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北朝鮮に帰った「在日」はどのように生き、死んだのか(2)北の人を「ゲンチャン」と呼んだ帰国2世 

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
米子の「在日」母子が帰国前に撮影した写真。40年後に息子は脱北した。(本人提供)

9万3340人の「在日」が北朝鮮に渡った帰国事業。彼・彼女たちの「生き様」と「死に様」は、ほとんど知られていない。筆者は20年前から中国や日本に脱北した帰国者の聞き取りを始めた。彼・彼女たちの証言を4回にわたって連載する。2回目は、帰国した身内から発せられたSOSに戸惑う日本の「在日」について。

連載1回目 北朝鮮に渡った在日はどのように生き、死んだのか(1)「日本に連れて行ってください」 私は懇願された

■貧しい朝鮮に生まれたことを天に向かって呪いたい

1998年夏に福岡出身の帰国者を母親に持つ女性と出会った頃から、取材に応じてくれる北朝鮮の越境者の中に帰国者がぽつぽつと混じり始めた。また、知り合いの「在日」のもとに、中国に脱北した親族から手紙や電話が届き、「中国に通っているなら一度会って来てほしい」と頼まれることがあった。

関西のある「在日」のボクシング関係者から、従妹を名乗る人物から送られて来た手紙を見せられた。朝鮮から逃げて来た、助けて欲しいという内容で、中国吉林省の延辺の消印だった。手紙には、彼が赤ん坊を抱っこしている写真が同封されていた。

「1980年に祖国訪問で北朝鮮に行ったときに撮った写真です。あの時の従妹が難民になるなんて夢にも思わなかった」

手紙には次のように書かれていた。

帰国者たちはかわいそうです。ウォンジュミン(原住民)たちは親戚も多くて食べていけるけれど、私たち帰国者は今やウォンジュミンより酷い。なぜ、両親は豊かな日本から貧しい朝鮮に帰ったのでしょうか? 私は貧しい朝鮮に生まれたことを天に向かって呪いたい

「貧しい北朝鮮に生まれたことを天に向かって呪いたい」。中国に脱北した帰国者が在日の親戚に送った手紙。1999年(アジアプレス)
「貧しい北朝鮮に生まれたことを天に向かって呪いたい」。中国に脱北した帰国者が在日の親戚に送った手紙。1999年(アジアプレス)

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■「ゲンチャン」「ゲンゴロー」「アパッチ」とは?

手紙を送って来た李スギョンさんはこの時19歳。日本語はできないし日本のことも知らない北朝鮮で生まれた「帰国2世」だ。後に中国で会った時、彼女と妹が北朝鮮現地の人のことを「ゲンチャン」「ゲンゴロー」「アパッチ」と呼び、自らを「ウリキグッチャ子女(私たち帰国者子女)」と称したことはショックであった。

「アパッチ」とは何か?

帰国船が盛んに往来していた60年代の北朝鮮では、多くの若い女性が長い髪を三つ編みにしていたというのだが、帰国者たちは、その姿を米国の西部劇映画の中で「野蛮人」として描かれていたネイティブアメリカンにだぶらせて隠語にしていたのだった。帰国者たちが現地の人々を野卑に感じていたことを想像させる嫌な言葉だ。

この時すでに帰国事業開始から40年が経っていたのに、帰国者たちの問で、なお同族を蔑むような隠語が日常的に使われていたわけだ。両親の影響があったのだろうが、「帰国2世」の代に至っても、帰国者と現地住民とのわだかまりが溶解していないことが想像された。

日本入りした脱北者として初めて大学を卒業したリ・ハナさん。帰国者2世だ。写真:キム・ヘリム
日本入りした脱北者として初めて大学を卒業したリ・ハナさん。帰国者2世だ。写真:キム・ヘリム

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◆帰国した親族からのSOSに戸惑う「在日」

朝鮮総連の専従活動家の知人から相談を受けたこともあった。親戚が中国に越境して助けを求めて来ている。お金を送るから北朝鮮に戻るように言ったが、「日本に連れて行ってくれ」の一点張りだ。そんなに北は悪いのか? と。

逆に、中国で出会った帰国者難民たちから、日本の親族探しを頼まれることも多くなった。手紙が来なくなって何年にもなる。すがることができるのは日本の親兄弟姉妹しかいない。現在の電話番号を調べてほしい、少額でもいいから支援してくれるよう伝えてほしい、と頼まれるのだ。

99年に会った咸鏡北道の会寧(フェリョン)市から中国に越境して来ていた60代後半の女性は、大阪西成の出身だった。姉から時々荷物やお金の支援を受けていたが、もう十年近く音信がないという。「姉を探してなんとか最後に一度だけ助けてほしいと伝えてください。朝鮮にいる子供たちの家族が飢えているんです」

淀みない大阪言葉で、そう言った。

■「関わらないで! 弟は死んだと思っているんです」

教えられた住所を訪ねた。長屋風の小さな一軒家。老夫婦が出てきた。不意に来訪した人間から、肉親が中国に難民となって出て来たと聞いて驚かないはずがない。

夫は「朝鮮で飢え死にが出ているなんて嘘や。でたらめを言わんといてくれ」と、けんもほろろである。夫が奥に引っ込んだ後、妻が言った。「兄ちゃんありがとうな。主人は総連の支部の仕事を長くやってたから、マスコミが言うてること信じてへんねん。見ての通り、うちらも生活苦しいから大したことでけへん。妹にこれ渡して」

茶封筒に二万円を入れて私に託した。

中国で知らされた番号に電話を入れたところ、「あんたたちが、朝鮮がいい所だと言って送ったんだから、あんたたちが面倒見ろ」と言われて電話を切られたこともあった。総連の活動家と勘違いされたようだった。

ある地方都市の「在日」家族を訪ねた時のことだ。中国に逃れて来ていた帰国者の姉に当たる人が在宅していた。手紙を差し出しおそるおそる用件を伝えると、その女性はみるみる表情を険しくさせ、激しい言葉を発した。

弟の一家とは関わらないでください。弟はもういないもの、死んだものと思ってるんです。やれることは何もないんです。お願いですから放っといてください

取りつく島の無い拒否反応。吐き捨てるような言葉遣いだったが、彼女の表情には、腹立たしさと自分にはどうしようもないという無力感が入り交じっているように見えた。(続く)

※在日帰国者たちの記憶を歴史に刻む作業を、在日コリアンと日本人が協働で担うNGOを昨年立ち上げました。 「北朝鮮帰国者の記憶を記録する会」 

※在日総合雑誌「抗路」第2号(2016年5月刊)に書いた拙稿「北朝鮮に帰った人々の匿されし生と死」を大幅に加筆修正したものです。

アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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