東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃コーチの小谷野栄一さん(38)は、選手時代から、長くパニック障害に苦しめられている。めまいや吐き気に襲われながらも、理解ある仲間に支えられて打点王に輝くまでになった。現在も完治していない。だからこそ、たどり着いた境地があるという。(取材・ 文:菊地高弘/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)
突然のめまいや吐き気と向き合う
突然動悸が激しくなり、めまいと吐き気がやってくる。実際、試合中にグラウンドで吐いてしまうこともある。だが、小谷野栄一さんはこう言って豪快に笑う。
「試合中にグラウンドで吐いているとき、気づいているお客さんもいるかもしれません。僕がそれを隠そうともしていないので。知らずに見た人は『二日酔いで吐いているんだろう』と思うんでしょうけどね」
隠そうとしないのは、それが「自分らしいと思う」から。
小谷野さんが患っているのはパニック障害。極度の不安から動悸や発汗、過呼吸に陥る不安障害を指す。厚生労働省が2002年度~2006年度に実施した調査によると、パニック障害の生涯有病率は0.8%。日本人のおよそ120人に1人がパニック障害に罹患している計算になる。
プロ野球選手としての現役生活16年間のなかで、10年以上にわたってこの病気とともにプレーしてきた。初めてパニック障害を発症したのは2006年、北海道日本ハムファイターズに入団して4年目の夏のことだった。
「めまいや吐き気、脱水症状に近いものがあったので、最初は熱中症かな? と思ったんです」
2軍での試合中、決定的なことが起きる。打席に向かう途中、吐き気を抑えきれなくなり、その場で嘔吐。打席に入った後も、タイムをかけては打席を外し嘔吐を繰り返した。
電気もつけず寮に引きこもる日々
また打席で吐いてしまうのではないか。その不安は小谷野さんを苦しめた。病院を回っても、精密検査をしても異常は見つからない。野球だけでなく、電車に乗ることや人混みに出ることにも恐怖を覚え、日常生活にも支障をきたした。
練習も試合も休み、寮の自室に閉じこもるようになった。部屋の電気をつける余裕すらなく、テレビを見ることもない。音の出ていないヘッドホンを耳栓代わりにして、ただ無音の時間を過ごしていた。
「人の声を聞くのも嫌でしたから、遮断したかったんでしょうね。廊下に出て窓から外を見れば、仲間たちはグラウンドで試合をしている。それを見るのも嫌になって、常に自分を責め続けていました」
チームドクターから心療内科を紹介され、そこで初めてパニック障害と診断された。小谷野さんはもともと、人前に出るのが得意な性格ではなかった。国語の授業で朗読を当てられそうになって、体調を崩して保健室に行ったこともある。
「野球だけが人に見てもらいたいと思える、唯一、自分を表現できるものでした。パニック障害でそれも奪われた。当時の自分の心境を表すなら、『絶望』以外の言葉はありません」
病気への無理解も、小谷野さんの苦しさに追い打ちをかけた。パニック障害は見た目だけでは病状がわからない。寮で引きこもり状態になっている小谷野さんに向かって、ある先輩選手が心ない言葉を浴びせた。
「なに休んでるんだよ」「精神的に弱いからそんなことになるんだ」
一生かかっても返せない恩ができた
転機となったのは、パニック障害を発症した年の秋に宮崎県で開催されたフェニックス・リーグ。若手選手が実戦経験を積むリーグである。そこで小谷野さんは当時2軍監督代行だった福良淳一さん(現オリックスゼネラルマネージャー)からこんな言葉をかけられる。
「何分かかってもいいから、何回タイムをかけてもいいから、とにかくバッターボックスに入ってみよう。まずはそこから始めてみたらどうだ? 審判から怒られたら、俺が謝ればすむ話だから」
その時点で、小谷野さんは「これが最後だ」と覚悟していた。練習すらまともにできない選手と、球団が来季も契約するはずはない。小谷野さんは福良さんの言葉通り、試合に出ることを決意した。
「セカンドを守っていて倒れたら、ショートの後輩が気づいてくれたり。バッティングも毎打席、トイレに吐きにいったり、打席で吐いたり。それでもその1カ月間は、『最後だ』と思ってやっていました」
そのたびごとに試合は中断する。だが、そのことで小谷野さんが怒られたことは一度もなかった。福良さんがあらかじめ手を回してくれたのかはわからない。小谷野さんはこう言って目元を赤くにじませた。
「福良さんには一生掛かっても返せない恩ができました」
このフェニックスリーグで小谷野さんは目覚ましい活躍を見せ、翌年の契約を勝ちとる。「吐きながらでも野球ができる」という新境地に達していた。
「吐こうが今日も野球ができるなら、『勝った』と思っていました。いつ不安に襲われるかわからないですけど、『これは不安でドキドキしてるんじゃなくて、ワクワクしているんだ』とか、前向きな言葉に置き換えるようにしました」
試合中にダッグアウト裏のトイレで吐く小谷野さんの姿が、チーム内では日常的な光景になっていった。吐くことがわかっているから試合前に食事をとることはなく、口から出るのは胃液ばかり。時にはのどが切れて血が出ることもあった。だが、小谷野さんにとっては「吐くことがルーティン」と、特別なことではなくなった。
「僕はもともと弱い部分を人に見せたくない、完璧でいたいという人間でした。でも、この病気になって自分の恥ずかしい部分、弱い部分を見せられる人間のほうが魅力的だと感じるようになったんです」
