新国立競技場の計画見直し 責任はどこにあるのか? 大杉覚・首都大院教授
東京五輪・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設計画が迷走している。総工費が当初予定よりも1000億円近く膨らみ、政府は東京都に費用の一部負担を求めているが、都側は反発し、解決の糸口は見えていない。この迷走の責任はどこあるのか。原因は何なのか。都市行政が専門の大杉覚(おおすぎ・さとる)首都大学東京大学院教授に寄稿してもらった。 ------------- 2020年東京五輪の会場整備が急ピッチで進められています。都心に会場を集中させる「コンパクト五輪」をコンセプトとした当初計画は、東日本大震災の復興事業等の影響で建設資材費・人件費の高騰に見舞われて変更を余儀なくされたものの、さいたまスーパーアリーナ(バスケットボール)や江ノ島(セーリング)など首都圏各地の既存施設を活用することで、ようやくほとんどの競技で会場確保の見通しがつきました。 そうしたなか、要となるメインスタジアム、新国立競技場の建設計画が混迷を極めています。なぜでしょうか。何が問題で、この混迷の原因と責任はどこにあるのでしょうか。
これまでの経緯と問題点
新国立競技場の建設計画に対しては、これまでに様々な立場からの批判が提起されています。まずは膨大な建設費を要することであり、建築構造上に欠陥や技術的な困難があること、あるいは、神宮外苑という歴史的な景観にそぐわないデザインであることなどです。これらの批判は、国際コンペで最優秀賞として採用された、世界的に著名な建築家ザハ・ハディド氏による、アーチ状の構造に巨大な可動式屋根を配した奇抜なデザイン案に由来するといってよいでしょう。 ただし、混迷の「原因」はより根深いものです。一言で言えば、事業構想から計画、実施に至る事業プロセスに「不透明な構図」が伺えるのです。これまでの経緯を振り返りながら、問題点を確認しましょう。
新国立競技場のデザイン案決定は、国際コンペ方式で行われました。建築家安藤忠雄氏をトップに据えた審査委員会が設けられ、公募が開始されたのが2012年7月、審査結果を受けて、国立競技場将来構想有識者会議がハディド氏のデザイン案を決定したのが同年11月のことです。ハディド案に対する批判をいち早く唱えた建築家の槇文彦氏は、大規模な事業にもかかわらず、公募条件が緩く、国際コンペの進め方が粗雑であったため、ハディド案のような景観面で配慮を欠いた巨大な建築物のデザインが提示されたのではないかと、初期段階での取組の問題点を指摘しています(『新国立競技場、何が問題か』平凡社)。 また、審査過程についても問題が指摘されています。公募段階での総工費は約1300億円と想定さていました。ところが、翌13年9月に東京五輪開催が決定され、改めて発注者である日本スポーツ振興センター(JSC)がハディド案をもとに試算したところ、一挙に3千億円にまで跳ね上がったのです。ロンドンをはじめ過去の夏季五輪メインスタジアムの整備費はいずれも1千億円に及ばなかったことを考えると、そのコストがいかに突出したものかがわかります。少なくとも、安藤氏ら建築の専門家を中心としたチェックが甘かったと言わざるを得ないでしょう。本来、現実的ではない建設費を要する案は審査過程を通じて退けられたはずです。 その後、さすがにJSCは規模を縮小して総工費の圧縮を図り、1625億円に修正して基本設計の承認を有識者会議から得ますが(2014年5月)、旧国立競技場の解体着手(2015年3月)後の試算では総工費は再び膨張し、2500億円あるいはそれ以上の費用を要する見通しが示されました。下村博文文部科学大臣が都庁を訪問し、正式に500億円の費用分担協力を舛添要一都知事に要請したのもこのタイミングでのことでした(同年5月18日)。