2023年北朝鮮 誰がなぜ飢えているのか? ~セン博士の「飢饉分析」から考える~
■食料品店前で餓死した人の存在
飢饉の研究で1998年にノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・セン(Amartya Sen)は、祖国で1940年代に発生したベンガル飢饉の際、食料が大量に保管されている食料品店の前で飢えて死ぬ人の存在を指摘し、食料の供給量と飢えに苦しむ人の発生は直接関係がなく、飢餓とは充分な食料を手に入れるだけの能力や資格が損なわれた「剥奪状態」であると説いた。
1990年代後半、北朝鮮を覆った大飢饉の取材を続けていた私は、センの著書「貧困と飢饉」を読んで目からうろこが落ちた。北朝鮮国内で隠し撮りされた映像には、闇市のコメ売り場や露天食堂の前で、瘦せこけた子供たちが拾い食いするシーンが映っていた。
私自身、1998年3~4月に咸鏡北道を3週間余り訪れた際、同じような光景を目撃した。ジャンマダンに度々行く機会があったのだが、何百人もの女性たちが穀物や餅、パン、ソバを売っている周りには物乞いする子供たちが群れていた。目の前には食べ物がある。しかし、コチェビの子供たちはそれにアクセスすることができないのであった。
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それから25年後の今、北朝鮮でまた餓死する人が出ている。誰が、なぜ飢えているのだろうか?
■コロナで広がった北朝鮮の死角
2020年1月、中国発のコロナパンデミックが始まると、金正恩政権は電撃的に国境を封鎖し、人とモノの出入りを遮断した。国際郵便もウイルス付着を恐れて止めてしまい、このコラムを書いている時点で、葉書一枚送れない状態が続いている。
中国に出国してくる人、脱北者はほぼ皆無。朝鮮総連の機関誌・朝鮮新報の記者でさえ2020年に撤収した後、交代要員が今も入国できていない。パンデミックを機に北朝鮮の死角はどんどん広がってしまった。
私は20年前から北朝鮮の住民と共に国内情勢を取材している。通信には搬入してある中国の携帯電話を使っている。現在連絡を取り合えている協力者は6名だ。以下の内容は、彼・彼女たちからの報告を精査したものだ。
パンデミックが発生した2020年の秋には、収穫の終わった農村に落穂拾いに出かけたり、農家で物乞いをしたりする都市住民の姿が各地で見られるようになった。翌2021年の夏頃から、取材強力者の周囲で栄養失調や病気で死亡する人が出始めた。訪ねると親戚が家の中で死んだという協力者もいた。真っ先に窮地に陥ったのは老人世帯や母子家庭などの脆弱層だった。センの言う「剥奪状態」は、北朝鮮でいかにして発生したのだろうか?
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■稼ぐ機会と権利を政府が剥奪
金正恩政権はコロナ防疫を理由に国内の移動を厳しく制限した。同時に「非社会主義的行為をなくす」として、個人の経済活動を強力に取り締まった。個人食堂でさえ営むのは禁止。パンや餅などの食品、衣料品の縫製、リアカーを使った運搬などの小商いに人を雇うことが不可能になった。
成人男子は配置された職場への出勤を強要されて商行為や賃仕事をすることが困難になった。こうして都市住民は現金収入が激減した。1990年代に食糧配給制度がほぼ破綻した後、国民の大半は自力で経済活動をして現金を得て、市場で食糧を購入して暮らしてきた。その機会が政府によって奪われたのである。
「お金が底をついたら、親戚や知人からお金やコメを借りる。次は家財を売りに出す。借金取りが押しかけて、鍋釜まで取り上げていく騒ぎが近所でもある。万策尽きたら、物乞いをするか、犯罪に走るか、女性なら売春。最後には家を売るのだ」
咸鏡北道に住む協力者は、このように説明する。
状況がさらに悪化したのは今年の春からだ。協力者6人全員が、「4~5月の間に居住する地区で餓死者が出た。年寄りや幼児が市場や道端で物乞いをしている」と伝えてきた。
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■メディアは北朝鮮の内情を取材しよう
7月14日に世界食糧計画(WFP)など国連の5機構は、20~22年の北朝鮮の栄養不足人口は1180万で人口比44.5%に及ぶだろうと発表した。北朝鮮に人道危機が発生しているのは間違いない。そんな隣人の窮状がもっと報じられるべきだが、多くのメディアは北朝鮮の死角に取材の光を当てられてない。
センは著書でこう述べている。
「厳しい飢餓が発生し続けていることは、民主的政治が制度としても実践としても欠如していることと密接に関連している」
(2023年8月23日付の東京新聞のコラムに加筆しました)