スタジオジブリのプロデューサーとして知られる鈴木敏夫さん(70)が、勤めていた出版社をやめてジブリ専従になったのは1989(平成元)年のことだった。『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督、2001年公開)が達成した歴代邦画興行収入第1位の記録はいまだ破られていない。ジブリのプロデューサーは「平成」という時代をどう見ていたのか。(長瀬千雅/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「やがて命運が尽きるときがくるかもしれない」
ぼくは「平成」という元号を見たとき、本当に嫌だと思いました。平成という語感の、この軽さ。それに乗っかったのがジブリだと思います。いや、実際に映画を作っているときはそんなつもりじゃないんですよ。でも今振り返るとそうですよね。
昭和は激動の時代でした。戦争に負けたあと、みんな真面目に生きざるを得なかった。頑張って復興して、平成を迎えるわけですよね。そのころには、平和と豊かさを背景に、あらゆるものを楽しむ時代になっていた。それが平成の最大の特徴じゃないですか。じゃあジブリは、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な世の中にどういうものを提供していくか。だって、お客さんたちはみんなその軽佻浮薄さに乗っかっちゃっているんだから。
細川連立政権が誕生したころもうずいぶんそういう話をしていました。象徴的なのが『平成狸合戦ぽんぽこ』です。
1994年に劇場公開された『平成狸合戦ぽんぽこ』はこんなお話だ。
舞台は高度経済成長期の終わり、東京都の西に広がる多摩丘陵。山と森を切り崩して宅地化する工事が進む。すみかを奪われたタヌキたちは「化け学」で立ち向かう。しかし人間たちは相次ぐ事故や摩訶不思議な出来事がまさかタヌキのしわざとは思わない。あらゆる作戦が失敗に終わり、敗北を悟ったタヌキたちはちりぢりになっていくのだった――。
原作・脚本・監督の高畑勲さんは当時58歳。9歳で終戦を迎えた「焼け跡世代」だった。
『平成狸合戦ぽんぽこ』という人を食ったようなタイトルを付けたのは高畑さんです。高畑さんは、平成という言葉にはバカバカしさがつきまとっていると言っていました。そのバカバカしい時代に、一矢報いたかったんです。当時、ぼくは社内向けの文書にこんなことを書きました。
「がんばりはするが、ほとんど何の成果も挙げられず、結局、タヌキたちはとんまというかまぬけな最期を迎えます。トホホ。真剣に戦ったのは一方的にタヌキのほうだけ、つまり、タヌキの『ひとり相撲』に終わるわけですが、多くの観客は、そこではじめて、ある感慨をおぼえます」
人間の自然破壊を告発するとか、タヌキたちの戦いぶりのおかしさとか、もちろんそういう要素もありますが、映画として大切なのはそこではありません。
ぼくらが考えるときに参考にするのは、やっぱり昔の映画です。昔の映画って、人生を教えてくれましたよね。同時に、映画はお金がかかるから、面白くなきゃいけなかった。つまり、面白くてためになる。映画はそういうものだったはずなのに、フランスでヌーベルバーグが登場して何が起きたか。分けてしまったんですよ、面白いものとためになるものを。ぼくはそう思っているんです。
それをもう一回、接着剤で貼りたかったんですよね。さっき「あらゆるものを楽しむ時代になった」と言いましたけど、ジブリが作ってきたのは「ほんとにそれでいいの?」と問い掛けるものです。「面白い」だけではなく「ためになる」もあるほうが、今のお客さんもきっと喜ぶはずだと信じたんです。いうなれば、軽佻浮薄な時代に、古典的な映画の作り方をしていた。それがたぶん、ジブリの本当の秘密です。ぼくはそう思うんですが、自分たちのことですからね。誰か研究して書いてくれたらいいんですけどね。読んでみたい。
もう一つ大事なこと。この30年を振り返ると、変わらなかったのは男ですよね。女性はどんどん変わっていった。ジブリの映画はそこをちゃんととらえていた。「女性の時代」は平成のもう一つの大きな特徴です。結果として、時流に乗ってしまったわけです。
