読売新聞 渡辺恒雄主筆が死去 98歳 肺炎で 巨人軍繁栄に尽力 球界再編問題の発言でも注目浴びる
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日午前2時、死去した。同社が発表した。98歳。都内の病院で亡くなり、死因は肺炎だった。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開くという。 【写真】今年3月の「燦燦会」 座ったままあいさつしていた渡辺恒雄主筆 東京大学文学部哲学科を卒業後、50年に読売新聞社入社。ワシントン支局長、政治部長、論説委員長などを経て、読売新聞グループ本社代表取締役の主筆を務めた。中曽根康弘元首相、安倍晋三元首相など政界に太いパイプを持つことで知られ、生涯現役として執筆活動を続けていた。 一方でグループ会社の読売巨人軍の繁栄に力を注ぎ、オーナーや会長を歴任。巨人だけでなく、プロ野球界にも多大な影響を与えるようになった。04年に球界再編問題が持ち上がった際には、当時のプロ野球選手会会長の古田敦也氏に対して「たかが選手が」と発言し、波紋を呼んだ。 04年にはドラフト逆指名の裏金問題で責任を取り、オーナーを辞任。球団トップの座からは退いたが、その後も変わらず監督のオーナー報告の場に同席するなど、球団への影響力は絶大だった。 近年は健康問題も取りざたされ、18年8月中旬には自宅で転倒して頸椎(けいつい)の一部を骨折。入院して治療を行っていた。一時はネット上で「死亡説」が流れたが、同年12月に行われた原辰徳監督の殿堂入りパーティーに出席。「死亡説が流れたから来たんだよ」と、ジョークを飛ばして健在ぶりを示した。 19年3月22日に行われた巨人の激励会では壇上であいさつ。原監督や選手の前で「私はもう、あと2カ月で93歳になります。あと10年生きるかわかりませんけど、もういっぺん優勝を見ないでは、この年でいながら、死ぬわけにはいかないという心境であります」と、V奪回を厳命。同年4月2日に東京ドームを訪れ、長嶋茂雄終身名誉監督とともに阪神戦を観戦していた。 同年10月23日には、ソフトバンクとの日本シリーズ第4戦(東京ドーム)を現地で観戦。だが、チームは4連敗を喫して7年ぶりの日本一奪回はならなかった。その翌24日には都内で会談した原辰徳監督に、「昨日は飲み過ぎた」と深酒を告白したことが明かされていた。 23年シーズンの開幕前には都内で行われた「燦燦会総会」に車いすに乗って出席。「かつてのように9連覇、10連覇という記録を作ってくださることを選手諸君に、ぜひともお願いしたい」と熱望していた。 今年3月21日に行われた「燦燦会」にも車いすに乗って出席し、阿部監督らを激励。「今年こそは優勝、日本一に向けて頑張っていただきたい」と挨拶した。 10月11日のセ・リーグ優勝祝賀会は体調不良のため欠席。山口オーナーが「先週、微熱が出たんですね。原因は何らかの感染症とかそういうのではなく、大した事はなく治ったんだけど、今日は大事を取って欠席するということだったんで、メッセージを預かってきた。もう一回、できれば日本一になって、もう一度祝賀会できれば出てくると思います」と語っていた。