国民保守主義も「意識高い系」も自由を滅ぼす 表面的には対立する理念が実は通じ合う逆説
「根本的な経済の変化と、永続的解決策を提供できない政府の失敗によって社会は動揺しており、官民を問わず、企業が差し迫った社会的・経済的課題に取り組むことを、社会は一層期待するようになっています。(中略)世界はあなた方のリーダーシップを必要としています」(『WOKE CAPITALISM』134ページ) 莫大な富を持つ自分たちが率先して、世の中を「良い方向」に導こうという次第。 これの行き着く先は、富豪による(実質的な)世界政府の構築です。
大企業は多国籍化して久しいんですから。 けれどもカール・ローズが指摘するとおり、ここで言う「良い方向」とは「富豪層にとって都合の良い方向」のこと。 しかも「意識高い系」なので、自分たちの高邁な使命感に賛同しないヤツはバカということになる。 こちらは「スーパーリッチの意向に合わせた少数支配」をめざしているのです。 となると、「意識高い系資本主義」によって経世済民が達成されるとも信じがたい。 ■自由民主主義は再生できるか
「意識高い系」の主張は、しばしば少数派の権利の擁護と結びつく。 おまけにグローバリズム志向が強いのですから、ナショナリズムと「多数派の意思」にこだわる国民保守主義が、「意識高い系資本主義」を目の敵にするのも当たり前でしょう。 だが国民保守主義は権威主義をめざし、「意識高い系資本主義」は少数支配をめざす。 「社会の多数派(とされるもの)の意向」を絶対視するか、「意識高く進歩的な富豪層(とされるもの)の意向」を絶対視するかの違いがあるだけで、あとはほとんど変わりません。
先に紹介した「エコノミスト」の記事も、ずばりこう述べました。 「自由を否定する左派と、同じく自由を否定する右派は不倶戴天の敵に見えるものの、『意識高い系』の是非をめぐって激突することで、互いに塩を送り合っているのだ」 同じ穴のムジナというわけですが、ここでやりとりされる「塩」とは何か。 お分かりですね。 自由民主主義の否定です。 より具体的には「国民規模で多元的な利害調整を続けてゆけば、経世済民の達成・維持はもとより、地球規模の問題への効果的な対処も可能となる」という発想の否定。