2010年には全144試合に出場し、打点王に輝く。その後、2018年まで現役生活を続けた。現役時代の通算成績は打率2割6分4厘、打点566、本塁打71。寮の部屋に引きこもっていた時代を思えば、望外の成功である。
「僕は克服したと思われがちですけど、今も闘っているので。でも、うまく付き合っていければ逆に個性だと思えるようになると伝えたいんです」
アスリート特有の難しさがある
スポーツ神経精神医学を研究する精神科医の内田直さん(早稲田大名誉教授/すなおクリニック院長)は、パニック障害が起きる原因について「はっきりとした原因はわかっていない」と語る。
「背景に極度の不安があることは確かですが、スポーツ選手のように慢性的に勝利へのストレスを抱えているから発症するというわけでもありません。なんらかの生物学的体質という素因に極度の不安が加わったとき、精神疾患に罹患する可能性があります」
内田さんによると、アスリートのパニック障害の治療には特有の難しさがあるという。
「アスリートは肉体的にも精神的にも強くあらねばならないという気持ちが強いために、通院や治療をしないことが多いんです。多くのアスリートは病院に行かず我慢して、放置してしまう。小谷野さんは周囲の理解もあって、選手として活躍できたのは素晴らしいことです。でも、パニック障害に罹患しながら通院しない多くのアスリートは、回復できていないのが現実です」
パニック障害の治療には、抗不安薬などの投薬や認知行動療法が有効とされる。認知行動療法とは、パニック発作を起こしうる場面に少しずつ慣れていき改善していく療法などのこと。小谷野さんで言えば、フェニックス・リーグで試合に出場したことが結果的に認知行動療法になったのかもしれない。
アスリートの中にはドーピング検査に引っかかることを恐れて、薬を服用しない人もいる。実は小谷野さんもそうだった。内田さんが説明する。
「パニック障害の薬が『ドーピングに引っかかる』というのは大きな誤解です。毎年WADA(世界アンチ・ドーピング機構)が禁止薬物のリストを公表していますが、精神疾患の薬のほとんどはそのリストに入っていません。治療すれば競技復帰できる可能性があるアスリートはたくさんいるはずで、もったいない」
2002年には日本スポーツ精神医学会が発足。同学会は所属医師のリストをホームページで公開している。
パニック障害を抱えた患者の家族や友人、職場の同僚はどのように接すればいいのだろうか。小谷野さんの場合、周囲の気遣いに居心地の悪さを感じたときもあったという。
「僕にとっていちばん良かったのは、今までと同じように接してくれること。一緒にいてくれるだけでよかったですね。その安心感がすごくうれしかったので。周りの方にとってはすごく難しいことだったと思うんですけど」
アットホームな雰囲気に助けられる
小谷野さんは昨シーズンで現役選手を引退し、今年から東北楽天でコーチを務めている。チームも、本拠の仙台も初めてである。今も試合前にトイレに駆け込んで胃液を吐く。
「2月の春季キャンプが始まる前後はコーチとはなにかとか勝手に考え込んで、2週間くらい食事もうまく取れなかったです」
しかし、それも「これを乗り越えたら、また成長できる」と考えるようになった。
「あと監督や先輩コーチの方々、選手も一体となったアットホームな雰囲気にも助けられています。選手からいじられるのも、心地いいです」
小谷野さんは笑う。
コーチとしての信念は、「人の良いところを見つけること」だという。
「病気で苦しんでいるときに人から心ないことを言われて、逆に自分は『人の良いところを見られない人間にはなりたくない』と思うようになりました。福良さんやチームメートは自分の良いところを見てくれましたしね。この病気になってないと、わからなかったことだと思っています」
若い選手を人格攻撃するような野次がスタンドから飛んだとき、小谷野さんは普段の温厚な姿から打って変わって、激しい口調で「人の良いところを見られないんなら帰れ!」と言い返すことがある。観衆の喝采を浴びるプロ野球選手も人間である。ましてやパニック障害という人間のもろさを実感せずにはいられない病気に直面したからこそ、小谷野さんは汚く卑怯な野次を許せない。
「若い選手は言い返せない。それを守ってやるのが自分の役目です。心ないことを言われたら、萎縮して本来の力を出せなくなってしまう。それは誰にでも起こりうることだし、僕と同じ経験をさせたくないんです」
昨年最下位だったチームは、今年Aクラス入りした。小谷野さんの挑戦はまだ続いていく。
小谷野栄一(こやの・えいいち)
1980年生まれ、東京都出身。2002年ドラフトの5巡目で指名を受け、日本ハムファイターズに入団。強打好守の三塁手として活躍し、2010年には打点王に輝いた。守備の名手に贈られるゴールデン・グラブ賞は3回受賞している。2018年に現役引退し、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの1軍打撃コーチを務める。近著に自身の野球人生と闘病生活を綴った『自分らしく パニック障害と共に生きる』(潮出版社)がある。
菊地高弘(きくち・たかひろ)
1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌「野球太郎」編集部員を経て、フリーの編集者兼ライターに。2018年夏の高校野球界で「リアルルーキーズ」と話題になった白山高校の奮闘を描いた『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)を上梓した。