バノン氏との出会い――中国民主化運動の流れで
11月15日、バノン氏と会った。ワシントンにいる中国民主活動家主催のシンポジウムで座長を頼まれ、そこでバノン氏が講演したからだ。運命的な出会いにより、バノン氏は再来日に当たり筆者を単独取材した。
◆奇跡的なタイミング
11月15日、筆者は代々木にあるオリンピック青少年センターで開催された「人権、民主と和平を推進する」というシンポジウムで座長を務めるように頼まれていた。頼んできたのはワシントンで中国の民主化のために闘っている「公民力量」の韓連潮博士だ。中国の人権派弁護士として劉暁波にノーベル平和賞を受賞させるためにキャンペーンを張り、成功まで導いていった人物である。
14日の夜から始まった開幕式にも参加するため、筆者は前日の夜はオリンピックセンターの近くのホテルに一泊していた。バノン氏の講演の受け付けは朝9時から始まるが、セキュリティ・チェックは前夜済ませてあるので、講演が始まる9時半ギリギリの時間帯にタクシーで会場の駐車場に乗りつけた。
タクシーから降りると同時に、後ろから大きな車が滑り込んできて、数名の背の高い頑丈そうな男性がその車を囲んだ。
まさか――、と思ったが、予感は的中した。
大きな車から降りてきたのは、まさにスティーブン・バノンその人だったのである。
筆者はバノン氏の講演直後の同じ会場で10時半から始まるシンポジウムの座長を頼まれている。講演が終わったら、バノン氏はきっと大勢の記者に取り囲まれるだろうけど、その合間に何とか名刺交換だけでもできれば嬉しいと思っていたものだから、この瞬間、多くの思いがよぎった。
そうだ、ここで挨拶してしまおう――。
そう思って、ともかく名前を名乗り、名刺を渡して挨拶をしたところ、ボディ・ガードに取り囲まれた。そしてそのままエレベーターの前に。
エレベーターの待ち時間は、ほんの10秒ほどであったかもしれない。ここで勇気を出して持参してきた『毛沢東 日本軍と共謀した男』の英文ダイジェスト版“Mao Zedong, Founding Father of the People’s Republic of China, Conspired with the Japanese Army”を渡すべきか否か迷った。しかし彼を囲むボディ・ガードの目つきが鋭く、彼に接近できないように体でガードを固めている。これを突破する勇気はさすがにない。
ところがバノン氏が秘書らしいボディ・ガードに指示を出したではないか――。
「おい、君、君も彼女から名刺をもう一枚もらっておいてくれ。記録しておきたまえ」
それは奇跡的な一瞬だった。
筆者は自分の名前を言っただけで、毛沢東に関しても何も触れていない。
ただ、何というか、直感のようなものが彼に働いたのではないかと感じた。それは彼の目つきに現れていた。
◆バノン氏の講演
バノン氏の講演タイトルは「中国の影響と威嚇に対する、アジア民主国家同盟を打ち建てよう」だ。
彼はまず「エリート官僚によって歪められたアメリカ政治を、庶民の草の根運動によって庶民の声を吸い上げるボトムアップの政治へと持っていかなければならない」と、自らのアメリカにおける立場を位置づけた。
バノン氏は1953年にバージニア州ノーフォーク市の貧しい労働者階級の家庭に生まれている。貧しい境遇に負けまいと勉学に励み、今日に至っているようだ。
筆者自身も中国における国共内戦の際に、中国共産党軍(八路軍)によって食糧封鎖を受けた長春で絶望の日々を送り、餓死体が敷き詰められた「チャーズ」で野宿した経験を持っている(詳細は『チャーズ――中国建国の残火』)。1953年に日本に帰国した後は、引揚者として極貧を味わった。生活保護なども受けたことは一度もなく、ゴミ拾いさえした経験を持つ。筆者もエリートが嫌いだ。
ジャンパーを着て「草の根」を論じるバノン氏には共感を覚えた。
続けて彼は中国の「一帯一路」経済構想に関しても述べたが、その主張は拙著『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』の第4章「中国の野望、世界のリスク」で書いた内容と、ほぼ完全に一致していた。
座長を務めなければならない筆者は前列に席を構えて聞いていたせいもあったかもしれない。彼の主張に一つ一つうなずいている筆者の顔を何度も見ながら、バノン氏は講演を終えた。そのため演台から降りたときには、まるで何十年も親しくしてきた友人のような気持になっていた。
少なくとも筆者はそのように感じた。
おそらくバノン氏も、そう感じてくれたのではないかと推測できるのが、上掲の写真である。彼はグッと力を入れて筆者の肩に腕を回し、快く撮影に応じてくれた。
このとき、駐車場で渡せなかった『毛沢東 日本軍と共謀した男』の英文ダイジェスト“Mao Zedong, Founding Father of the People’s Republic of China, Conspired with the Japanese Army”をプリント・アウトしたものと、『チャーズ――中国建国の残火』の英語版“Japanese Girl at the Siege of Changchun How I Survived China’s Wartime Atrocity”を渡した。
