「ハーフで良かった」八村の背中追う後輩たち、アメリカの大学でNBAに挑戦
山崎自身、渡米後、米国人選手が強い気持ちでプレーする姿や、練習でも厳しく言い合ってお互いを高め合う姿に驚いていた。山崎は「日本にいた時は自分もそうやろうと意識していたが、こっちに来ると気持ちで引いてしまう部分があった」と言う。それだけに「塁さんにここ(NBA)まで来たいならコートの上では日本人でいては駄目だと言われて、それが心に響いた。日本人らしさを持ちながら、コートの中ではもっとガツガツやろう」と思いを新たにした。 山崎は高校入学時から「八村2世」と呼ばれている。本人は「塁さんに少し失礼だなと思って申し訳ない」と謙遜しつつ「そう言われるからには、追いつけるように頑張りたい」と力に込めた。 ▽「人に見られるのが嫌だった」から「ハーフで良かった」へ 山崎とともに2019年に仙台大明成高に入学したのが菅野ブルースだ。明成高を卒業後、米アイオワ州のエルズワース短大でプレーした1年目に複数のNCAA1部の大学から勧誘され、フロリダ州のステットソン大への編入を決断。今秋から大学バスケの最高峰で戦う。
菅野も八村に憧れた。「高校選手権で3連覇するのを見て、自分もいつか塁さんのようになりたいと思い、明成に入りたいと思った」と話す。「NBAでの活躍はもちろん、日本でも象徴となるような素晴らしい選手」と思いを語る菅野は、米国人の父と日本人の母の間に生まれ、米国で育ったが、祖父の病気や東日本大震災の影響で小学2年生の時に母の故郷、岩手県陸前高田市に移った。 だが最初は「環境や文化の違いですごく困って大変な思いをした。自分の肌が日本では目立つし、いろんな人に見られるのが最初は嫌で、人が多いところに行きたくなかった」と話す。そんな中、高校選手権で見た八村は輝いていた。 菅野が仙台明成高への進学を志望したもう一つの理由は、6月に亡くなった佐藤久夫監督の指導を受けることだった。佐藤監督は八村を「ハーフの大将」と評していた。 菅野は「同じハーフで今までたくさん苦労をし、高校でも苦労して、米国で活躍している。日本を引っ張っている存在でもあり、本当にハーフの大将だと思う。自分もああいうふうになりたい。すごく尊敬している」と率直な思いを口にする。「今は日本にいても『ハーフで良かった』と、すごく思えるようになった。最初は大変な思いをしたけれど、今は大丈夫」と笑顔を見せた。