億円を返済原資に充てていた。ところが、2018年度は出力制御により、約1700万円を得られなかったという。返済計画に与える影響は大きい。
石橋さんは言う。
「出力制御の指示は晴れた日ばかりなんです。迷惑している。原発事故の教訓として、再エネを進めるといっていたのに……。世の中、間違った方向ばかり。原発を止めてほしい。事故が起こっても分からないのかね」
LPガス販売を軸とする民間企業・チョープロ(長崎県長与町)も、似たような状況下にある。海沿いや山にある太陽光発電所はメガソーラーなどを含めて大小約50カ所。出力制御の指示があったこの1年で売上高は5%落ちた。
定富勉・新エネルギー事業部長は言う。
「来年度以降は対象の設備がさらに広がります。原発を動かせば、負の遺産で核のゴミを生み出す。太陽光は原料も要らない。ゴミも出ません。懸念材料だった不安定さも、この数年で改善されつつある。(出力制御に関する)ルールの見直しがあってもいいと思います」
原発最優先の給電ルール 「変更を」と専門家
「原子力→太陽光や風力→火力」という給電の優先順については、専門家の批判も根強い。
環境エネルギー政策研究所(東京)の飯田哲也所長は「出力制御によって予想以上の損害を受けた業者もおり、さらなる導入にブレーキをかける可能性が高い」と言う。
「欧米では、太陽光の制御順は原発より後の最後で、しかも極力制御せずに温水、蓄電や水素などへの活用も進む。九電は太陽光の制御指示をしている時間帯に火力を抑えているが、それでも火力を300万キロワット以上残して運転している日もある。制御の不十分さがうかがえます。日本の不透明で過大な太陽光制御や原発優先のルールを見直さないと、今後の再エネの主力電力化は成り立たないでしょう」
太陽光発電は夜間や悪天候時に発電量が少なくなり、安定した電力供給ができないとの見方もある。これについては「天候や日照、夜間などの発電量の増減に対して、予測し備えることができる。九電も現に天気の予測をもとに制御を行っています」と指摘する。
自然エネルギー財団(東京)の大林ミカ事業局長は「出力制御が困難な原子力を優先する仕組みは非効率的です」と話す。
「多くの国で、自然エネルギーは燃料費のかからない一番安い電気として市場で取引されています。米国では風力と太陽光のコスト競争力が高まり、火力発電を代替することによるCO2削減効果が明確に表れ、この7年間で発電に伴うCO2排出量は米国全体で20%以上も少なくなっています。日本でも自然エネルギーのコストは安くなってきた。これを最大限に利用するには、こうした市場の拡大に加え、送電網の柔軟な運用が必要です」
同財団は今年1月の報告書で「環境、安全性の点から、原子力よりも自然エネルギーを優先して供給することが常識的な判断である。しかし日本では太陽光や風力よりも原子力を優先させる。原子力の出力制御が技術的に困難という理由からだ」と指摘した。そのうえで、現在のルールは「非効率」であり、変更するよう訴えている。
2003年に政府が初めてまとめたエネルギー基本計画には、電力小売自由化の進展を見通しつつ、原子力優先の考え方がこう記されている。
「特に初期投資が大きく投資回収期間の長い原子力発電については、事業者が投資に対して慎重になることも懸念される」「原子力発電が強みを発揮し得る長期安定運転を確保するため、需要が落ち込んでいる時に優先的に原子力発電からの給電を認める優先給電指令制度や長期的に送電容量を確保することを可能とする中立・公平・透明な送電線利用ルールの整備を図る」
こうしてできた原発優先ルールは今も踏襲されている。そして、各電力会社は原発再稼働に併せて出力制御ができるよう準備を進めている。
福島の自宅は取り壊しへ 避難者の苦難は続く
夫を亡くした緒美さんの暮らしは、相変わらず激流のようだ。
浩幸さんが他界した後、長女は結婚して家を出た。長男もこの10月、結婚して鹿児島市内で家庭を持った。父の死の意味を当時理解できていなかった次男は小学4年生になり、緒美さんと2人で暮らしている。
緒美さんの悩みは尽きない。
一つは夫から継いだ太陽光発電だ。「投資の回収にあと10年はかかると思います。出力制御の対象になるのが心配」と明かす。
住宅の問題もある。
