横浜流星×吉岡里帆が語る“信じられる人の条件”「大切なのは相手の領域に土足で踏み込まないこと」
何も疑わずに信じるのは、思考停止だと思う
――鏑木は沙耶香と関わるようになり、人に信じてもらえた喜びを知ります。お二人は、人に信じてもらえてうれしかったことってありますか。 横浜 今、僕の周りにいてくれる人たちに対しては、そう思います。自分を信じてくれている人たちが、そばにいてくれる。それってすごく幸せなことだと思うし、今の自分を形成しているのは、そうやって僕を信じてくれた人たち。だから、その人たちのことは何があっても大切にしたいです。 吉岡 私はご一緒した監督のみなさんが、そういう存在なのかなと思います。特に今回みたいな難しい役柄のオファーをいただくとき、監督さんから「直接話したいです」と言っていただくことがあって。面と向き合って直々に「吉岡さんにお願いしたいんです」と言っていただけることは、役者にとってすごく幸せだし、信じてもらえた喜びを感じます。 ――逆に、まだ10代の頃は周りにいる人たちを信じられなかったりもしましたか。 横浜 そういう時期もありましたし、そこで言うと僕は今でもいい意味で人を信じてはいないんです。 ――どういうことでしょう。 横浜 信じていないというか、まずは疑う。疑いの先にあるのが、信じるということなのかなと思っています。何も疑わずにただ信じるのは、思考停止なんじゃないかなって。それは人に対しても、自分に対しても、世の中に対しても同じで。疑うというか、疑問を持つことです。この人は何を考えているんだろう、何を大切にしているんだろう。そうやって疑問を持つことで、相手を知っていく。疑うってマイナスに聞こえるかもしれないけど、大切なことなんじゃないかと思います。 吉岡 素敵な考え方。 横浜 作品をつくるときもそうで。1本の映画をつくるのに何百人という人たちが参加する。みんなそれぞれ思っていることは違うし、目指す方向性も違って当たり前。それ自体は、別にいいと思うんです。大事なのは、その中で何か一つ分かち合える明確なものがあること。そこをちゃんと信じられたら、たとえ考えは違ってもつながれるんだと思います。 吉岡 私は逆で、結構すぐに信じちゃうかも(笑)。 横浜 そうなんですね(笑)。 吉岡 確かに信じすぎて痛い目に遭うこともあるのかもしれないけど、それでも人を信じたい。もちろん誰でも彼でも信じるわけじゃないけど、自分が信じられる人に関してはそうかな。そういう意味では、他人というよりも自分の直感を信じているのかもしれないです。 ――吉岡さんは基本的に性善説の人ですか。 吉岡 どうでしょう。あんまり深く考えたことはなかったですけど。私は自分が選んだことなら、その結果として起きる出来事について、たとえマイナスなことであったとしても全部それがベストなんだと考えるタイプなんです。だから自分の信じた人が、結果として信じるべき対象じゃなかったとしても、あまり後悔がないのかもしれない。それも人生経験として必要だったんだなって受け止めるようにしています。