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台湾の軍事パレードは北京に見せるため――日中戦争を戦ったのは誰か

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

7月4日、台湾の馬英九政権は抗日戦争勝利70周年記念に合わせて大規模な軍事パレードを行った。これは日本に向けたものではなく、北京政府に対して「日中戦争を戦ったのは国民党軍だ」ということをアピールするためだ。

◆日中戦争を戦った国は「中華民国」

台湾では7月4日に行う「抗日戦争勝利70周年記念」の軍事パレードの演習を、6月23日に、台湾の新竹湖口営区にある軍事基地で行っていた。準備を重ねた軍事パレードは、7月4日、軍事基地内で陸海空軍を含む3800人が参加し、各分野の最新兵器を披露した。

これは決して日本への強硬姿勢を示すことが目的ではなく、あくまでも大陸の北京政府にアピールするためだ。事実、4日の軍事パレードの演説で、馬英九総統は「あの8年間にわたる抗日戦争を主導したのは当時の中華民国政府だった」と強調している。

日中戦争において日本が戦った相手国は「中華民国」で、日本は「中華民国」に対して降伏を宣言した。

また1937年以降、最前線で日本軍と戦ったのは蒋介石が率いる国民党軍であって、その間、毛沢東率いる中国共産党軍は小さなゲリラ戦を戦いはしたが、兵力を温存させていた。1936年、毛沢東は西安事件を起こして国共合作(国民党と共産党が協力して日本と戦うこと)を約束し、国民党軍から軍事費をもらい(禄をはみ)ながら、いずれ国民党を打倒して天下を取ることに主たる力を注いでいたのである。それでいながら、まるで中国共産党軍(八路軍と新四軍)だけが抗日戦争を戦っているような宣伝戦には大々的に力を投入し、熱情たぎる言葉で人民の心を惹きつけていた。毛沢東はそういう言葉を練り出す能力に長(た)けていた。

日本が敗戦すると、中国国内では国民党軍と共産党軍の間の国共内戦が1946年から再開したが、宣伝戦によって惹きつけられた広大な民衆(特に農民)は毛沢東を信じ、共産党軍を支援した。その農民を中心とする民衆の力と、日中戦争のときに温存した力により、1949年に共産党軍が勝利し、国民党軍は台湾に敗退。「中華民国」は1971年には遂に国連を追い出されるに至っている。

毛沢東の戦略勝ちと言えば、聞こえはいいが、台湾に落ち延びた蒋介石としては耐えられないものがあっただろう。

1979年に米中国交正常化が成立すると、トウ小平は同じ日に「台湾同胞に告ぐ書」を発布している。

日中戦争における国民党軍の功績を一定程度認め、「あの苦しい抗日戦争を共に戦った仲間ではないか」と呼びかけて、アメリカに「中華民国」との国交を断絶させ、「一つの中国」しか認めさせない「埋め合わせ」をしたのである。同時に、次の戦略段階として「台湾の平和統一」に照準を定めたのだった。

◆9月3日の北京の軍事パレードは誰へのアピールか?

一方、習近平国家主席は中央軍事委員会主席として、今年9月3日に北京で開催される抗日戦争勝利70周年記念大会で初めて軍事パレードを行うことをすでに発表している。

この軍事パレードにおいては、台湾にいる国民党軍の老兵士の代表を招聘し、ひとりひとりと握手して抗日戦争時の功績を讃えることになっている。

この目的はどこにあるのだろうか?

実は、これもまたターゲットは日本ではない。

狙いは「台湾の平和統一」にある。

昨年、台湾における統一地方選挙で、国民党が惨敗している。

台湾独立を叫ぶ傾向にある民進党が勢力を盛り返した。

原因は馬英九総統があまりに北京政府寄りだからである。2014年3月には、中国とのサービス分野における市場開放を目指す「サービス貿易協定」に反対した台湾の若者が国会に相当する立法院を占拠し、ついに審議を停止させた。こういった民意は、「本土意識」と呼ばれ、香港の雨傘革命と共鳴している。

香港で実施している「一国二制度」は、もともと台湾統一のために提案されたアイディアだった。蒋介石の息子、蒋経国が一言のもとに拒絶したので、やむを得ず先ずは香港に適用しただけである。

ところが香港を良いモデルとして台湾を納得させようと思っていたのに、それが今では逆効果になっている。

来年5月には馬英九の総統としての任期が切れる。習近平政権としては、次の総統選で民進党に勝たせてはならない。だからいま中国、北京政府は、台湾に秋波を送っているのである。いうまでもなく大陸は同時に台湾に対して「大陸の軍事力を甘く見てはいけないよ。独立しようなんて思うんじゃないよ」というシグナルも送っている。それが9月3日の軍事パレードの狙いだ。

台湾は北京に対して、「日中戦争の勝利者は国民党軍だ」と主張し、北京政府は「たしかにそうだね。国民党にも一部、功績はあったよ」と認めて、台湾の心をつなごうとしているのだ。抗日戦争勝利で「共闘しよう」と思っているのは北京であって、台湾は北京に「対抗しよう」としていることを、見逃してはならない。そうしなければ、国民党の台湾における人気は下がるばかりで、総統選挙で民進党に負けてしまうからだ。その意味では馬英九の行動は、台湾国民への秋波であるということもできる。

日本は揺らぐことなく、この視点をしっかり持っていなければならない。

(なお、7月4日にしたのは、日中戦争が1937年7月7日の盧溝橋事件から始まったと中国は位置づけているからである。中国ではこれを「七七事変」と称している。馬英九総統の演説の中にある「8年間」という数値は1945年ー1937年=8年から来ている。台湾では日中戦争が始まった日を、大陸では日中戦争が終了し日本の投降を蒋介石が受け入れた9月3日を日中戦争記念日として扱うのは皮肉なことである。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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