「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りのうちかなりの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」。東京電力の元会長ら旧経営陣3人を被告とする刑事裁判の証人席で、東京大学名誉教授の島崎邦彦氏(72)はそう証言した。長く、日本の地震研究の中心的存在だった島崎氏は、福島第一原発の事故後、原子力規制委員会が発足すると同時に委員長代理の要職に就き、2年間、原発の新規制基準への適合審査に当たってきた。島崎氏はなぜ、その職を引き受けたのか、東日本大震災前の防災行政で何が起こっていたのか。これまでは、語れなかったこともある。それも含め、インタビューで質問を重ねた。(木野龍逸/Yahoo!ニュース 特集編集部)
大阪北部地震 「あの程度はいつでも起きる」
この6月18日、大阪府北部を震源とする最大震度6弱の地震が起き、4人が死亡した。住宅の被害は3万棟超。島崎氏にインタビューしたのは、その直後だ。そして冒頭、島崎氏は「このくらいの地震で被害が出るようでは、本当に大きな地震がきたら大変なことになりますよ」と切り出した。
島崎氏が「本当に大きな地震」を研究していたのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)において、である。1995年の阪神・淡路大震災で、地震に関する知見を十分に生かすことができなかった反省から、地震の調査研究を集約する組織としてその年に生まれた。
島崎氏は地震本部で、2012年までの17年間にわたって「長期評価部会」の部会長を務めた。
長期評価部会は、どんな役割を担っていたのだろうか。
「過去にどういう地震が起きたのかを議論し、今後に起こる可能性を評価する部会です。論文などのほか、古文書も使い、歴史上の地震を分析しました。評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震です。その規模以下の地震はいつどこで起きても不思議はない。だから大阪くらいの地震で被害が出るような状態は、とんでもないことなんです」
地震の長期評価 公表に「横やり」
地震の長期評価とは、プレート境界や活断層で起きる大地震を対象に、長期的な発生可能性を「確率」などで示すものだ。日本列島を色分けしながら「30年以内に震度6弱以上の地震が起きる確率」が数値で示されており、関心を持って見た読者も多いだろう。
島崎氏らのグループは2002年6月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を取りまとめ、三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が発生する可能性がある、と指摘した。その予想震源域は、東日本大震災の震源域に重なる。
その報告書は翌7月、親会議の地震調査委員会で承認、決定された。ここまでは何も問題は起きていない。おかしなことが起きたのは、その後だったという。
「(報告書などは)内容が決まると早ければ同じ週か、翌週には発表されていた。ところが、あのときは2週間経っても発表されなかったんですね」
すると、7月26日になって、地震本部事務局の担当者から島崎氏にメールが転送されてきた。元の発信者は内閣府の防災担当者。福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判し、発表の先送りか、前書きに一文を追加するか、どちらかを選ぶよう求めていた。
追加の文案はこうだった。
なお、今回の評価は(中略)限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。
この報告書は信用できない、対策はしなくていい──。そう言いたいのだ、と島崎氏は感じた。
「これは(地震本部事務局の)課長に言わなくちゃダメだと思って、翌日の土曜夕方に電話して『こんな前書きを付けるようなら出さないほうがいい』と抗議したんです。ケンカ別れになりました」
「修正要求の理由ですか? 省庁間のあつれき、縄張り……。最初はそんな理由だろうと思っていたんです。でも後でよく読むと、明らかに、福島に影響を及ぼす津波地震がターゲットになっている。結局、前書きに(あの文章は)追加されました。本文は一つも変えていませんが……。いま思うと、事務局は頑張ったんだろうと思います。圧力に対し一定のところで踏ん張った、と。だって、2011年の第2版に至っては(後に明らかになったように)電力会社に見せて(その要求を事務局が受け入れて内容を)直したんですから」
結論を骨抜き 中央防災会議
