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【名古屋市西区】名古屋繁栄の基盤になった脇街道の一つ。「美濃路と四間道」をご紹介

土庄雄平愛知深掘りライター(名古屋市)

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東海道宮の宿(名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(岐阜県垂井町)をつなぐ全長約60kmの道は、「美濃路(美濃街道)」として知られています。この道は、東海道から分岐して美濃地方に向かうために使われました。

江戸時代には五街道が有名ですが、それ以外の脇街道(脇往還)も重要でした。これらの道は、主に五街道と城下町を結ぶ役割を果たしており、美濃路もその一つです。

名古屋の起点となったのは、納屋橋の近くにある「伝馬橋」です。伏見から名古屋駅へ歩く際に、よく抜け道として利用するという方も多いのではないでしょうか。

堀川は、名古屋城築城の際に、戦国大名・福島正則によって掘られた水堀です。戦闘がない時期には、熱田から名古屋城や城下町に物資を運ぶ水路、つまり運河として使われました。

そんな名古屋城下ですが、今でも一部「四間道(しけみち)」という古い町並みが残っています。「四間道」があるのは、伝馬橋の隣、桜橋の北側です。

かつて尾張の政治の中心は清洲でしたが、江戸時代前期に、名古屋へ町ぐるみで移転をすることになりました。これは清洲越(きよすごし)と言われています。

その後、先ほどご紹介した堀川水運(水の道)が活用され、米穀・調味料・酒などを城下町へ供給する役割を果たします。そして大きな商家が軒を連ねるようになり、現在の景観が形成されたのです。

「四間道」の名は、元禄13年(1700年)に発生した大火の後、防火の目的や商業活動の円滑化のために道幅を4間(約7m)に広げたことに由来します。

現在、四間道は知る人ぞ知る"名古屋のグルメストリート"に!蔵を改装したレストランや上品なお店が並びます。

筆者のおすすめは「那古野サロンnuovo」さん。蔵の特別な空間を楽しみながら、リーズナブルかつ大満足なランチ(税込2,000円前後)を味わうことができますよ!

それほど名古屋に歴史スポットが多いイメージはないかもしれませんが、街道を辿ってみるとユニークな歴史が見えてきます。名古屋駅から徒歩約20分ほどのエリアなので、ぜひ気軽に散策してみてください。

<四間道の町並み>
住所:愛知県名古屋市西区那古野1丁目
アクセス:名古屋駅から徒歩約20分

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愛知深掘りライター(名古屋市)

1993年生まれ、愛知県豊田市出身、同志社大学文学部卒。第二新卒を経験後、愛知へUターンをして、メーカー営業職とトラベルライターを両立。現在は、IT企業に勤務しながら、自然や暮らしに一歩踏み込む、情報発信に精を出す。美味しい地元グルメを探しながら、名古屋市内の色彩豊かな自然を愛でるのがルーチン。 ※12月18日からLINEにて土庄雄平「名古屋深掘りチャンネル」配信スタート!毎週月曜日の10時にお届けします。名古屋のグルメから週末おでかけ情報、ディープなスポットまで盛りだくさん。ぜひ登録してくださいね♪(記事内のリンクは、Yahoo!ニュース エキスパートとの取り組みで特別に設置しています。)

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