ヘリコプターマネーの教訓
ヘリコプターマネーの事例としては1932年12月に高橋是清によって開始された日銀の国債引受がある。これは金輸出禁止により財政拡大が容易になるとともに、主に満州事変による軍事費拡大に対応したものといえた。シンジケート団による引受が国債価格の下落等で困難になっていたこともあり、国債発行にはいったん日銀が引き受けるという手段を講ずるほかなかった面もあった。日銀が保有した国債は銀行等に売りオペでその多くを売却したことで、高橋財政時においては、少なくともインフレそのものは抑えられていた。
中央銀行が、いったん国債の引受などにより政府への直接の資金供与を始めてしまうと、その国の政府の財政規律を失わせ、通貨の増発に歯止めが効かなくなり、将来において悪性のインフレを招く恐れが高まる。先進主要国が中央銀行による政府への信用供与を厳しく制限しているのは、こうした考え方に基づく。
中央銀行による国債引受が禁じられているのは日本だけではない。米国では連邦準備法により連邦準備銀行は国債を市場から購入する(引受は行わない)ことが定められている。1951年のFRBと財務省との間での合意(いわゆるアコード)により、連邦準備銀行は国債の「市中消化を助けるため」の国債買いオペは行わないことになっている。
欧州では1993年に発効した「マーストリヒト条約」およびこれに基づく「欧州中央銀行法」により、当該国が中央銀行による対政府与信を禁止する規定を置くことが、単一通貨制度と欧州中央銀行への加盟条件の一つとなっている。ドイツやフランスなどユーロ加盟国もマーストリヒト条約により、中央銀行による国債の直接引受を行うことは禁止されている。
高橋是清氏が日銀による国債引受を行った際には、そのリスクも当然把握していたと思われる。しかし、いったん甘い汁を吸ってしまった政府というよりも特に軍事費の拡大を望んでいた軍部は、この打ち出の小槌を離そうとしなかった。それが結果として、二・二六事件で高橋是清蔵相が暗殺され、その後の日本のハイパーインフレーションの原因となる。それで戦後に財政法で日銀による国債引受は禁じられた。
政府と日銀が財政ファイナンスではないと言っていれば問題はないのかもしれない。現在、日本政府は国債が発行しづらいような状況にはない。それにも関わらずヘリコプターマネーまでもが議論されるというのは、危険性が伴うことにはなるまいか。それでなくても国債の毎月の発行額のほとんどを日銀が買うことで、日銀の存在感が強まっている中、日本政府の債務残高はすでに1000兆円を超えている。このまま日銀が大量に国債を買い続けるとなれば、いずれ財政ファイナンスに近いものとの認識が出てくる懸念もあろう。