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「お金がないと人は動かん」ーーカネの問題に苦心した64歳の元銀行員が故郷の海でゼロからかなえる夢

庄輝士映像ディレクター

中国語や韓国語のラベルがついたペットボトル、両手で抱えるほどの大きさからコメ粒サイズまでの発泡スチロール、漁業用の浮きや網 。長崎県の沿岸には、さまざまな海洋ごみが流れ着く。行政や住民だけで全てを回収するには限界があり、ボランティアによる清掃は欠かせない。「そんな故郷の海をきれいにしたい」。こう思い定め、定年退職後に清掃ボランティア団体を立ちあげたのが、生粋の長崎っ子・熊川泰秀さん(64)だ。最終的な目標は、海洋ごみの再資源化。だが、その志に理解は示しても、一緒にごみを拾おうとする人はなかなか現れない。「たったひとりでもやり遂げる」と決意した熊川さんの前にさらに立ちはだかったのは、銀行員時代にさんざん苦しんだカネの問題だ。これをどう乗り越えていくのか。孤軍奮闘の日々を追った。

【定年後 ゼロから海岸清掃へ挑戦】

これからの目標や想いを語る熊川泰秀さん
これからの目標や想いを語る熊川泰秀さん

長崎市出身の熊川さんは、関東と地元などでいくつかの職をへて定年退職。年金とアルバイトで生計を立てながら、2022年7月に海岸の清掃を始めた。非番の日に浜へ赴き、3、4時間ほど1人で黙々と漂着ごみを集めている。車やバイクの運転が好きで、好きなことはとことん突き詰める性格。若いころよく出かけたツーリングは「1人で行く方が気楽だった」といい、自分には協調性はないのではと分析する。

熊川さんが活動しているのは、長崎市北部で東シナ海に面する外海(そとめ)地区だ。2018年に世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産の一部があるほか、「かくれキリシタン史」の舞台にもなった歴史と自然がある場所だ。その世界遺産の浜には、漂着ごみが目立つ。住民の高齢化が進み、ごみは放置されたまま。カトリックでもある熊川さんは、この浜こそ自身の活動の地にふさわしいと考えた。

すぐに知人たちに活動することを知らせ、SNSでも発信を始めた。だが、反応には温度差があった。「周りから『還暦過ぎたおじさんが』と変な目で見られました。だけど、僕は間違えたことはやっていない。絶対にやり遂げたいと思っている」。立ち上げた団体を「長崎Coastal Debris Guard」と名付け、ゼロからの挑戦が始まった。

【持ち主のないごみ】

長崎の海岸には多くのプラスチック製ごみが流れ着き、その多くが海外からのものだ(写真提供:熊川泰秀さん)
長崎の海岸には多くのプラスチック製ごみが流れ着き、その多くが海外からのものだ(写真提供:熊川泰秀さん)

環境省によると、日本沿岸の漂着ごみの65.8%がプラスチック製だ。プラごみは海に漂流する期間が長く、分解されるまで400年以上かかると言われる。2016年の世界経済フォーラムでは、このままでは2050年には海を漂うプラスチックは魚より多くなるとの予測も報告された。

長崎県で回収される海洋ごみは年間約2200t(2021年、環境省調べ)。北海道、鹿児島に次ぐ全国3位だ。プラごみ排出量世界1位から4位までが中国などアジア諸国であることから、その一部が黒潮や対馬海流に乗ってくると見られている。ただ、全体の約8割は陸から川を経て海に流れ出たものだとされる。

これらのごみは漂着先の自治体で回収・処分されることが多い。熊川さんが集めたごみも長崎市が定期的に回収し、リサイクルできないものは焼却もしくは埋め立てられている。この状況を知り、熊川さんは考えた。「燃やせば二酸化炭素が出るし、埋め立てられたものはずっと残る。これらのごみを再び資源にし、それを自身で事業化できないだろうか」

海洋ごみのリサイクルでは、全国にはさまざまな取り組みがある。漁網からカバンを作ったり、インテリア雑貨や文具、アート作品などに生まれ変わらせたり。熊川さんが考えたのは、集めたごみを再利用可能な粒状のペレットに加工して、世の中に再び流通させること。世の中には海洋ごみを再資源化する会社が存在し、それぞれに専門の技術があることを知った。

【ずっとできずにいた「人の役に立ちたい」】

銀行員時代を振り返る熊川さん
銀行員時代を振り返る熊川さん

カトリックの家に生まれ、社会奉仕が身近な環境で育った熊川さんには、「自分にもできることはあるのでは」という思いがいつもあった。勤め先を選ぶ時も社会貢献をしている企業を意識したが、在職中はそんな理想と現実にギャップを感じる日々を送ったという。

