FAXだけではない「昭和すぎる学校」4つの損 文科省「校務DX化チェックリスト自己点検結果」
電話と紙が大好きな学校・教育委員会
職員室もローテクな運用を続けている例は少なくない。下記の図2を見てほしい。 冒頭で述べたように、個人メールすら使えない、使わせない学校・教育委員会がある(文科省調査ではメアドが附与されていない学校は21.9%だが、附与されている学校でも使えない例はある)。チームで情報共有しやすくするために学校代表メールを原則とするといった運用をするのは1つの手だが、おそらく個人メールもない学校では電話でのやりとりが多くなっているのではないか。 私の場合、研修講師などをしていると、メールのやりとりだけで十分なのに、依頼文書を郵送したいという教育委員会や学校は多いし、講師を務めるという承諾書を押印して郵送せよというのもざらだし、「メールだけでは失礼なので電話でご挨拶したい」と言ってくる人までいる。 電話やオンライン会議で詳しく相談したほうがよいときはそうしているが、電話好きな人は相手の時間を奪っている感覚をもっと持ったほうがよいと思う(不要不急の電話で相手を拘束するほうがよほど失礼だと思う)。 また、紙ベースが多いのは、教職員間もそうだし、学校と教育委員会の間もだ。例えば、出張費の精算で交通経路を教員は手書きでメモして事務職員がシステムに入力しているといった例もたまに聞く。DXなどと言う以前の学校、教育行政がまだまだ多いことが今回の調査からもわかる。 ※関連記事:学校の「過酷な勤務実態」に危機感、GIGAスクール構想の下での校務DXの可能性
なぜ、学校は時代遅れのやり方を続けるのか
かつての学校は、時代、社会の最先端を走っているところがあった。オルガンやピアノ、天体望遠鏡など、家庭にはないものが学校にはあった。修学旅行では家の人には連れて行ってもらえないところを訪問できた。 大学・短大卒の人材がわずかだった時代に、教員はよく勉強してきた人として、保護者や地域の人から尊敬されていた。実態はもっと多様だっただろうが(地域や家庭、人によっても多少違ってはいただろうが)、ざっくり申し上げて、そういう側面もあったと思う。 だが、今や多くの学校は時代遅れと見られるようになってきた。洋式化されたトイレやエアコンの整備が遅れたこともそうだし、今回注目しているICTの整備・活用もその象徴の1つだ。 こうした投資をさぼってきた教育行政(文科省や教育委員会)の責任は重い。だが、昨今は国が補助などでずいぶんと支援しているのに、教委側が対応できていないところも多いように見える。あるいは、無料もしくはそれほど高価ではない料金で利用できるクラウドサービスなども増えてきているのに、導入していない。 さまざまな背景・理由があるとは思うが、1つは、教職員や教育行政職員が忙しすぎて、目の前のことをこなす日々になってしまっていることが大きい、と私はみている。 小学校の学級担任は、日中の多くを授業や給食指導などで出ずっぱりで、職員室の自分のデスクにゆっくりいられるわけではない。こういう状況では、メールでのやりとりよりは、電話のほうが早いという意識になるのは自然なことだろう。教育委員会から来るジャマくさい書類があったり、非効率な事務手続きが残っていたりしても、見直す手間、労力をかける気になりにくい。 加えて、校務と呼ばれる事務作業や手続きについては、1つの学校だけで見直せるものは少なく、多くは都道府県ないし市区町村の教育委員会が定めるルールや手続き、帳票の見直しが必要である。教職員が非効率さなどの問題に気づいても、教育委員会に伝わっていないケースも少なくないようだし(文句を言わずこなす真面目な人が多いのかもしれない)、伝わったとしても、教委の側で動いてくれなければならない。 さらに公立では、教職員も教育委員会職員も数年で人事異動が来ることも、双方にとって改善への阻害要因となっている。 要するに、多くの学校と教育委員会等にとって、校務のデジタル化や改善というのは、優先度が低いものだったわけだ。あるいは見直すほうが面倒くさい、労力がかかると思われていた。だが、そうしているうちに、学校のICT活用は、企業などと比較して周回遅れとなってしまった。