長谷川美祈

「もう将棋を指すのは無理なのかもしれない」―― うつ病になった人気棋士の喪失と復活

2018/12/27(木) 9:05 配信

盤面の駒の動きが全く頭に入らない――。昨年初夏、将棋棋士・先崎学九段は混乱の中にいた。うつを発症していたのだ。アマチュアですら簡単に解ける詰将棋も解けない。「もう将棋は指せないかもしれない」。そう思い詰めることもあった。かつて「天才」とたたえられた棋士の、喪失から復活までの軌跡を追う。(ノンフィクションライター・崎谷実穂/Yahoo!ニュース 特集編集部)

異例の忙しさとストレスが引き金に

「対局中なのに、全然頭が働かない……」

将棋棋士・先崎学九段(48)が異変に初めて気づいたのは、対局中の将棋盤の前だった。目の前の盤面に全く集中できないのだ。思考がまとまらず、なんとなく指してしまう。こんなことは、今までになかった。

そこから、朝ベッドから起き上がれない、眠れない、体がだるい、決断力が落ちるといった症状が次々と現れてきた。そのうち、耐え難いほどの胸の苦しさ、頭の重さなども出てきた。じっと横になっていると、高所から飛び降りたり、電車に飛び込んだりといったイメージが浮かんでくる。いわゆる希死念慮である。

「うつ」だった。2017年夏のことである。

先崎さんと囲碁棋士である妻が東京・西荻窪に開いた将棋囲碁サロン。取材はそこで行われた(撮影:長谷川美祈)

先崎さんは17歳でプロデビュー、早熟な才能から「天才先崎」と他の棋士たちから恐れられた。文才にも恵まれ、週刊誌で10年以上エッセーを連載していたこともある。現在も人気将棋漫画「3月のライオン」の監修を務めるなど、人気、実力とも棋界を代表する棋士である。いったい何が起きたのか。うつになるきっかけとして先崎さんが思い当たることは二つある。

体に変調を覚える直前の2017年春、先崎さんは二つの業務に追われていた。一つは「3月のライオン」の実写映画化に伴う原稿執筆やイベント登壇、取材対応などだ。マネージャーがいない先崎さんには、知人から仕事の依頼が直接舞い込み、てんてこ舞いの状態であった。もう一つは、2016年に起こった「将棋ソフト不正使用疑惑」にまつわる対応である。将棋ソフトを参考にしながら対局した棋士がいるのではないかという疑惑が持ち上がり、当時の日本将棋連盟の会長が辞任。後任には先崎さんと同世代の棋士であり元名人の佐藤康光九段が就いた。先崎さんは連盟執行部の役付きではなかったが、責任を感じるベテラン棋士の一人として、新体制を軌道に乗せるため奔走していた。

「初めて経験するストレスでしたね。映画で将棋界を盛り上げようという明るい打ち合わせをした後に、崩壊した組織の立て直しについて出口のない議論をする。精神的に不安定にもなりますよ。さらに、対局の前日にまでイベントや取材が詰め込まれるなど、忙しさも異常でした」

(撮影:長谷川美祈)

入院と休場

日ごとに悪化していくうつの症状。その中でも先崎さんは公式戦の対局にはなんとしても出場し続けたいと願っていた。しかし妻、そして精神科医である兄は、先崎さんが限界であることを見抜いていた。兄に半ば懇願されるように、先崎さんは2017年7月26日、慶應義塾大学病院への入院を決める。プロ棋士になって初めて、公式戦を休場して不戦敗となった。

入院した当時は、1カ月ほどで公式戦に復帰するつもりだった。しかし、兄にはっきりと「今の状態では、最短で復帰できても来季から」と言われてしまう。逡巡した結果、先崎さんは今季の残りの対局を全て休場することを決める。8月10日には日本将棋連盟の公式サイトで、先崎さんが2017年9月1日から2018年3月31日まで休場することが発表された。文面に「一身上の都合により」とあったため、将棋ファンは「何があったのだろう」と先崎さんの身を案じた。

入院は約1カ月で済んだ。だが、闘いはここからだった。

簡単な詰将棋でさえ、お手上げ状態に

羽生善治九段とは同い年。羽生九段を破って棋戦で優勝したこともある(撮影:長谷川美祈)

