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島が全てを受け入れたー心を閉ざした青年が人口わずか82人の悪石島に移住し奇祭「ボゼ」役を担うまで

望月冬子ドキュメンタリー作家

 九州の南、奄美大島と鹿児島の間に連なるトカラ列島に浮ぶ悪石島。この島では旧暦のお盆の最終日に悪魔祓いをする異形の神「ボゼ」が現れる。数年前に立ち寄った書店で写真集を目にしたのがきっかけで、これまでに見たことがないような不思議な容姿の神である「ボゼ」に魅かれ、私はカメラマンである夫と「ボゼ」の祭りに合わせて島に渡った。そこで出会った「ボゼ」は、島にとっての宝物。そして「ボゼ」役の青年の話しから浮かび上がったのは、悪石島の人々の心の余裕と温かい人間関係の底力だった。

<悪石島のボゼ>
 ボゼは、その見た目が非常に独特だ。赤土と墨で塗られた仮面を被り、全身はビロウの葉で覆われ、手にはマラ棒と呼ばれる棒を持つ。海の向こう、あちらの世界から現れるこの神は、神道や仏教でみられる神の姿とは、だいぶ異なる。
 全人口82名、面積も7.49平方キロメートルと非常に小さく、お店はひとつもないこの悪石島で、ボゼの伝統は400年から500年以上続いてきたといわれている。ボゼが登場するのは、10日間続くお盆の最終日、旧暦の7月16日だ。最初の約1週間は、島の男性が連日輪 になって哀愁漂よう踊りを披露する。そして最後にボゼ が出て、お盆の時に呼びよせた悪霊を払う。人々に向こう一年の無病息災を与え、お盆を日常に戻してくれる存在として大切にされている。

<とうとう目の当たりにしたボゼの姿>
 盆踊りで、浴衣を着た人々が公民館に集まるちょうどその時、太鼓の音に導かれるかのように、3体のボゼが共同墓地から上ってきた。歩きに合わせて、身体を覆うビロウの葉が ゆっさゆっさと揺れる。太鼓の音が次第に強くなり響き、そして早いテンポに変わった時、 突如ボゼは走り出す。そのままマラ棒と呼ばれる赤土のついた棒を手に、群集に乱入。人々を追いかけ回し、手当り次第赤土をつけて回った。

異様な容姿をした神の乱入によって、辺りは人々の驚きと叫びで騒然となる。怖しさのあまり泣き出す赤ちゃんもいる一方で、大人たちは笑いだす。程なくして、ボゼは太鼓の音にあわせて踊りだし、落ち着いたと思いきや最後に突然ひと暴れ。出現から10分もし ない内にもと来た場所に戻っていった。興奮に包まれながらも頭に浮かんだのはいったい誰がボゼ役をしているんだろう?という疑問だ。 そこで、盆踊り保存会会長の有川和則さん(66)にお願いすると、ボゼの「中の人」の1人である19歳の青年を紹介された。

<ボゼ役を担った青年が経験した苦悩と癒し>
 ボゼ役は、島において元気で強くたくましい青年が行う習わしだ。今回紹介していただいた久永航希さん(19)は4年前に鹿児島から悪石島に移住し、今年で3回目のボゼ役を行った。航希さんは、最初は少し照れ笑いを見せながらも、私たちとすぐに打ち解け日常の生活、牛の世話のことなどを教えてくれた。
その時のほころんだ顔からは思いもよらなかったのだが、4年前に島に来た時、航希さんはほとんど人と話さない状態だったという。航希さんは、中学校から不登校になり、家に引きこもるようになった。「居場所がなく、全てを一人で抱えていた」と、航希さんは 当時を振り返る。「先生が苦手だと感じ、学校には行きたくなかった。だが、平日の昼か ら学校の外をうろつく事もできない」。漠然とした不安をかかえたまま、家でテレビを見てゲームして寝ての繰り返し。気がつくと昼夜が逆転していた。
 航希さんの家から一歩も出ないという状態をみかね、悪石島に移住することを決断したのは、お母さんの久永美代さんだ。それまで仕事で帰りが遅くなることが多く、子どもとの時間が持てずに居た。「自然が豊かな場所で子育てがしたい」。強い思いに引かれ、島の診療所での仕事を引き受け、航希さんと航希さんの兄弟たちを引き連れる形で移住してきた。
 人に話しかけられても応えない航希さんに島民は当初少し困惑した。でも航希くんへの理解は深く、話しかけが続けられた。航希さんは「徐々に周りの島民に励まされて楽な気 持ちになり、人と話すことが楽しくなっていった」。今では欠かせないコミュニティの 一員として、ボゼ役などの重要な任務を任されている。

<外界から来訪するボゼと重なる航希くんの姿>
 一説によると、ボゼは外界から来訪する神だと言われている。「黒潮に乗ってやってきた」 とも言われるが、正確な起源はあまりよくわかっていない。しかし、毎年外界から島にやって来ては島民に祝福されるボゼと、本土から移住してきた航希さんが島に受け入れられ、 数少ない若者として島に貢献し、大役であるボゼ役をこなす姿。この2つが私には、重なって見えた。

「島に来た以上は除け者にしたくなかった」と前述の有川和則さんは言う。和則さんは、島外から来た航希さんとは対照的に、島に先祖代々住み、神主の家系として伝統行事を守り伝えて来た。「島といえば和則さん」。島のことに詳しく、誰からも頼られるような存 在だ。航希くんが来た当初から、魚とりや畑、島で行われる数多くの行事など、いく先々 どこにでも連れて行った。返事がなくても、また機会をみては話しかけ、根気よく向き合った。和則さんに連れられて島を巡るということが、自然と周りの人と打ち解ける機会を作った。「航希は、今ではすっかり積極的になって、笑うようになった」。和則さんは親のような眼で航希くんを見つめる。

 本土の特に都市部では、日本らしさや伝統的な行事が影を潜めつつある。共同体の一員であるという意識は希薄で、かつての航希さんのように、全て自分で抱えなければならないと思ってしまう方々も少なくない。しかし悪石島には、「ボゼ」をはじめとして、まだまだ昔の伝統や風習、生活スタイルが残っている。公私の境目は曖昧で、島全体の共同体意識が肌で強く感じられる。
 島の暮らしは、多分本土のどこの田舎と比べても不便だ。だけど、そうした不便さがかえって良い場合がある。「悪石島だからボゼがいるんじゃないか」と航希さんはいう。ボゼを受け入れ、守って来た人々が暮らす悪石島は、ひきこもりという現代の抱える闇に苦しんでいた航希さんに、居場所と生きる希望を与えた。

クレジット

プロデューサー 金川雄策
監督 望月冬子
カメラ John Enos
サウンド調整 Rob Mays

ドキュメンタリー作家

日本とアメリカを拠点にした、ドキュメンタリー映像作家。2016年に制作プロダクションのASHI FILMSを立ち上げ、夫でカメラマンのJohn Enosと共にドキュメンタリーのディレクションやプロダクションなどを行っている。