政府に「中央防災会議」という組織がある。会長は内閣総理大臣。防災行政の総本山で、関係閣僚らが委員を務める。ここに2003年7月、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が設置され、島崎氏もメンバーになった。
専門家が集まり、大地震の発生可能性を見極める場である。島崎氏は当然、判断のモノサシとして、長期評価が採用されると考えていたが、実態は違った。
「長期評価が想定している震源域は、太平洋にある日本海溝です。太平洋プレートが日本に向かって沈み込んでいく場所で、その構造は三陸沖から房総沖まで同じ。だから、三陸沖から房総沖のどこでも大きな地震が起きる可能性があるんです」
「1896年には巨大津波を伴う明治三陸地震があった。地震学の常識からすれば、次に起こる地震の震源域は、その南側、まだ地震が起きていないエリアです。400年間も大きな地震が起きていない福島沖は『本来起きるはずのものが起きていない』わけで、『そろそろ起きてもおかしくない』という意味です。だけど、中央防災会議は『科学的に考えたら南が気になるけど気にしなくていい』という結論にした。もう、むちゃくちゃです」
結局、中央防災会議の専門調査会は2005年、過去に巨大地震や津波の記録がなかった福島沖については、今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した。今後も再び起きる可能性を「否定できない地震」に備えるべきだとした長期評価とは全く異なる方針である。しかも、この方針を入れることに強く反対していた島崎氏が欠席した会合で決定してしまった。
島崎氏によると、東日本大震災の犠牲者の8割近くは、岩手県の陸前高田市より南側で津波に遭遇している。これら地域の津波の高さは、中央防災会議による2006年の想定より2〜5倍も大きかった。
もし、中央防災会議が長期評価に沿った対策を決め、福島沖でも巨大津波を伴う地震が発生する可能性を直視して宮城県南部や福島県でも防災対策を進めていたら、どうだったか。
原発事故をめぐっては、東京電力の元会長ら3人が業務上過失致死傷の罪で強制起訴され、東京地方裁判所で刑事裁判が続いている。島崎氏は今年5月9日、この裁判で証言台に立ち、そして「1万8000余りのうちかなりの命が救われただけでなく、福島の原発事故も起きなかったと思います」と証言したのである。
報告書の発表延期 その間に電力会社に提示
2002年にできた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」から9年後、地震本部地震調査委員会は改訂版の「第2版」を作成した。
初版の後、地震本部と複数の大学、研究機関が連携した研究により、貞観地震(869年)による巨大津波の痕跡が判明した。その巨大津波は、宮城県から福島県にかけて陸地深くまで入り込んでいた。福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている。
だから第2版は、このエリアでの防災対策に留意すべきだ、という項目も追加した。
島崎氏によれば、第2版は、東日本大震災の2日前、2011年の3月9日に地震本部で決定して公表し、その日の夜にはテレビのニュースで報道される段取りだったという。ところが、再び「横やり」が入る。2月中旬、地震本部の事務局から島崎氏に「決定を1カ月延期したい」という連絡が入った。
「3月の会合では決めることが多いから、という理由でした。私もそのまま了承してしまった」
2日後、東北地方を巨大津波が襲う。島崎氏はその模様を出先のテレビで見ていた。
「大震災の後、自分を責めていました。なぜ発表を遅らせたのか、って。延期を了承してもしなくても、事態は変わらなかっただろうとは思います。起こるべくして、大地震は起こった。だけど、2日前とはいえ、発表できていれば、かなりの方が救われたのでは、と思って……」
地震本部はなぜ発表を延期したのか。
政府の事故調査委員会報告書などによると、報告書案を電力会社や経済産業省の原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会)に事前に見せ、その後、貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような修正を加えていたことが分かっている。
巨大津波を事前に予想できたかどうか。それも争点になっている東電刑事裁判で証人に立ったとき、島崎氏は第2版の発表遅れによって「多くの命が救われなかった。責任はあると思った」と声を詰まらせた。傍聴席には、原発事故による避難者も多数詰めかけていた。しんとした法廷では、鼻をすする音も聞こえた。
「規制委」時代に経験したものは
インタビューの中盤、話は原子力規制委員会(規制委)時代の出来事に及んだ。