退院から2週間ほどしたある日、仲のいい年下の棋士が2人、先崎さんのもとへ遊びに来た。そこで久しぶりに2人の将棋を観戦することにした。ところが驚くことに、盤上で何が起きているのか全く理解できなかったのだ。

「もう将棋を指すのは無理なのかもしれない」と、先崎さんは怖くなった。でも30年以上続け、人生そのものになっている「将棋」を簡単には諦められなかった。

主治医には、将棋をやるなと言われていた。先崎さんは当時を振り返る。

「でも、詰将棋くらいならいいんじゃないか、と思ったんですよ」

詰将棋とは、与えられた駒を用いて王手の連続で王将を詰めるパズルのようなものだ。1手詰、3手詰、5手詰……と、詰むまでの手数が長いほど難しい。プロ棋士であれば、21手以上の詰将棋でも一瞬で解いてしまう。

まず、9手詰を解いてみた。これなら楽勝であろう、と思って選んだ問題集である。ところが、どんなに考えても答えが分からない。そこで今度は、一つレベルを落として7手詰にチャレンジした。

「それも全く解けないんです。プロ棋士が7手詰の問題を解けないのは、数学者が小学校の算数の問題を解けないようなもの。それまでにも脳の機能が落ちていると感じることはありましたが、まさかここまでダメになっているとは。うつ病は本当に、脳の病気なんだと実感しました」

休場中はサロンのテラスにあるハンモックに寝転がり、よく空を眺めていた(撮影:長谷川美祈)

赤坂クリニック坂元薫うつ治療センターの坂元薫医師は、

「うつは『心の風邪』などではなく、脳の病気です。まだうつ病の発症メカニズムは十分には解明されていませんが、さまざまなストレスを抱えて睡眠も十分に取れず、脳の疲労が回復しない状態が続くと、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れて脳の機能不全が起きてしまいます。その結果、うつ状態になると考えられています」

と、説明する。坂元医師は東京女子医科大学病院精神科などで36年間にわたり精神疾患の研究と治療に取り組み、1万人以上のうつ患者を診てきた。

「よく、うつになった人に『うつ病になるなんて、弱いからだ』『ただ怠けているだけじゃないの』という見方をする人がいますが、それは間違いです。怠け者と決めつけられて、余計に追い込まれ、病状を悪化させるうつ病患者はたくさんいます。先崎さんのように、過酷な勝負の世界で戦ってきた『強い人』でも、多忙や種々のストレスなどの引き金があればうつ病になる。誰でもなりうる病気なんです」

では、うつからの回復にはなにが必要なのか。それは薬、休養、そして周囲の理解と温かいサポートだと、坂元医師は言う。

「うつっぽいのではなく、病気としてのうつ病にかかっているのであれば、治療において薬はほぼ必須です。抗うつ薬に抵抗がある人もいますが、『肺炎で抗生物質を処方されたら飲みますか?』と聞くと、皆さん『はい』と答える。うつ病で薬を飲むのも、それと同じです。また先崎さんの場合はお兄さんが精神科医ですし、周囲の適切なサポートがあってすぐに入院することができました。これはやや特殊な、幸運なケースともいえます」

身内に加え、入院中に見舞いに来てくれた友人知人の棋士たちも先崎さんにとって支えになった。

「会いに来てくれるだけでもうれしかったけれど、『みんな、先崎さんを待っています』と言われるのが本当にうれしかった。うつの治療中は、刺激を避けるために世間と隔絶されている。誰にも必要とされていないという気持ちになるんです。だから、人に好かれている、尊重されているということが分かると安心します」

そうやって復帰への階段を一歩ずつ上っていった。

うつ病体験をまとめた本を今年7月に出版した(撮影:長谷川美祈)

『うつ病九段』の原稿は、手書きだった(著者提供)

「将棋でうつを治した」という思い

詰将棋の9手詰、7手詰が解けなかった翌日、先崎さんはさらに簡単な5手詰の問題集を持って公園に向かった。ベンチに座って解いてみる。さすがにすらすら解け、かすかな達成感が得られた。その日を足掛かりに、少しずつ将棋を指し始めた。

「うつの治療としては、そんなに頭を使っちゃいけなかったのかもしれません。でも、私は将棋でうつを治したという気持ちが強くあります。1局指すだけで疲れてぐったりしてしまうのですが、それでも将棋をやれたこと自体が大きな自信につながっていった。社会復帰に近づいているという感覚を得られたんです」

