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伊藤圭

人工知能は小説家の夢を見るか――AIと「創造力」を考える

2018/09/05(水) 09:44 配信

オリジナル

人工知能(Artificial Intelligence=AI)は、急速に私たちの社会に浸透しつつある。今後、AIが私たちと同じような知性や創造力を持つ時代が来るのだろうか。そもそも「知性」とは、「創造力」とは何なのか。「AIに小説を書かせる」プロジェクトを手がけるAI研究者の松原仁氏と、SF作家であり「人工知能の父」の研究もしている小川哲氏が語り合った。(Yahoo!ニュース 特集編集部)

AIが書いた小説を作家が読んでみたら

対談はまず、松原氏が主宰した人工知能による小説制作プロジェクト「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」で、「AIが書いた」小説の吟味から始まった。

同プロジェクトは2012年にスタート。SF作家・星新一のショートショートと呼ばれる超短編小説1000編をAIに解析させ、新しいショートショート作品を書かせた。タイトルは「コンピュータが小説を書く日」。人間に使われなくなったAIを搭載したホームコンピュータが退屈しのぎに数列による小説を書き始め、ついには……というストーリーだ。創作にAIが使われているということを隠して「第3回 日経星新一賞」に応募したところ、1次審査を通過した。

松原 この小説はプロットを人間が考えて、それを文章にする部分をコンピュータが担当しました。プロジェクトとしてはプロットの部分もコンピュータが生成することを目指して進めています。それができれば一連の小説創作が一応コンピュータでできたことになると思っています。

まつばら・ひとし 1959年生まれ。工学博士。公立はこだて未来大学教授。人工知能、ゲーム情報学を専門とし、AIに執筆させた小説が「星新一賞」の1次審査を突破して話題を呼ぶ。主な著書に『AIに心は宿るのか』(集英社インターナショナル新書) (撮影:伊藤圭)

小川 読んでみて小説として優れていると感じたのは、全体の構成に無駄がない点です。「人間とAI」の関係性を「小説と数列」に置き換えていて、かつ、それ以上の無駄な文章を極力排している。意味のない装飾もない。実は余計なことを書かないのは、結構難しいのです。

おがわ・さとし 1986年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程でアラン・チューリングの研究をする一方、『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞して作家デビュー。2作目の長編『ゲームの王国』(早川書房)で第31回山本周五郎賞を受賞(撮影:伊藤圭)

松原 「拙作」と表現していいのか分かりませんが、お褒めいただき、ありがとうございます。構成に無駄がないのは、人間が与えたプロットをそのまま忠実に小説にしていることによります。いい面もあるとは思いますが、話を膨らませることが現段階ではできないからなんですよ。小説の面白さはメインのプロットだけでなく、たとえば膨らませた人物描写などにもあると思うのですが、技術的にその面白さを出すことがまだできません。

小川 文章のリズムの作り方、キャラクターの見せ方、ドラマの作り方などを学ばせることができれば、そこがいちばん難しそうですが、未来は明るいと思いました。

「人工知能の父」チューリングとは

――この小説を人間が書いたものか、AIが書いたものか、区別できますか。

小川 たぶん不可能ですね。おそらく、人が書いたものか、AIが書いたものかの判断も、AIにしかできないと思う。語彙、句読点の使い方、プロットラインなどで判別できるかもしれませんが、そのためには小説を数値的に読まないといけませんから。

コンピュータと人間は区別できるのか。人類で最初にこの疑問を提起したのはイギリスの数学者、アラン・チューリング(1912~1954)だった。1950年に発表した「計算機構と知能」という論文で、離れた場所でコンピュータと人間が装置を通じて「チャット(会話)」したとき、相手が人間かコンピュータか分かるのかという実験「イミテーションゲーム(のちにチューリングテストと呼ばれる)」を考案したのである。チューリングは第2次世界大戦でドイツ軍の暗号を解読するなどの功績があったにもかかわらず、当時のイギリスでは違法とされていたホモセクシュアルで有罪となり、1954年に自殺した。その生涯はベネディクト・カンバーバッチ主演で「イミテーション・ゲーム」(2014年、イギリス・アメリカ)という映画にもなっている。小川氏は東京大学大学院総合文化研究科博士課程に在学中で、チューリングの研究を行う。

小川 チューリングは「機械に心があるとはどういうことか?」を、まじめに考えた人です。当時は電卓レベルの計算能力しかない機械に対して、「心」という問題を持ち込んだのはかなり先進的で、その発想自体がいろんなことを飛び越えています。チューリングが「人工知能の父」と呼ばれるゆえんです。

松原 チューリングは、「AI」っていう言葉自体は使ってはいないんですよね。AIという言葉が登場するのは1956年です。ジョン・マッカーシー(アメリカの計算機学者)がダートマス会議という研究発表会のような場で初めて「AI」という言葉を使いました。

