取材場所にほど近い公園でポーズを決める。次の挑戦に向け”心が整”っているのか、その表情は晴れやかだ

観光客とビジネスマンが行き交うフランクフルトの街。しかし、北に20分も歩けば緑に囲まれた閑静な住宅街が現れる。長谷部誠（40）に指定されたのは静かでゆったりとしたカフェだった。 【現地独占インタビュー】「監督になる、今はそれがすべてです」 長谷部誠の素顔写真 日本代表の主将として３度のＷ杯に出場した名ＭＦは、サッカーの本場ドイツで16年の長きにわたって戦い続けた。 ５月から９月までは充電期間。束の間の休息を楽しむ長谷部に引退した現在の心境、そして次の目標として掲げる指導者への思いを訊いた。 ――東京の引退会見で「マックスのマックス、やりきった」と言い切りました。 「僕以上の能力を持っていても、上に行けない選手をたくさん見てきました。自分がドイツで何度も優勝できたのは頭を使うことやメンタルの部分でカバーしたから。プロとしての未練はないです。僕は……。（長い沈黙の後）このポテンシャルでよくここまでやったと思います。本当に」 ――なぜドイツで指導者の道を歩み始めるのか？ 「自分はフランクフルトで10年プレーしました。クラブ自体は名門ですが、入団したときは低迷していました。しかしドイツカップ（’18年）、ヨーロッパリーグ（’22年）で優勝し、チャンピオンズリーグに出場（’23年）するなど、今はドイツでも有数のクラブになった。育成にも力を入れている。こういうレベルの高いチームで始めたかった」 ――指導者ライセンスの講習はこの夏からスタートするんですか？ 「いや、最初の２年はフランクフルトのＵ－21チームのコーチとして実績を作って、それからＡ級を受講する流れになります。だから（プロチームの監督に必要な）トップ資格の取得まで長い道のりですよ。だけど僕はスキップするつもりはない。現役時代のように少しずつステップを踏んでいきます。僕は40歳まで現役だったので、指導者としてのスタートは正直言って遅い。でも焦(あせ)りはありません」 ――プロチームを采配する長谷部監督誕生はずっと先の話ですね。 「はい。僕はどちらかというと感覚でプレーするタイプだったので、もっとサッカーのことを知らないといけない」 ――実は感覚派だったんですか？ 「そうです（笑）。だから、サッカーのことをもっと学んで、言語化できるようにしないといけない。そこがこれからの課題ですね。一方でサッカーは理論や理屈じゃない部分があって、どうしても感覚的なところも伝えないといけない。そこはすごく難しいところだと思います」 ◆キャリアを支えた盟友たち ドイツ２年目の’09年、長谷部はヴォルフスブルクのリーグ優勝に貢献した。しかし’13－’14シーズン、イングランド移籍を志願したことがキッカケとなって、恩師のマガト監督（70）と揉(も)め、８試合連続ベンチ外と干されてしまった。あの苦い経験は指導者として貴重な糧になるはず。 「はい。『移籍したい』と志願したにもかかわらず、チームに残ったから自分の責任ですが、あの時は本当に辛かった。あの時の僕はサッカー選手ではなかった。まるでマラソンランナーのように森の中を走り込みました。苦しかった……。それでも優勝した時よりも、一番人間として成長できた時間でした。あの経験はその後の人生にすごく生きてます。大きな財産です」 長谷部の「人生最高の時にいかに謙虚にいられるか。優勝した時にいかに自分を戒(いまし)めるか」という人生訓は、ヴォルフスブルク時代のこれらの体験から来ているのだろう。 ――あの地獄の日々を支えたのは？ 「ザックさん（ザッケローニ元日本代表監督・71）がその一人。クラブで試合に出てなくても代表チームにずっと呼んでくれて、しかも主将として先発で使い続けてくれた。 僕はザックさんとの経験から『選手を信頼することで、監督は選手から信頼を得る』ということを学びました。プロの世界では、監督は非常に厳しい決断をくだす。その特殊な世界で信頼関係が築かれると、より強い絆が生まれますね」 ――盟友・川島永嗣さん（41）の存在は？ 「永嗣もベルギーで試合に出られなかったりと似たような境遇だった。彼の存在は僕の欧州でのキャリア、日本代表でのキャリアを振り返ると大きかった。連絡を取り合うのは多くて年５回ほどですが、ソウルメイトと言える存在ですね」 ５月18日のライプツィヒ戦が長谷部のラストゲーム。その前日には同じく元日本代表の岡崎慎司（38）がベルギーで最後の試合をプレーした。盟友二人は引退後、共に欧州に留(とど)まり、指導者の道を歩む。 ――今まで日本の選手が欧州に残って指導者を目指すことはありませんでした。長谷部さんと岡崎さんには『新世代の指導者』誕生の兆(きざ)しを感じます。 「岡ちゃんとは連絡を取り合っているので、欧州で挑戦するのは知ってました。ただ、『日本人』という括(くく)りで言えば、僕らは『新世代の指導者』かもしれませんが、自分の中でそこはとくに重要ではない。僕はドイツでプレーしてきた延長線上で、そのまま指導者として挑戦するイメージですので。『日本人だから』『日本サッカーのために』という思いよりも、いちサッカー人としてトライしているだけですね」 日本サッカーのためにという気負いはなくとも、ゆくゆくはやはり何か日本サッカー界に貢献してほしいもの。 「多くの人にそう期待されるのはすごくありがたい。自分がコツコツと指導者として経験を積み重ねていった先に、そういう機会があれば嬉しいです。ただ、最初から『日本サッカー界のために』とあまり気負わずに、今は目の前にあることをクリアしていくことにフォーカスします。監督になる、今はそれがすべてです」 ◆気になる２冊目の予定 FRIDAYはこれまで奥さんとのデートなどをスクープしてきた一方、キャリアの節目ごとにその想いを取材してきた。改めて本誌の印象を尋ねると「長いこと定期的に取材していただき、ありがたかったです。別に根に持つようなこともありませんでしたよ」とニッコリと微笑んだ。 ――会見では「食事は日本のほうが美味しいけれど、ドイツのほうが住みやすい」とおっしゃっていました。 「フランクフルトは何でも揃(そろ)っているし、美味しい日本料理店がたくさんあります。子供はインターナショナルスクールに通ってますし、日本への直行便が毎日何本かある。不満はないですね」 ’11年に出版された『心を整える。』（幻冬舎）は150万部を売り上げた。 ――13年経ちましたし、時間もできました。そろそろ２冊目、いかがでしょう。 「ハハハ（笑）。本のことはまったく考えてなくって。あの本は『良くも悪くも』と言うとちょっと語弊がありますが、自分の人生を変えてくれた。多くの方に手にとってもらえたのはありがたい。 ドイツの出版社からも何回も『ドイツ語で本を出したい』とオファーされているんですが、その都度、断っているんです。自分はそんなに大それた者じゃない。だから２冊目は考えてないですね」 サッカー人生の後半戦が幕を開けた。新たなキャリアへ″心を整え″て、新米指導者・長谷部の挑戦は続く。 ◆はせべ・まこと／’84年、静岡県生まれ。日本代表として114試合に出場。キャプテンとしても日本代表歴代１位となる81試合出場を果たした。 『FRIDAY』2024年7月26日・8月2日合併号より 取材・文：中田徹（サッカージャーナリスト）