高垣麗子さん二度の離婚を経て「いっぱい悩んだ後の“決断”なら前に進める」|VERY
『プチセブン』『JJ』などモデルとして活躍し現在は一児の母でもある高垣麗子さん。ご自身の30代は、モデルとしてさらなる挑戦をする時期であった一方で、二度の離婚も経験し「浮き沈みの大きかった時代」でもあるそう。新刊エッセイも好評の高垣さんに当時のことをお聞きしました。 【写真あり】『プチセブン』『JJ』などモデルで活躍...高垣麗子さんの未公開カット
仕事、結婚、離婚……30代は激動の時期でした
──ご自身の30代はどんな出来事がありましたか? プライベートでは、結婚して、離婚して、また結婚して……と生活が目まぐるしく変わりました。仕事では20代後半ごろから、創刊されたばかりの雑誌『AneCan』の専属モデルになり、色々な挑戦をして頑張る時期でした。『AneCan』の仕事は30代の半ばくらいまで続きます。私自身は、「動より静」といえるタイプの性格で、自分から前に出ることは少ないのですが、一緒に仕事をした勢いのあるモデルさんたちからたくさん刺激を受けました。さらなる挑戦をするにはどうしたらいいか。自分の中にある少ない引き出しを開けて、仕事を始めた10代、20代のころとは違うやり方をしようと試行錯誤していました。 ──30代で二度の離婚。当時はとてもつらかったと伺いました。でも明日も仕事はある。そんな状況でどうやってメンタルを保っていたんでしょうか? 離婚当初はダメージが大きくて、「どうやって前を向いたらいいのかもわからない」という状態でした。食欲はなくなり、眠れない。そんな時期が続きました。どんどん痩せてしまうので事務所の社長やマネージャーにも心配をかけてしまったと思います。ようやく食べられるようになったら今度は太りはじめてしまってダイエットが大変になるなど、体調のコントロールも難しかったです。離婚という現実を受け入れるのは簡単ではなく、立ち直るまで時間がかかりました。つらい中でしたが、家族、周囲の人が支えてくれたのはありがたかったですし、結果として仕事があることにも救われました。「こんな自分ではもうお仕事も続けられないかもしれない……」と思っていましたが、撮影には変わらず呼んでいただけました。現場に行ったらいつも通り、プロのモデルとしての仕事を求められます。「自分自身を認めて求めてくれる場所がある」。そのことに救われて徐々に本来の自分に戻っていくことができました。