時流に流されるのではなく、時代の風を正面から受けて高く舞い上がったのがジブリだった。『平成狸合戦ぽんぽこ』はその年の邦画興行収入1位を獲得。『耳をすませば』(近藤喜文監督)を経て、1997年に『もののけ姫』を公開すると、初日だけで25万人を動員。新聞には「アニメ映画 記録破りのヒット」「平日に大人も行列」の見出しが躍り、当時の歴代邦画興行収入記録を塗り替えた。
『もののけ姫』制作時、監督の宮崎駿さんは50代半ば。鈴木さんはこの作品のために23億円の制作費を用意した。のちに鈴木さんはあるインタビューにこう答えている。「いつもの倍のお金をかけるとなると、それまでの日本の興行成績の最高記録を出しても赤字になるんですよ。で、やるかどうかなんですよ。僕はやりたかった」(『風に吹かれて』中央公論新社、2013年)
スタジオジブリが設立されたのは1985年。鈴木さんは1989年にジブリ専従になるまで、編集者と映画制作の二足のわらじを履いていた。
これはいまだに言うことを悩むんですが、ジブリを作ることになったときに最初に考えたことがあるんです。ぼくは、映画というものの延命かなと思ったんですよね。宮崎駿にしろ高畑勲にしろ、面白くてためになる映画を作るということは分かっていました。一方で、映画は既に斜陽産業だったんです。テレビの時代になって、みんな映画を見なくなった。ぼく自身は、洋画好きのおふくろとチャンバラ映画が好きなおやじに引っ張られてよく見に行っていましたけれど、高校から大学ぐらいになればなんとなく分かっていました。やがて映画は命運が尽きるときがくるかもしれないって。
だから、「いずれ終わりはくる。でもやれるだけやってみよう」と思っていました。「昔、映画という面白いものがあったんだよ」と言えるような、そのモデルになるようなものを作ってみたかった。
ところで、日本人が今のように大衆的に本を読むようになったのはいつからか、知っていますか? 岩波新書に『読書と日本人』(津野海太郎著、2016年)という本があるんですが、その本によれば、「読書の黄金時代」が始まるのは明治の終わり、つまり20世紀の初めなんだそうです。紙が安くなって、刊行点数が爆発的に増えた。関東大震災と太平洋戦争で一時的に激減しますが、旺盛な読書欲に支えられて右肩上がりを続けます。
1980年代半ばになると「かたい本」が売れなくなって、「やわらかい本」が売れるようになる。さらに1996年をピークに本全体の売り上げが下がり始める。著者は、現在の状況を分析して「〈読書の黄金時代〉としての二十世紀はとうとう終わりを迎えた」と言っています。これはね、ぼくはものすごく面白かった。
映画にしろ本にしろ、20世紀に生まれてみんなが熱狂的に支持したものが、20世紀の終盤にさしかかったころからダメになっていく。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、広告代理店もそうでしょう。じゃあこれらが復活することがあるかといったら、ぼくはないと思うんです。また新しいものが生まれる。寂しいと思うかもしれないけど、しようがないですよね。新しい時代は常にやってくるんだから。
「なぜ右肩上がりでないといけないんですか?」
この30年間にアニメーションの技術は大きく進化した。セル画からコンピューターグラフィックス(CG)へ。北米を中心にフルCG作品が増え、制作プロセスのデジタル化が進んだ。アニメーションスタジオの合従連衡(がっしょうれんこう)も進んだ。日本では2000年代にテレビアニメの制作本数が増加。近年では動画配信サービスの普及で視聴方法が多様化し、Netflixのようにアニメーション制作に直接予算を出すオンラインメディアも出てきた。
『千と千尋の神隠し』の後、ディズニーやドリームワークスから提携の申し出もあったという(鈴木敏夫「『千と千尋』はディズニーに勝った」、文藝春秋2002年10月号)。ジブリはそのオファーを受けなかった。アニメーション産業の構造が大きく変化するなかで、「映画を作る町工場」であり続けた。
ジブリの決算などというものが世の中に出ているかどうか知りませんが、毎年の数字を並べてみてください。ガタガタなんですよ。どかんと利益が出たと思えば、次の年は10分の1だったりするんです。今の会社はみんな「来年は10パーセント上乗せを目標に頑張ろう」と考えますよね。そんなこと考えない。だって、なぜ右肩上がりでないといけないんですか?
