「腕切断でもあきらめない」「まだ受け入れられない」 トルコ大地震から半年たった今、被災者が感じていること
5万7千人以上が死亡したトルコ・シリア大地震から半年が過ぎた。犠牲者は東日本大震災の死者・行方不明者計2万2千人超(関連死を含む)をはるかに上回る。被害が甚大だったトルコ南部アンタキヤでは仮設住宅の建設が進む一方、がれきの撤去作業が延々と続く。被災地に取材に入るたびに被害の大きさに圧倒され、言葉を失ってしまう。 トルコは日本と同じく地震大国だ。被災者は今、何を感じているのか。突然家族を失った悲しみに暮れる遺族がいる一方、倒壊現場から「奇跡の救出」を果たした生存者は前を向いて歩き出していた。そんな対照的な2人の被災者を取材した。(敬称略、共同通信イスタンブール支局 橋本新治) ▽泣いたことのないおじが電話口で… 家具工場で働くジェミル・ユルトセベン(24)は震災前日の2月5日夜、両親や妹と暮らすアンタキヤから遠く離れた最大都市イスタンブールにいた。親友の婚約式に出席したためだった。この日、夜の便でアンタキヤに戻る予定だったが、大雪の影響で飛行機は遅延を繰り返し、結局欠航になった。仕方なく滞在していた親戚宅に戻り、ネットフリックスでドラマを見てから床に就いた。
翌6日未明、ジェミルはいとこからの電話で地震の発生を知った。最初は大きな被害ではないだろうと思っていたが、家族と連絡が取れず、不安になった。ようやく電話がつながったおじは、普段と違って感情的だった。「ジェミル、ここは最悪だ」と話し、電話口で泣いていた。おじが泣くなんてこれまでに見たこともなかった。すぐに車でアンタキヤに向かった。 その途中、自宅のある8階建てマンションが「パンケーキ崩壊」を起こしている写真が届き始めた。各階の床が重なるように崩れ落ちていた。ジェミルはこのとき覚悟を決めた。「僕はリアリストだから。その写真を見て『みんな死んじゃったのだろう』と思った。よく分からないけど、最初からそんな心境だった」 ▽がれきの下で変わり果てた家族 イスタンブールから半日かけてたどり着いたアンタキヤの被害は甚大だった。がれきの下から助けを求める声が聞こえたが、救助隊の姿はない。静寂に鳥のさえずりが響いた。夜は怖いくらいの暗闇だった。ジェミルは絶望した。「恐ろしい風景だった。この目は見るべきではないものを見たし、聞くべきではない声を聞いた。精神的に経験すべきではないことを全て経験した。なすすべもなかった。僕は力不足で、無力だった」