大谷翔平より半世紀以上前にメジャーのマウンドに立った日本人。世界で活躍できるアスリートの増加とスポーツビジネスの関係性
日本人そのもののイメージを変えた野茂
世紀末の日本社会が混乱し、日本人が誇りと自信を失っていたなかで、野茂は日本人に新たな誇りと自信をもたらした。 アメリカで「分厚いメガネをかけた背の低いアジア人」という、あまり好意的とは言えないイメージで見られていた日本人が、スポーツマンとして世界に通用することを示したのだ。 当時ニュージャージー州の小学校に通っていた僕の妻は、野球に全く興味がなかったにもかかわらず、野茂の活躍によって「アメリカ人の日本人を見る目が変わった」ような気がして嬉しかったと言う。 幼少期の約10年間をアメリカですごした彼女によると、日本人はそれまで「ナーディ(nerdy)」な性格、言うなれば「勉強はできるが社交性がなくスポーツも苦手」というイメージで見られている感もあったが、野茂はそんなイメージを一蹴した。 野茂の活躍は、アメリカで暮らす日本人小学生にまで影響を与えたのだ。 1965年に村上がサンフランシスコでプレーしたのを最後に、一度は閉じかけた日本人メジャーリーガーの扉を野茂がこじ開けた後、まずは野茂と同じ投手たちが8人、20世紀のうちに続々と海を渡った。 すでにアメリカにいたマック鈴木を含めて長谷川滋利、柏田貴史、伊良部秀輝、吉井理人、木田優夫、大家友和、佐々木主浩……そして2001年にイチローと新庄剛志が初の日本人野手としてメジャーに移籍すると、その後は投打に関係なく日本球界のスター選手たちがアメリカの地を踏み、2023年までに計66人の日本人メジャーリーガーが誕生している。 2024年も山本由伸や今永昇太、松井裕樹らが新たにメジャーリーガーとなった。
日本の没落に代わるスポーツ選手の活躍
野茂のメジャーデビューから今日までの約30年は、日本人メジャーリーガーの歴史において「幕開けの時代」だったが、日本社会にとっては「没落」の30年だった。 超高齢社会と少子化の進行とともに日本経済は停滞し、国際社会における日本のプレゼンスは低下した。「失われた10年」は「失われた20年」になり、やがて「失われた30年」になった。 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代はとうに終わったが、日本のビジネスマンの代わりに日本のスポーツ選手が海外で活躍するようになった。 野球だけでなくサッカーやテニス、ゴルフなど他の競技でも国際的に活躍する日本人アスリートは一気に増えた。 近年だと錦織圭や大坂なおみ(テニス)、松山英樹(ゴルフ)、八村塁と渡邊雄太(バスケット)といった若いアスリートたちがアメリカで堂々たる活躍を見せている。 欧州サッカーリーグの第一線でプレーする日本人選手も激増した。