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ニューヨークに始まった広島への道   被爆地訪問に見られたオバマの「生き方」

津山恵子ジャーナリスト、フォトグラファー
オバマ氏が学生時代、「核兵器なき世界」を訴えた寄稿記事

「朝起きて最初に見る子供達の笑顔、伴侶の手にキッチンテーブルを挟んで優しく触れ合うこと、両親の優しい抱っこ、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあった」

この瞬間、オバマ米大統領は、うつむき、細い唇を一文字に結んだ。隣にいた安倍晋三首相は「あれっ」と気遣うように、ちらっと大統領を見やった。

「亡くなった人々は、私たちと同じ人間だったのです」

と、オバマ氏は顔をあげた。この瞬間、オバマ氏が、広島、長崎の71年前に「共鳴」しているのを感じた。

5月27日に現職大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏のこの演説の冒頭も、あれっと思った。

「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです」

「なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?」

数々のイベントにのぞみ、情景の描写から始めるのは、オバマ氏の演説にはよくある。例えば、広島訪問の3日後、メモリアル・デー(戦没者追悼記念日)で行った、バージニア州・アーリントン戦没者墓地での演説は、墓地の描写から始まった。

しかし、広島演説の冒頭は、まるで広島にいたかのような描写だ。

「謝罪」云々という報道がある中、私は、オバマ氏の演説が歴史的なものになる、後世に残る、と予感していた。

予感の理由は、ジャーナリストの大先輩で共同通信社元ワシントン支局長の松尾文夫氏が2009年に初版を出した「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」(小学館101新書)が、頭の隅にあったからだ。初版から7年後、筆者の願いは、本懐を遂げた。

松尾氏が、この歴史的和解を探るようになったのは、「ドレスデンの合意」だ。ドイツの古都ドレスデンは1945年、終戦直前に米英による無差別爆撃を受けた。古都のほとんどが破壊され、犠牲者は3万5000人、それ以上ともいわれる。しかし、50年後の1995年、ドイツと米英は、共同の鎮魂式を開催し、歴史的なわだかまりに一応の終止符を打った。

「日本とアメリカの間では、どうしてこうした儀式ができていないのか」。

松尾氏は、ドレスデン合意に衝撃を受け、米大統領の広島訪問、そして日本の首相の真珠湾訪問の可能性を探り始める。

第2に、予感を強めたのは、現職大統領が、ほかでもない、オバマ氏だったことだ。広島の地に立つだけで、「謝罪」同然だとして反対するであろう共和党選出大統領だったら、絶対にありえなかった。

彼には「核」の問題とは切っても切れない青春があった。それは、ニューヨークで始まった。

オバマ氏は1981年、ニューヨークのコロンビア大に入学した。レーガン政権下の当時、冷戦による核攻撃の恐怖が高まっていた82年からは、全米各地で反核デモが開かれた。オバマ氏がルームメイトとジョギングをしていたニューヨークのセントラルパークでは、100万人が集結。反核デモ、あるいは政治的なデモとしても、ニューヨークでは過去最大規模だ。

翌83年3月、オバマ氏は、校内雑誌「サンダイヤル」に「戦争マインドを打ち破る」という記事を書いた。記事からは、100万人デモだけでなく、市内やキャンパスで多くの集会やデモがあり、市内が騒然としていた様子が分かる。キャンパスに多くの学生グループもあった。写真は「武装化反対の学生」という団体のものだ。

記事は、こう終わる。

「武器をもっと、さらに武器をという古い対処方法は、一触即発状態にある状況下で、欧州では受け入れられないだろう」

「(その事実は)偽りではない、永遠に続く、核がない平和を求めて努力することへの導きでもある」

これが、大学生だったオバマ氏の「核兵器のない世界」への「訴え」だ。

彼は恐らく、このころ、広島・長崎の被爆関連の書物も手にしていただろう。それが、今回の演説の冒頭に反映しているような気さえする。

2008年、大統領に当選。09年、「プラハ演説」で、オバマ氏は、

「アメリカは、核兵器を使用した唯一の核保有国として、行動する道義的責任がある」

と、踏み込んだ発言をした。

具体的な核弾頭廃絶のプロセスを示し、ロシアとの交渉に臨んだ米大統領は初めてで、同年、ノーベル平和賞を受賞する。

ニューヨーク・タイムズによると、コロンビア大で彼を教えた教授は、33年前、オバマ氏が書いたリポートの内容が、米大統領が取るべき交渉プロセスだったと証言している。

「オバマ氏は、このことについて、長いこと考えていて、ホワイトハウスの側近が『これをやったらどうですか』などと言ったから、始めたものではない」(同教授)

松尾氏は、「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」で、他の伏線があったことも指摘している。

ウォール・ストリート・ジャーナルは、ブッシュ政権下の07年1月、「核兵器のない世界」とする異色の論文を掲載した。筆者は、オバマ氏ではなく、共和党からキッシンジャー、シュルツ元国務長官、民主党からペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員会委員長という、超党派の大物外交官だ。

4氏の論文の締めくくりは、以下だ。

「今再び全世界からの核兵器の廃絶というビジョンを掲げ、この目標実現のための現実的な措置を提示することは、アメリカの道義的な遺産から生まれた大胆なイニシアチブと受けとめられ、将来の世代の安全に極めて前向きな影響を与えるだろう」

「プラハ演説」の先取りとも思えるこの一文を、オバマ氏が読んでいなかったはずはない。

そして、就任当初から、広島、長崎への訪問をホワイトハウスで検討した。ジョン・ルース前駐日米大使を、原爆投下の日の平和記念式典に初めて列席させ、後任のキャロライン・ケネディ大使もこれを踏襲。今年4月の主要7カ国(G7)外相会合の際、ジョン・ケリー国務長官が、広島の平和公園と広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪問し、オバマ氏訪問の最後の地ならしをした。

彼の広島訪問には、批判もある。実際には、「核兵器なき世界」へのプロセスは、遅々として進まない。

それでも、私は、オバマ氏の広島訪問と17分間の演説に胸を打たれた。それは、コロンビア大学生だったころから30年あまり、大統領に就任してから7年もの間、ほかの人には成しえなかった「歴史的和解」の一歩を兎にも角にも成し遂げたからだ。

今後、彼が全米を回る際、民主党支持者でありながらも、広島訪問反対の有権者がプラカードを掲げたりする瞬間は、必ずあるはずだ。大統領選挙の最中、民主党の有権者離れを促すことを現職大統領がしてはならない。

それでも、オバマ氏は広島にやってきた。

学生時代に育んだ信念と訴えを貫いた彼の人間性と勇気を示した。国内の批判という困難にも果敢に対峙し、物事をプラスに転換しようという「大胆さ」を見せた。彼のベストセラーのタイトルは「Audacity of Hope(邦題は合衆国再生)」だ。

広島演説の最後は、こうだ。

「未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」

日本の首脳にも、30年間、外交政策のための叙事詩を紡ぎ続けている首脳のような勇気と大胆さを見てみたい。

ジャーナリスト、フォトグラファー

ニューヨーク在住ジャーナリスト。「アエラ」「ビジネスインサイダー・ジャパン」などに、米社会、経済について幅広く執筆。近著は「現代アメリカ政治とメディア」(共著、東洋経済新報 https://amzn.to/2ZtmSe0)、「教育超格差大国アメリカ」(扶桑社 amzn.to/1qpCAWj )、など。2014年より、海外に住んで長崎からの平和のメッセージを伝える長崎平和特派員。元共同通信社記者。

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