「いろいろ、めげることもありました。そんなときに奮い立たせてくれたのは、避難者の手記です。阪神・淡路のときのものもある。東日本大震災、原発事故のものもある。いくつか自分で持っていて、あれを読むのが一番のクスリになる。二度とこんなことは起こさないようにしたい、オレはまだ頑張るぞ、って」
原発事故後にできた規制委は、それまで原発の規制を担っていた経済産業省の「原子力安全・保安院」と、内閣府の「原子力安全委員会」を統合したものだ。国会事故調査委員会では、旧組織は電力会社の利益に寄り添っていると批判されていた。島崎氏は規制委の委員長代理に就き、原発の安全審査を担当していく。
しかし、地震の専門家が原発の安全性を審査できるのだろうか。
「(原発事故の後)科学が疑われる状況になった。これはとんでもないことです。科学が悪いんじゃない。(自らの利益などのために科学的な知見を無視したり、ねじ曲げたりするなど)自分勝手な科学をつくり出す人が悪いんです。原発はよく知らなかったけれども、規制基準が悪いというより、審査に問題があると思っていた。そこを直すことで科学を疑う人をなんとかしたい、そのために2年間やってやろう、と思いました」
規制委は、原子力の研究者や電力会社、巨大な権限を持つ行政の関係者がまみえる場でもある。そのただ中に入って原子力に対する見方はどう変わったのか。
「電力会社に対する信頼を失いました。全てとは言わないけれども、いくつかの電力会社は特に。真っ当な学者からすると、ビックリすることを電力会社はやってくる。提出資料のやり直しを指示しても、同じものを何度も持ってきたこともありました」
福井県の若狭湾沿いに立地する原発の地下構造について関西電力から説明を受けたときは、心底驚いたという。
規制委は、原発の地下構造を詳細に調査するよう電力会社に義務付けていた。地下構造は、少し離れただけでも変化し、揺れ方が変わると考えられているからだ。実際、例えば、2009年の駿河湾地震では、中部電力の浜岡原発(静岡県)の5号機が他の号機より2倍以上も揺れている。
「それなのに若狭湾の原発(大飯、高浜)について、関西電力は敦賀半島での調査を全部の原発に流用していた。そんなのダメに決まってます。あり得ないですよ」
島崎氏の姿勢に対しては当時、電力会社や原子力関係者の間で「厳しすぎ」「審査が長引いている」との批判がくすぶっていた。
当の本人は「ぜんぜん厳しくない。地震学者として普通にやっていただけです。彼ら(電力会社)は最低線を探ってくるんです」と切り返した。最低線とは、安全対策などに投じる費用を極小化する目的を優先させ、いかに低コストで再稼働させるか、そのギリギリのラインを探る、という意味だ。
「ごまかせるのであれば、それでいいという感覚ではないでしょうか。安全文化が大事などと言葉では言いますが、そんなものはない。それが私の印象です」
「地震発生確率は政府のため」 では私たち個人は?
日本は地震の活動期に入った、と言われる。1980年代に比べると、揺れの大きな地震は確かに増えており、特に東日本大震災の後は震度4以上を観測する地震も珍しくない。一方で予測は難しく、政府は昨年9月、数日内に東海地震が起こるかもしれないという「予知」に関する情報発信の取りやめを決定した。
多くの人が不安を抱き、他方では判断の難しい情報が飛び交う。では、私たち個人はどんな構えでいればいいのだろうか。
「長期評価で報告しているように、どこでどういう地震が起きるかについては、間違っていないと思います。ただ、地震発生確率は参考であって、本来は個人が使うものではありません。本当は政府に使ってほしい。起きるかもしれない地震に対し、限られた時間と予算でどんな対策を打つか。それを考え抜く。その判断に際してこそ、長期評価は意味があります」
「個人にすれば、起きるか起きないかです。起きれば100%で、起きなければ0%。では、一人ひとりはどうしたらいいか。巨大な地震に関してだけですが、実は防災に必要な情報はほとんど与えられています。あとはみなさん、やりますか、やりませんか、という話だと思います」
「もちろん、大地震が起きない可能性もたくさんある。起きなければ幸せです。生きている間に自分の近くで大きな地震に遭わなければしめしめで、遭ったらそれまで、という世界に生きている。日本はそういう場所なんです。そして、そんな地震が起きたとしても大丈夫という形で運営するのが、原子力の本来の使い方です」
木野龍逸(きの・りゅういち)
フリーランスライター。自動車にまつわる環境、エネルギー問題に加え、原発事故発生後はオンサイト/オフサイト両面から事故の影響を追い続ける。著作に『検証 福島原発事故・記者会見1〜3』(岩波書店)ほか。
[写真]
撮影:江平龍宣、木野龍逸
提供:アフロ
最終更新:8/26(日) 0:55