双葉町の自宅と同じ規模の家を建てられるだけの補償はない。鹿児島では、避難者への支援制度を利用し、賃貸住宅に住んでいる。その支援も打ち切られるかもしれない。政府と福島県はこの住宅提供を次々に打ち切っており、2020年春には、浪江町や富岡町などの「帰還困難区域」約700世帯も含め、打ち切りになる。そうなると、支援が続くのは大熊町と遠藤夫妻の住んでいた双葉町だけだ。
緒美さんは「次は自分たちの番か」とおびえる。
「単に切り捨てだよね。税金投入するだけの金がないから打ち切るということでしょう? 見捨てられていると思う」
双葉町では今後、原発事故で生じた放射性廃棄物などを置く「中間貯蔵施設」が整備されていく。自宅は、まさにそのエリア内だ。緒美さんらはそこに戻ることもできないし、やがて環境省が取り壊す。
この8月、緒美さんは長男や長女らと一緒に双葉町を訪れた。自宅の向かいにあった義父母宅は既に壊され、更地になっていた。
遠藤さん一家の住宅は造りが丈夫で、動物が入り込んだ痕跡もなかった。
玄関を開け、部屋の様子を見て回った。家の中で放射線量を測ると、事故前の空間線量平常値の10倍近くもある。
居間の床には、月めくりカレンダーが「2011年3月」のまま落ちていた。浩幸さんの柔道の表彰状や子どものおもちゃも落ちている。緒美さんが見付けた黒い筒には、長男の中学の卒業証書が入っている。東日本大震災は、ちょうど卒業式の日だった。
長女は「こんなのある」とおもちゃのパトカーを手に取ったり、自室のベッドに置いたままだった中学のセーラー服を手に取ったりした。
長男が連れてきたフィアンセは、彼の小学校の卒業文集や通信簿など数点を持ち出した。長男は何も持ち出さなかった。
緒美さんは室内を見渡しながら、「きれいすぎて嫌。こんなにきれいなのに住めない」と言う。
玄関のドアに鍵を掛けて退去する際、緒美さんは左側の窓を見た。バルタン星人のフィギュアが立っている。
福島第一原発の緊急作業や一時帰宅の際、夫はここに立ち寄った。そのとき、「見守ってもらうんだ」と置いていったという。その後、地震が何度もあったはずなのに、バルタン星人は倒れなかった。
双葉町は大きく変わっていた。
田んぼだった所も除染廃棄物を入れた黒いフレコンバッグ置き場になっていたり、通れた道がもう通れなくなっていたり。JR双葉駅付近では、屋根がつぶれ、廃墟になった建物が目立った。政府と町は住民の帰還を目指し、2022年春には町内の一部地域で「避難指示」を解除する方針だ。でも、解除予定地でもある双葉駅付近などを目の当たりにすると、本当にこんな場所で人が暮らしていけるのだろうか、と緒美さんは思う。
「町には何もない。廃炉も進まない。『アンダーコントロール』はどうなったのでしょう」
残された妻の思いは……
双葉町での取材の後、緒美さんに再び会うため、11月に鹿児島を訪れた。川内原発の周辺を歩くと、大型の工事車両が頻繁に出入りしている。再稼働に必要とされた安全対策施設を建設するためだ。
匿名を条件に九州電力の社員と会った。彼は言った。
「国が本気を出して再エネに取り組んでいるとは、とても思えませんね。蓄電池の開発に本腰を入れていますか? その結果がこれ(安全対策施設工事)です。原発慎重派が慎重なことを言えば言うほど、こうやって巨額のお金が落ちるんです」
朝日新聞や毎日新聞が電力各社に聞いたところ、各原発の安全対策施設には総額5兆円が必要だ。川内原発の場合、当初の想定では足りず、今年7月時点で5倍の2200億円に。11月下旬に取材すると、さらに220億円増え、2420億円となったとの回答があった。
2018年7月に閣議決定された「第5次エネルギー基本計画」は、再生可能エネルギーの「主力電源化」をめざす方針を初めて打ち出しはした。ただし、2030年度の電源構成に占める比率は「22~24%」。一方、原発の比率は「20~22%」と明記した。原発は全国で9基が再稼働しているが、30基以上稼働させないと達成できない数値である。
緒美さんによると、夫は鹿児島で子どもたちとの時間をとても大事にしていたという。「子育てってすごくいい。楽しい。かわいい」と話し、夜は子どもと添い寝した。
緒美さんが継いだ太陽光発電設備のそばには、遠藤家の墓がある。夫の他界後、双葉町から移したものだ。そこには、こう刻まれている。
<追憶 東日本大震災に伴う原発事故により故郷・双葉町を追われ此処に移住する>
青木美希(あおき・みき)
朝日新聞記者。ルポライター。原発事故を追い続けている。近著に『地図から消される街』(講談社現代新書)。