この考えは別にぼくのオリジナルではないんです。ぼくは1972年に徳間書店に入社するんですが、そんな発想はありませんでした。社長(徳間康快さん)も徳間書店の1年間の売り上げがどれだけかなんて知らなかったんです。幸せな時代でしょう?
ジブリに行ってからぼくが一番考えていたのは、「いかに会社を大きくしないか」です。会社なんて大きくしたらつまらない。
今はキャラクター商品でもうけたり、DVDや有料配信で回収したりすることが当たり前になっていますが、ぼくは基本的に、映画に投じた予算は映画だけで回収したいんです。そうしたらほかのことをやる必要がないから。
最近ではよく「どうして(Netflixなどの)動画配信をやらないんですか」と聞かれますが、二束三文で扱われるからやりたくないんです。
キャラクターグッズも「作るな」「売るな」と言い続けてきました。よく誤解されるんですが、トトロのぬいぐるみも、作ったのは映画を公開してから2年後です。ぬいぐるみを作るサン・アローという会社の関さんという人が「とにかく一度見てほしい」と言って見本を持ってきたんですが、これがものすごくよくできていた。トトロの形状が生かされていて、グッズを作ることに大反対だった宮さん(宮崎駿さん)も認めざるを得なかった。
グッズに関して言えばもう一つ、「上代で100億円以上は売るな」と決めたんです。100億円を超えたら、協力会社が集まる会議で、満座の前で担当者を怒鳴りつけました。本当に。あるとき、みんなに取り囲まれたんです。「もっと売らせろ」って。ある会社の人なんて「うちだけで2000億円の売り上げを上げることができます」と言ったんです。冗談じゃないですよね。そんなことをしたらジブリのキャラクターがあっという間に死んでしまいます。ぼくはジブリのキャラクターに長く生きてほしいんです。
数年前にぼくがその会議に出なくなってから、ぼくに内緒で100億円を突破しているのでちょっと頭にきているんですけどね。会社を大きくしてもいいことないです。みんな勝手なことをやり始めるんです。ほんとに、冗談じゃないですよね(笑)。
世の中と反対のことをやったほうがうまくいくというのは、ぼくの信念としてあります。徳間書店時代に、新しい雑誌の案を出したことがあるんです。「中学生のための政治雑誌」なんですけど、条件を付けたんです。「広告なし」って。そうしたら、怒られましたね。何を考えてるんだって。でも売ればいいんですよ。みんな、雑誌は広告でもうけるものと思い込んでいるんです。
どうやったら売れる企画が作れるか? 少し乱暴なことを言いますよ。どんな企画でも、この時代にみんなが見たいものにすることはできます。今起きていることをその中にぶち込めばいいんです。
鈴木さんの学生時代にこんなエピソードがある。ある新聞社の採用試験を受けて、最終面接まで進んだ。そのとき、「新聞の社会的責任をどう考えますか」と聞かれて、「ない」と答えたというのだ。(前掲書『風に吹かれて』)
「そんなものはあると思いません」と答えたら、面接官の顔が変わりました。でも、ぼくはそういうものを背負って仕事をするのはつらかった。もっと自由でいたかった。ぼくは、出版というものには二つ必要だと思うんです。一つは体制に絡め取られないこと。もう一つは自由であることです。その二つがあるときに面白いものが作れる。映画も同じだと思います。
編集長になったり社長になったりしましたが、決めていたことが一つだけあるんです。何かというと、責任は取らない。責任を取らないんだから、プレッシャーもありません。そもそも、ぼくがジブリの社長だった期間はみなさんが思うより短いんです。
おやじは会社を経営していたんですが、言われたことがあるんです。「社長にだけはなるな」。なぜかというと、誰のために生きているか分からなくなるから。
実際、徳間書店から独立するとき、「社長になりませんか」といろんな人を口説きにいきました。残念ながらみんな断られましたけれど。ある人にこう言われたんです。「だって宮崎さんと鈴木さんがいるんでしょ。それで社長をやるって、こんな損な役回りはないですよ」って。納得しましたね(笑)。
