【御殿場市】最も標高の低い登山口『御殿場口新五合目』を山開き前に散策してみた!
富士山の登山ルートは山梨側の吉田口、富士宮口、須走口、御殿場口の4ルートあります。
この4ルートすべて標高が違い、一番標高の高い富士宮口では2400m、そして一番標高の低い御殿場口では1450mでその差は950mもあります。
御殿場口からの富士登山は山頂までの標高差が大きく、距離が長いので、健脚者向けのルートで、他のルートと比べて山小屋も少なく、霧が出やすいので道に迷いやすいそう…でもそのため最も登山者が少なく静かな登山が楽しめて、しかも標高の高い登山道からご来光が見られるという利点もあります。
また2008年に皇太子徳仁親王殿下が富士登山をされた際に、富士宮口五合目から登り始め、6合目の山小屋前を通り、宝永火口に降りてトラバースぎみに御殿場口六合目に抜けて、そのまま御殿場ルートで登頂。下山は、大砂走りを使って御殿場口新五合目に降りるというルートを取られました。富士宮口五合目の標高が他のルートよりも高いので山頂までの標高差が小さく、砂の載った岩場の多い同ルートよりも歩きやすく空いている御殿場ルートの6合目から上を利用出来るこのルートは「プリンスロード」と呼ばれているそうです。
御殿場口から5分ほど離れた場所にある太郎坊には英国旅客機遭難者慰霊碑がありました。
1966年3月5日ブリティッシュエアウェイズボーイング707型旅客機がこの地、富士山太郎坊の上空を飛行中、富士山によって起こされた乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落するという大惨事が起こり、乗員乗客124名全員が命を落としたそうです。この痛ましい航空機の事故が再び起らないようにと建てられたという英国旅客機遭難者慰霊碑。
航空事故があったことも知らずにいた私は、慰霊碑から空を見上げ、亡くなられた方々のご冥福を祈りながら手を合わせました。
御殿場口には2013年にプレオープンしたマウントフジトレイルステーションは富士登山期間のみ開設ということで、現在はまだ閉まっていました。
展望台からの景色が良いと聞いていましたが、霧が出ていたために景色は見られず、残念でした。
御殿場口の鳥居の左側には「日本初スキーの地」と言う看板があります。
日本のスキー発祥の地はオーストリアの軍人・レルヒが高田の山で日本人にスキーを教えた場所の新潟県高田とされています。その前にオーストリアのクラッセルが友人のレルヒと共に1910年に富士登山し、八合目まで登ったところで悪天候と高山病のために登頂を断念し、スキーで滑降したとの記録が残っているそうです。
日本に初めてスキーが持ち込まれたのは、1895年に松川敏胤大尉がスカンジナビアから持参したものと聞いたことがありますが、スキーがあっても実技が伴わなく滑ることができなかったのでしょうか。実際に滑り降りて来た二人のオーストラリア人に、日本人は驚きと憧れを抱いたのでしょう。
1975年には太郎坊辺りに御殿場市市営スキー場が開設されたそうです。しかし自然雪のため雪が少なくて営業できない事が多く、雪崩被害もしばしば発生したため1990年に廃止となったのだそう。
まだ若かりし頃1度しか経験のない富士登山ですが、足腰鍛えてプリンスロード登山をしてみたくなりました。
7月10日の山開きが楽しみです。
御殿場口新5合目:御殿場市中畑2110-10