それが大きかったのは、銀行で企業向け融資を担当した時だ。経営に行き詰まり、融資を返済できなくなった企業は貸しはがしや担保物件の売却、リストラなどを余儀なくされた。これにより、「人に役立つ」という自分の信念とは異なることも経験した。「もう本当につらい仕事だったね。窓から身を投げたら楽になるだろうな、と考えたこともあったが、家族もいたので頑張ることができた。もうああいう仕事はやりたくない」と振り返る。それでも銀行には20年間勤務し、支店長にまでなったことで、ある信念が芽生えた。「人様のおカネには手をつけたくない」

その後、病院勤務をへて定年に。次は青年海外協力隊員としてアフリカの病院へ赴任するために上京して準備をしていたが、コロナ禍で計画は頓挫した。「渡航に向けて語学の勉強や、必要な資格もとっていた。とても残念だった」。失意に沈んだこの時に知ったのが、海洋ごみの問題だった。

長崎県の海岸線は、北海道に次いで全国で2番目に長い。離島の多さは日本一だ。その分、海洋ごみの被害も大きい。東京から何度か長崎に通い、漂着ごみの現状を調査した。そこで「これだ」とひらめいた。「これなら自分もできるし、人と地元の両方に役に立てる。故郷の海をきれいにする手伝いができればどんなにいいか」

【ヒト·モノ·カネが必要な活動】

一人黙々とごみを集める熊川さん。活動やごみの状況を発信するも、周りからは反応が返ってこなかった
一人黙々とごみを集める熊川さん。活動やごみの状況を発信するも、周りからは反応が返ってこなかった

失意の矛先を海洋ごみに向け、念願だった「人に役立つ人生」が幕を開けた。「自分が始めたんだから、自分1人でも再資源化までやってみせる」。こう意気込み、人のカネ(補助金)に頼りすぎることなく、できるだけアルバイトで活動費を捻出するよう心がけた。

この時、熊川さんの手元にあったのはトングや軍手、偵察用の小型ドローン、そして自家用車。都合がつけば友人も同行してくれたが、基本的には1人で清掃現場に赴いた。回収できるのは、浜辺に打ち上げられたわずかなごみに限られた。それでも「3、4時間の清掃で45リットルの袋を少なくとも6袋、多い時には10袋ほど集めることができた」。少しでもごみが減っていくことに、充実感を覚えた。

とはいえ、海岸には熊川さん1人で拾いきれないごみが漂着する。1人での活動には限界がある。まずは現状と自身の活動を知ってもらおうと、発信を始めた。大学時代からの親友で、長崎市で会社を経営する永井博さん(63)がPR用のノボリを作ってくれた。活動時に掲げることで、釣り人らに活動を周知するのが狙いだ。活動を写真と動画で記録し、SNSでも発信し始めた。しかし、「浜でごみを拾っているおじさん」に目を向ける人は少なかった。月に1度、「ビーチクリーンイベント」を企画しても、集まるのは永井さんら数人だけだった。

たった1人の活動に充実感はあったものの、さらに多くのゴミを回収しようとすれば、装備に多額の費用がかかる。一方、ガソリン代の高騰などで経費はかさむばかり。自分が思い描いた目標とはほど遠い状況だと、焦りが募った。

普段は年金とアルバイトで生計を立てる
普段は年金とアルバイトで生計を立てる

どうしたらいいのか。活動を始めて5か月たった2022年末、永井さんに相談したところ、厳しい意見が返ってきた。

「人はよほどのことがない限り、動いてくれない。おカネも絡まないで、ただ『ああしてほしい』と言っても、人は動かん」「ヤス(熊川さん)がしたい事が見えてこないから、『この日は手伝いにいける』以上の感情が湧かない。ゴールのために必要な道筋を立てないと、人は共感してくれない。自分でだけで考えていても空回りするだけやけんね」

これで熊川さんは思い直した。「おいは甘えている。自分だけで完結してしまって、道筋がはっきりと立てられていない。来年からは動きを変えたい」。まずは協力者を集めようと、行政や環境NPO法人などに声をかけ始めた。

そうして訪れた団体のひとつが、地球温暖化防止に取り組むNPO法人「カウンセリング協会長崎」だ。理事で長崎大学名誉教授の早瀬隆司さん(72)が、「よいことをやっていれば、人は必ずついてきてくれる。海洋ごみ問題に興味関心があるかもしれない人に声をかけます」と約束してくれた。だが、再資源化に関しては問題点があるという。「資源に再び変える話はテレビなどでは見るけど、そばではまだ聞いた事がない。再資源化してできたものに人々が興味を持って、それを実際に使ってくれるようになれば、経済的にも合ってくると思います」。別のNPO法人へ赴いた際にも、ボランティアへの協力は得られたものの、「ここで集められる量のごみを資源へと変えたとしても、あんまり事業にはならんね」と厳しい見方をされた。