2013年春、ジブリのアニメーターたちに制作部門の解散が告げられた。アニメーターだった舘野仁美さんの著書に、そのときのことがこう書かれている。
いつかこの日がくることは、覚悟していたつもりでした。でも、いざ現実となってみると、やはりショックでした。「宮崎さんと鈴木さんが『ジブリを畳む』と言ったら、私たちはジタバタしないで、やめないといけないのよ」つねづね後輩たちにそう言ってきた手前、うろたえている姿は見せられませんでした。(『エンピツ戦記』中央公論新社、2015年)
その後、宮崎さんの長編復帰で再びスタッフが集められ、現在制作が進んでいる。
「憂えるなんて年寄りのやることですよ」
鈴木さんは「ジブリの言葉」を紡いできた。例えば、高畑勲監督の遺作となった『かぐや姫の物語』(2013年)の宣伝コピー、「姫の犯した罪と罰。」は鈴木さんによるものだ。
著書『人生は単なる空騒ぎ 言葉の魔法』(KADOKAWA、2017年)には、映画制作の過程で鈴木さんが書いてきたさまざまな文字が収録されている。宣伝コピーのほかにも、便せんにびっしりと書かれた企画書、お礼状、依頼状、スタッフへの檄文などなど。人を巻き込み、動かし、その気にさせるための言葉だ。
平成後期に普及したブログやSNSによって、インターネット上に投稿されるテキストの量は爆発的に増加した。言葉がインフレを起こし、軽くなっているともいえるこの状況を鈴木さんはどう見るのか。
それに近いことは今までにもあったと思うんです。それこそ、20世紀の初めに起こったこともそうです。それまで文章を書かなかったような人たちが書き始めて、小説というものが生まれる。戦後になると、女性たちが書き始める。
そういったことは全て「振り返って分かること」なんです。いつの時代にも現代があって、渦中にいるときは、自分が生きている今がのちにどう評価されるかなんて、そんなことは分かりません。もっと言ってしまえば、その時代その時代に「これが正しい」と信じられていることは、のちの人が見ればほとんど「嘘」です。
言葉が軽くなったと憂えているようだけど、憂えるなんて年寄りのやることですよ。軽くなって、その果てにどうなっていくかを見なきゃ。
言葉は生き物だから、ぼくは新しい言葉が生まれることを絶対に否定しません。世の中はそういうものだと思う。常に動いている。アニメーションもそうです。宮崎駿に言わせると、世界はいつも動いている。それを切り取って映画の中で再構成する。それが「生きている」ということなんです。
「煩悩即菩提」という言葉を知っていますか? 週末にある本を読んでいたらその言葉が出てきて、これはどういう意味なんだろうと思ったんです。そういうことがあるとぼくは必ず宮さんに「こんなこと考えてたんですよ」と話すんですが、月曜日に会ったときにぼくが「煩悩即…」と言ったら、宮崎駿がでかい声で「菩提!」と言ったんです。宮さんはいまだに映画を作っている。なぜ作るかといえば、煩悩があるからだと。そこでぼくは言い返したんです。
「煩悩って活力ですよね」
「そうだよ、鈴木さん、煩悩は生きる力なんだよ」
「それは同感ですよ。でも、菩提ということは、悟るということでしょう」
「俺に悟りはないんだ」
「でも即菩提って言ったじゃないですか」
そこが難しいんだよって、悩んでました(笑)。こんなやりとりを今も続けているんです。平成の次の元号ですか? 全く興味ありません。時代は変わっていくものです。それを楽しめばいい。ケセラセラです。ぼくはそう思います。
長瀬千雅(ながせ・ちか)
1972年、名古屋市生まれ。編集者、ライター。
【連載・平成時代を視る】
まもなく終わりを迎えようとする平成時代。この30年で社会のあり方や人々の価値観はどう変わっていったのか。各界のトップランナーの仕事は、世の中の動きを映しています。平成を駆け抜けた著名人のインタビューを通して、分野ごとに平成時代の移り変わりを概観します。