特攻隊長は“悟り”をひらいた 死刑囚の棟での信仰「人間は宇宙そのものだ」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#59
BC級戦犯として横浜裁判で裁かれた石垣島事件では41人に死刑が宣告された。判決後、死刑囚が集められた棟に移された被告たち。海軍の特攻、震洋隊の隊長だった幕田稔大尉が同室になったのは、九大生体解剖事件で死刑判決を受けた佐藤吉直大佐だった。同じ山形出身で意気投合し、一年半余りを一緒に過ごした佐藤大佐は、幕田大尉の処刑後、追悼文を書いていた。幕田大尉はある日、「悟り」をひらいたというー。 【写真で見る】横浜軍事法廷での佐藤吉直大佐
座禅三昧 信仰を深める死刑囚たち
巣鴨遺書編纂会が発行した「十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)」(1953年)という冊子に収められた佐藤大佐の追悼文。幕田大尉は30歳で1950年4月7日に命を奪われた。いつ執行されるかわからない死刑を前に、一日、一日に向き合う死刑囚たちは、心の安らぎを信仰の中に見いだそうとしていた。 <十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)木曜日の夜 幕田稔君の憶い出 佐藤吉直>より 幕田君との同居生活中で何と言っても一番大きな又尊いことは、彼が悟道の巨歩を踏み出した時の大きな感激である。当時我々は毎日座禅をしては思を凝らし、一刻も早く信仰に入りたいと努力していた。そうして考えついた事は互に話し合い、又仏書を読んでは探究に努めた。しかし智識というものは、信仰の八合目位迄は登ることは出来ても、それ以上は智識(物事の正邪を判別する智慧と見識)を離れて霊性的直感とでもいうか、要するに智識即ち差別の世界を乖離しなければほんとうの信仰は得られないと気がついて、それからは一層座禅三昧に精進した。 〈写真:「十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)」(1953年)木曜日の夜 幕田稔君の憶い出 佐藤吉直の頁〉
目尻を流れた涙
<十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)より> 彼は或る時、 「あなたは一体誰かな」 とか、又鎌倉時代の話をしていた時、突然 「鎌倉という土地の歴史的な事実のことですが、これを七百年の昔の事実と見るのはおかしいですね。今も其のまま生きている事実と思わんですか」 とか言ったりして、彼が既に時間、空間の差別の世界を乗り越えんとするところ迄進んでいる気配が感じられた。我々の信仰上の探究はいよいよ熱を加えて来た。二十四年の四月初めの或る夜のこと、いつものように二人枕を並べて床についた。死刑囚の独房は一晩中電燈がかんかん照っているので、未だ眠らずに無言で眼をぱちぱちさしているのがよく見える。しばらくすると、幕田君の眼尻に涙がすーっと糸を引いたように流れているのが眼についた。 〈写真:判決を受ける幕田大尉とみられる男性(米国立公文書館所蔵)〉