二つの資料に関して説明をしようとすると、主催者側が「彼は夕方、必ずこの会場に戻ってきて、じっくりその話を聞く予定になっているので、その時にしてほしい」と言ってきた。もう数分後には次のシンポジウムで座長を務めなければならない。それなら夕方まで待とうと譲歩した。
◆徹夜のような日夜でようやく決まったバノン氏の講演
実はバノン氏を招聘するに当たり、筆者はワシントンにいる中国民主活動家らとともに、徹夜のような日夜を送っていた。というのはワシントンと東京では、ちょうど昼夜が逆転したような、おおむね12時間の時差がある。
公民力量の韓連潮博士からは、緊急連絡で「何とか日本の重量級の国会議員を招聘できるように働いてくれないか」という要望が来ていた。筆者は日頃、少なからぬ自民党国会議員に対していつくもの講演をこなしてきているので、「重量級」の議員との名刺交換もしている。その中で「中国の民主化」あるいは「言論の自由を求めて」発言してくれそうな議員を絞って、何名かと交渉をしてみた。皆さん、選挙中に自分自身の活動日程をこなせなかったので、それぞれに予定があり、都合がつかなかった。
韓連潮博士と知り合いになったのは、2016年9月にワシントンD.C.で毛沢東に関して講演した時に、その会場に彼がいたのだが、VOA(Voice of America)やNewsweekなどから取材攻めに遭い(日本のテレ朝の「ワイドスクランブル」も全過程を撮影)、講演後話をすることができなかったために、その後来日した時に、どうしても会いたいと言われ、個人的にじっくり話をしたからである。
公民力量側では、同時にバノン氏にも講演のオファーをしていたので、日本の「重量級議員」がダメだったのを知り、バノン氏の招聘に全力を注ぐ結果となった。もう後2,3日後にはシンポジウムが開催されるという時になって、ようやくバノン氏からの承諾が入り、緊急にプログラムのパンフレットを刷るというアクロバット的な日夜を送った。
11月14日夜からの開幕式では、緊迫した空気が流れた。
というのは中国政府が駐日本国の中国大使館を通して「シンポジウムを中止させよ!」という命令を出してきたのだ。中国大使館が、日本で開催されているシンポジウムを禁止させる権利があるのだろうか。日本国の領土の上で起きている冷静な議論を、他国が禁止する行動はあり得ないだろう。日本には日本の主権がある。
われわれ参加者は、より冷静に、より客観的に意見を述べ合い、団結を強めた。ここで譲歩することなどあってはならない。中国政府からの禁止命令は、「いかに中国が言論弾圧を強行しているか」ということの証拠ともなり、なおさらシンポジウムの必要性と意義を強化させるのに役立っただけである。
◆戻ってこなかったバノン氏
夕方にはバノン氏は必ず戻ってくるので、そのときにチャーズと毛沢東の話をじっくりすることができると主催者側に言われていたので、筆者は夕方まで会場で彼の帰りを待ち続けた。しかし待てど暮らせど、戻ってこない。
夜10時にはすべてのセキュリティは解除されてしまうので、10時以降に戻ってくることはあり得ない。
後で知ったことだが、この間、NHKの取材を受けていて、NHKは「単独取材」と銘打って報道していたようだ。失意のうちに、その日は帰宅した。
◆再訪日するので取材したいと、バノン氏から
ところが一カ月も経たないうちに、また韓連潮博士からメールがあった。
なんと、「バノン氏が再訪日し、何としても遠藤を取材したいと言っている」とのこと。
とても現実とは思えないほど驚いた。「取材を受けてくれるか」という問いに「喜んで」と返信した。
12月18日、バノン氏が宿泊しているホテルの一室をスタジオにして、バノン氏による、まさに「単独取材」が行われた。詳細な内容は、彼の企画があるので、まだ公表できないが、彼は『チャーズ――中国建国の残火』の英語版“Japanese Girl at the Siege of Changchun How I Survived China’s Wartime Atrocity”と『毛沢東 日本軍と共謀した男』の英文ダイジェスト“Mao Zedong, Founding Father of the People’s Republic of China, Conspired with the Japanese Army”を熟読してくれており、それを中心に質問された。
◆「トランプは習近平を最も尊敬している」は本当か?
カメラが回っていない時に、筆者の方からも一つだけ質問をした。
それは今年9月20日付のコラム<バノン氏の「トランプは習近平を誰よりも尊敬している」発言に関して>で書いた内容に関してだ。二人の間では、ごく短い、以下のような会話があった。
遠藤:ブルームバーグが、あなたが講演で「トランプ米大統領は中国の習近平国家主席を世界の他のどの首脳よりも尊敬している」と仰ったと書いていますが、それは本当ですか?
バノン:ああ、本当だ。間違いなくそう言った。そりゃ、安倍晋三とトランプは非常に親密だ。それも確かだが、トランプが習近平を他のどの国の指導者より尊敬しているのも確かだ。トランプは、習近平とプーチンを「強人」だと思っている。但し、個人をどう思うかということと、その国をどう思うかは全く別問題だ!
まるで世間の噂にすぎないように言われていたバノン氏の発言を、バノン氏が肉声で、筆者の前で歯切れよく断言した瞬間だった。
この事実は、今後の国際社会の方向性を分析していく上で、非常に重要だと判断する。