2回だけのはずが全国90か所へ「出張輪島朝市」で復活の兆し…能登半島地震からまもなく1年
死者489人、行方不明者2人、負傷者1379人の被害(いずれも消防庁・12月24日発表)を出した能登半島地震発生からまもなく1年を迎える。能登・輪島の象徴「輪島朝市」。軒を連ねていた本町通りは約240棟、約4万9000平方メートルが焼けたが、復活の兆しを見せようとしている。近隣の商業施設で臨時店舗を再開するかたわら「出張輪島朝市」と称して各地で出店を展開。県内外計90か所で臨時店舗を開き、売り上げは震災前の水準とほぼ変わらなくなった。苦しみもうれしさもあった輪島朝市の1年を聞いた。(樋口 智城) 焼けた建物が取り除かれ、更地となった輪島朝市跡地。今年2月に取材した際、輪島朝市の女性関係者から聞いた言葉を思い出した。「朝市のおばちゃんたち、止まると死んじゃうんですよ~」。当時は震災発生から1か月。火事で焼けた自身の店舗を前に冗談めかして話す表情には、輪島朝市の持つ前に進もうという意志とパワーがあった。 被災からもうすぐ1年。輪島朝市は、文字通り前に進んでいた。今年3月以降に「出張輪島朝市」として、輪島以外の土地で店舗を開くことで活路を見いだした。12月までに、全国各地計90か所で朝市の声が響いた。 同じく2月、閉塞(へいそく)感を口にしていた輪島朝市の冨水長毅組合長(56)は、劇的な変化を口にする。「3月に金沢市の金石港で震災後初めて『出張輪島朝市』と銘打って再開させたんです。これが大きかった」。当初、金石港での朝市は3月と5月の2回だけ開催する予定で、以降の見通しは全く立っていなかった。「朝市復活のニュースで、全国各地から来ませんかというオファーが殺到したんですよ。以降は現在までずっと、週末はスケジュールが詰まっている」。オファーの多さゆえに、全体の1割ほどは断っている。「沖縄からもお声がけいただきました。さすがにトラックで行けないから断念したんですけどね」。7月には地元・輪島でも、市内の商業施設を間借りするかたちで営業再開した。 順調と思われた日々は、9月に暗転する。能登で豪雨による水害が発生。16人が亡くなった。そのなかの一人が、祖父の輪島塗の店舗を朝市でよく手伝っていた女子中学生・喜三翼音(きそ・はのん)さん(当時14)だった。 冨水組合長は「ほとんどの朝市メンバーが影響を受けている、私も加工場が流されましたし」。それでも、朝市メンバーの気持ちが大きく落ち込まなかったのは「出張朝市」があったからだ。「出張だからキャンセルできない。働き場があったからこそ、みんなが前に進めたのだと思います」 現時点で「出張輪島朝市」のスケジュールは来年3月までパンパンに詰まっている。ただ、不安がある、冨水組合長は「それ以降は本当に分からない。復興応援以外の理由で呼んでもらえるようなプラスアルファを考えないと」と危機感を募らせる。そもそも、180人いた朝市のメンバーは3分の1の60人しか戻っていない。輪島市、民間企業も交えて、輪島朝市への振興策を話し合っている最中だ。「最終目標は、元通りの場所で朝市を復活させること。4~5年はかかると思います」 今回の出張取材、冒頭で紹介した女性にも話を聞くべく電話をかけたが、やんわりと断られた。「この1年ぐらいを振り返ると気持ちが沈んじゃうので…。朝市の今後もいろいろ考えちゃいますし」。朝市には明るい未来しか待ってないと先入観を持っていた私は、関係者の気持ちに思い至らなかった失礼をわびつつ、電話を切った。
報知新聞社