小川 そもそもチューリングの時代、コンピュータというのは「計算する職業の人」のことで、人間を指していましたし。

松原 そうですね。今の人はたぶん、「コンピュータ」が人を指していたっていうのは知らないですよね。学生に言うと「先生、ウソを言ってるんじゃないか」とかネットで調べ始めて、「あ、ほんとだ」。目の前の先生の言うことを信じろ、って(笑)。

対談は古びた日本家屋の一室で行われた(撮影:伊藤圭)

小川 チューリングは「インテリジェントマシン」とか、そういう言い方ですよね。最初から「コンピュータは人間の一部分、知性の一部分」と位置付けたのが、注目すべきポイントです。いつか、「コンピュータ的な知性というものがあって、むしろ人間がそれを見習わなければならない」というような発想の転換が来るのかもしれない。

松原 僕は今の人工知能の研究はまだチューリングの手のひらから出ていないと考えています。チューリングは「知性とは計算の延長線上にある」と考えた。今だと当たり前で人工知能研究ってそれを大前提としてるんですけど、それを初めてちゃんと認識していたのがチューリングです。

小川 そうですね。

同性愛が発想の原点?

松原 今日は小川さんにぜひ聞きたいことがあるんですよ。チューリングは論文の中で、今で言う「チャット」でコンピュータが人のふりをできるか、という思考実験をしています。でも、もともとの論文では最初それは、「人対コンピュータ」ではなくて、「男性対女性」なんですよね。男性が女性のまねしてしゃべって、それを相手が見えなくても見破れるか、という話から始まる。

小川 「イミテーションゲーム」ですね。

松原 そう。要するに今のネカマみたいな話なんですよね。オンラインゲームで男性が女性のふりをするのが話題になったとき、僕、「ああ、これってイミテーションゲームだな」ってすぐ思いました(笑)。まあ、チューリングはもちろんオンラインゲームなんて想定してたわけではないと思うけど、設定としては同じですよね。

小川 そうですね。「イミテーションゲーム」は当時のパーティーゲームだったらしいです。今で言う「人狼(じんろう)」みたいな感じで。

(撮影:伊藤圭)

松原 そのチューリングの発想は、彼が同性愛者だったことと関係ありませんか。

小川 あると思います。当時、同性愛は違法だったので、チューリングは異性愛者のふりをするというイミテーションゲームを毎日やってたわけですよね。それが「人対コンピュータ」のチャットという発想が出てくることに重要な役割を持っていると思います。

松原 それを聞きたかったんですよね。今まで僕がそれを言っても「何を言ってるんだ、おまえは」みたいなことを言われたので。確認できてよかったです。みんなに言おう(笑)。

小川 そもそも「機械に心があるのではないか」という発想も、同性愛者と関係しているのかもしれません。というのは、同性愛者は当時のイギリスでは人間扱いされなかったんですよ。でもチューリングは「人間ではない」とされた同性愛者にも、自分を通して、心があると知ってたわけで。だから、「同性愛者も人間である」という視点がきちっとあった。そういうチューリングの立場だからこそ分かったものがあるのでは。

(撮影:伊藤圭)

「創造力」とはなにか

――小川さんはAIに創造力があると思いますか?

小川 すごく身もふたもない話をすると、「多くの人がそこに創造性があると思えば、あるとするしかない」と思うんです。機械が進歩してなんらかの創作物を残したとしても、それまでの創造力の定義をどんどん書き換えていく可能性があるからです。だから「ある」といえば「ある」し、「ない」と認定すれば「ない」ことになってしまう。

松原 まさにそうだと思います。かつて「チェスは知性の象徴だ」と言われたこともあったんですが、スーパーコンピュータの「ディープブルー」が人に勝っちゃうと、「あんなルールが決まったゲーム、コンピュータが強いのは当たり前じゃないか。人間の知性はそんなところにないんだ。知性の本質は違うところにあるんだ」って、みんな変わる。将棋や囲碁もそうですよ。

小川 結局、いま人間が創造性だと思ってることをコンピュータが実現したら、「あんなのは創造性じゃなかった」ってなって、達成した時点で創造性ではなくなる、という。

松原 将棋や囲碁でも人間があんな手を指したり、打ったりすれば絶対「創造的な棋士だ」と言われるんだけど、どうもプロ棋士はそれを創造的だと言うのはちょっと悔しい、みたいな。「創造性」という言葉をそこに使いたくないというのがある。

全ての「俳句」を作り出せる人工知能

松原 創造性で言うと、最近国内ではAIに俳句を作らせることをやってて面白いんです。東大の学生で俳句の世界で有名な若手がいて、その人の作品をAIが学習して、それをベースに俳句を作る。一番僕が驚いたのは、俳句の最初の五七が本人と同じ、ほぼパクリなんですよね。でも最後の五を変えただけの句について、ご本人が「絶対AIの句のほうがいい。負けた」って言ってるんです(笑)。

小川 俳句は五七五で17文字の世界です。ということは、ひらがなは50音しかないから、ひらがなを「50の17乗」分並べれば、全ての俳句の全体集合が得られます。でたらめなものも含めて。