熊川さんは頭を抱えた。「おそらく(再生化は)キログラム単位での取引になると思うから、相当量を回収する必要がある。それを再資源化しないと(採算が)合ってこない。どうすればいいんだ」。簡単には出せない答えを探る日々が続いた。

【活動を続け協力者も増えてきた】

企画したビーチクリーンイベントには過去最多の34名が集まった
企画したビーチクリーンイベントには過去最多の34名が集まった

たくさんのごみを効率よく集めるにはどうしたらいいか。悩みつつも1人での清掃は続けていたが、その地道な活動が、ようやく実を結び始めた。

2023年7月、全国一斉の海岸清掃イベントの一環として地元で清掃イベントを企画したところ、過去最高の34人が集まった。友人や協力者のほか、勤めていた病院の元同僚、近隣で作業していた工事業者、学校のボランティア情報でイベントを知った学生らだ。2時間ほどで集めたごみは45リットルのごみ袋が68、ペットボトルが423本。そのほか袋に入りきらない浮きや発泡スチロールも合わせ、2トントラックの荷台がパンパンになった。1人で集めていた時との差は一目瞭然。「本当にありがたい。最初は『自分1人でやらないと』と思っていたが、今は間違いだったと思う。みんなで力を合わせることが大事だと思った」

多くの人が集まってくれたことで、再生化を目指す考え方にも変化が生まれた。「理想を言えば、今でも自分が最初に思い描いた事業化の夢が叶えばうれしい。だけど、1年あまりでいろいろな話を聞き、意見をもらってきた。そこで自分が無理をして再資源化の事業をする必要はないようにも思えることが増えてきた。できる人がいるんだったら、協力してもらった方がいいと思うようになった」

その後のイベントでも、同じぐらいの人数が集められるようになった。熊川さんは海洋ごみをリサイクルしている企業に連絡をとった。長崎まで視察に来てもらうためだ。

海洋ごみをリサイクルする会社の担当者に状況を説明する熊川さん
海洋ごみをリサイクルする会社の担当者に状況を説明する熊川さん

2023年11月、海洋ごみのリサイクルに力を入れる東京の三洋貿易から、担当者が長崎を視察に訪れた。その1人の東洋和さんは、熊川さんの目標にこう理解を示した。「長崎がこんな状態になっているとは想像以上だった。落ちているごみは、見る限りではほとんどがリサイクルできると感じている。何度か視察し、リサイクル方法や運搬方法なども含め最適なやり方を考えていきたい」

熊川さんは、その手応えをこう語る。「訪問していただいたことで、再資源化への道が大きく進んだかは分からない。けれど、ひとつのきっかけにはなったと思う。今も私費を投じているので、再資源化で少しでも自分の活動費の足しにしたり、ボランティアの方に何らかを還元できたりすればうれしい。お茶の一本も買うにも、おカネはかかるからね。今後はスポンサーを募ったり、おカネの調達方法のことも考えるよ」。

一方で、こうも言う。「ただ、再資源化で得られるお金は、大きな額にはならなくてもいい。浜がきれいになって、みんなが喜んでくれて、集めたごみが再資源化できれば、それが一番いい。そして、海洋ごみの問題を発信して、少しでもいろいろな人につなげていきたい。自分が成し遂げられなかったとしても、それがいまは一番大事なんじゃないかと思っている」。活動の原点は、忘れていない。

熊川さんは現在、長崎県海岸漂着物対策推進協議会の一員となり、あらゆる面から再資源化への道を模索している。1年前にゼロから始めた「ごみ拾いおじさん」は、確実に「1」を作り上げた。目標への挑戦はこれからも続く。

【クレジット】

監督・撮影・編集:庄 輝士

プロデューサー:前夷里枝

取材協力:

長崎Coastal Debris Guard 熊川泰秀

永井博

カウンセリング協会長崎

NPO夕陽が丘そとめ

三洋貿易株式会社

浦上キリシタン資料館

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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。

【DOCS for SDGs】他作品は下記URLより、ご覧いただけます。

https://documentary.yahoo.co.jp/sdgs/

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映像ディレクター

京都府出身で関西を中心に映像制作を行う。大学で語学を学んだのち映像の世界に入り、様々なジャンルの映像制作に携わって来た。語学力を武器に海外のクライアントとの映像制作にも積極的に参加し、英BBCなど海外メディア媒体のショートドキュメンタリーの制作も任されてきた。自分の視点での日本のストーリーを世界に発信中。

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