そして2018年6月13日、休場から約9カ月で先崎さんは公式の棋戦に復帰した。第77期名人戦・順位戦の第1局だった。その時の気持ちは、「ひとことで言えば、不安でした」。

「対局自体、この1年まともにやっていない。しかもその間、全く頭が働かないような状態だったわけです。それでいきなり、何時間もの対局が果たしてできるのか。勝つか負けるかということ以前に、ちゃんと指せるかどうかが不安だったんです」

結果は黒星。相手の得意な展開に持ち込まれ、ぎりぎりのところで競り負けてしまった。でも、最後まで対局を全うできた。それは大きな自信になった。

棋士を待つ将棋会館(東京・千駄ヶ谷)の対局場(撮影:長谷川美祈)

復帰後の初勝利は、手が震えた

翌月には「第四期叡王戦」の予選九段戦で、高橋道雄九段と対局。序盤で先崎さんが着実にリードを広げ、2時間弱、57手という短手数で復帰後初勝利を挙げた。

「この将棋は相手のミスで途中から大差がついていたので、私の力で勝ったという感じはしませんでした。それでも最後、相手の玉(王将)を詰ますときには、緊張して指が震えました」

そして、8月には名人戦・順位戦で、2勝目を挙げた。復帰して3カ月。以前のようにとはいかないかもしれないが、プロ棋士として十分な将棋を指せるところまで復活した。指せることが当たり前になってくると、今度は負ける悔しさが蘇ってくる。

「負けると激しく落ち込みます。かなりつらいです。あと、落ち込むと怖くなります。うつのひどい症状がぶり返すんじゃないかと。あれはもう、悪夢のような体験でしたから」

18年11月に将棋会館で行われた名人戦・順位戦で(撮影:長谷川美祈)

今でもまだ、うつ発症以前の将棋の感覚が完全に戻ったとはいえない。先崎さんはうつから復帰したあと、以前よりもだいぶ年を取ったような感覚になったという。

「倒れる前は、対局も相当気合を入れて臨み、他の仕事もバリバリこなして、今が一番脂が乗っている時期だ、くらいに思っていたんです。でも1年ブランクがあくと、急に年を取ったような感じがしました。壮年から老年になったような。いや、もともと将棋の棋士としては、40代後半はピークを過ぎてへこたれてくる年なんですよね。なんといっても、勝てなくなりますし。脂が乗っているという感覚のほうが、錯覚だったのかもしれません」

休場中は心がざわめくので、将棋に関する情報に一切触れないようにした。だから社会現象にまでなった藤井聡太七段の活躍も、あとから知ったという。

「棋士がやたらとテレビのニュースなどに出てくるので、なんか変だなと思っていたんです。藤井君が二十何連勝したあと、将棋ブームが巻き起こっていたんですね。藤井君とは彼がプロになったばかりのころ、イベントなどで2回くらい一緒になったかな? その時は全然目立たない存在で、まだ私の方が人気ありましたよ」

先崎さんは、取材の最後の方でそんな軽口を言う余裕も見せた。

「今はまだ復帰して半年。一局一局がやっとで、そんなに大きな目標は持てないですけど、淡々といい将棋を指したいですね」

(撮影:長谷川美祈)


先崎学(せんざき・まなぶ)
1970年、青森県生まれ。1981年、小学5年で奨励会(プロ棋士の養成機関)に入会。1987年にプロデビュー。1991年、第40回NHK杯戦で同い年の羽生善治を準決勝で破り、棋戦初優勝。棋戦優勝2回。順位戦の最高クラスA級に二期在位。2014年、九段に。漫画「3月のライオン」の将棋監修を務める。棋書だけでなくエッセーまで幅広く執筆し、著書多数。


崎谷実穂(さきや・みほ)
人材系企業の制作部でコピーライティングを経験した後、広告制作会社に転職。新聞の記事広告のインタビューなどを担当し、2012年に独立。現在はビジネス系の記事、書籍のライティングを中心に活動。著書に『ネットの高校、はじめました。新設校「N高」の教育革命』『Twitter カンバセーション・マーケティング』。共著に『混ぜる教育』。構成協力に『発達障害を生きる』など。

[写真]
撮影:長谷川美祈
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝


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