松原 そう、「50の17乗」分並べた言葉を、季語が入っているかとか俳句の観点でピックアップしていけば、それで全ての意味が通じる俳句の集合が作れちゃうわけですよね。だから今までの全ての俳句はその部分集合でしかないわけです。身もふたもないプロジェクトなんですが、日本人のAI研究者の中では飲むとこれがけっこう話題になってる。実際にやってみたら面白いんじゃないかって。俳句の世界をみんな敵に回すけど(笑)。

AIで全ての俳句が作れる。「俳句の世界をみんな敵に回すけど」(撮影:伊藤圭)

小川 人間には思いつかないような言葉の組み合わせが、ひょっとしたら機械だからこそ発見できるかも。「AIが人間をまねする」んじゃなくて、「AIが自分の分野に人間を持ち込む動き」なんです、それは。そういう意味では、俳句とか詩みたいなものっていうのは、ちょっと人間には生み出せないような傑作がポンと出てくる可能性がありますね。

松原 創造性っていうのは結果論です。みんなから評価されたら創造的なわけですよね。さっきの将棋や囲碁の手もそうだし、小説でも創造的ってのがあるとすれば、何らかの新しい試みをして、それが世の中で多く受け入れられたら「それは創造的だ」ということになる。AIがまだつらいのは、評価というところが創造性と絡んでいて、俳句も評価を人間に任せているという段階にあるところです。

2人の著作(撮影:伊藤圭)

「創造性」があるか否かは人間の評価次第?

――結局のところ、将棋でも小説でもAIの創造性は人間の評価を抜きにして存在できないわけなんですね。

松原 そうです、そうです。周りから見て、人が「え、誰もまだこんな手は指したことがないぞ。すごい」って言ってるだけなんですよね。

小川 その手がなぜ良いのかというのを理解できなかったら、それはいくら良い手でも「分からない手」になる。だから、松原先生がおっしゃったように、結局、われわれが理解できないものは創造的であるかどうかもわれわれには判断できないので、それを創造的と呼ぶことはできない、ということだと思いますね。

(撮影:伊藤圭)

松原 われわれは創造的というと「一人の天才がパッと突き抜けてそこに行った」っていうイメージをなんとなく持っているけど、それはたぶん、天才と同時期に多くの人間もいろんな小説書いて、みんな討ち死にしているんです。その中で誰かが評価されて、それが「創造的である」と言われているだけ。コンピュータ的に言うと並列的に同時に多くの人が同様のものを書いて、その中の1人が評価を受けた。さっきのAIで俳句を作ったときと似ている。そう考えると、人間もコンピュータも創造の過程は実はあんまり変わらないんじゃないか。

「電波」を捕まえられるのが人間の能力

小川 独自性についても「それが独自である」と判断できる観客だったり大衆だったり、受け手が存在して初めて独自性になるわけなので。創造性も、ひょっとしたらそんなに簡単な話じゃないかもしれないですね。

松原 研究も、本当にぶっ飛んでると理解されないんですよね。

小川 本当にそうですよね(笑)。文学では、「どういう電波を受信するか」っていうのが重要なんですよ。で、僕がちょっと思ったのは、チューリングがコンピュータとの比較で人間に重要なのは、イマジネーションじゃなくてイントゥイション(Intuition=直観)って言ってるんですね。「イントゥイションこそが人間の知性の一番の取りえだ」みたいに言ってるんです。僕の言う「電波」っていうのはこの「イントゥイション」かもしれないですね。

松原 まあ、そういう意味では理科系の研究も電波が飛んでこないとダメなんですけど(笑)。飛んできた中のどれを受け入れるかが研究者で。

小川 でも、それって結局、急に電波が飛んでくるわけじゃなくて、伏線がいろいろあるわけですよ。チャンネルを合わせてるわけですから。波長を、自分の受信機を。

松原 そうそう。変な話ですけど、僕はSF読んだり、哲学書読んだりすると、なんとなく電波が飛んでくる。コンピュータの最先端の論文読んでてもあんまり飛んでこない。新しいことやってるんだけど、だいたい想像の範囲なので。

結局、われわれはまだチューリングの手のひらから出ていなかった(撮影:伊藤圭)

――ではAIと人間の違いって、「飛んできた電波を捕まえられるかどうか」なんでしょうか?

松原 まあ、そうなんですよね。それが進化的に身につけた能力ではある。しらみつぶしに何かを作ったり調べたりする能力はコンピュータの方が人間より高い。その代わり人間は電波を受け取れる能力を得た。

小川 それはあるかもしれないですね。もともとチューリングは「人間の思考は有限である」という仮定からスタートして、コンピュータを誕生させてますから。

松原 そう。結局、われわれの対談もチューリングの手のひらから出ていないことを確認しました(笑)

企画・取材協力:ライター・森旭彦
撮影:伊藤圭


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